テレビでもおなじみの教育学者の齋藤孝さんは、実は大の喫茶店好き。なんでも会社や自宅では発揮できない密度の集中力で、仕事や勉強にとり組めるのだとか。実際、毎日3軒をハシゴして、全仕事の半分以上を喫茶店でこなしているそうです。
齋藤さんの著書、『15分あれば喫茶店に入りなさい。』は、そんな喫茶店の活用術と、効率&集中力アップのコツが満載。読んだら絶対、喫茶店に行きたくなる本書から、一部を抜粋してお届けします。
人に説明できなければ意味がない
私は本をよく読みますが、いわゆる小説などを読む場所として喫茶店を捉えていません。太宰治全集を読むのであれば喫茶店に行く必要はない。家のベッドの上で一人読んでもさして負担はありません。
ではどのような読書のときに喫茶店に向かうか。書評を書かないといけない、といったようにアウトプットが予め求められている場合です。また、ビジネス書や新書のような情報系の読書は、喫茶店のほうが確実にテンションが上がります。
必要に迫られて読む本、または情報系の本の場合、飛ばし読みでいいので、ざっくり目を通しながら役に立ちそうなフレーズ、自分のためになりそうなページを三色ボールペンでチェックします。
私はよく、読んだ本を「自分のもの」にするという言い方をします。つまり、いつでもどこでもその内容について人に説明できるか。説明できれば、その本が身についたといえます。
せっかく本を買っても、買っただけで安心して読まない人も多く、それはもったいないことです。本を買っていちばん気持ちが乗っているときに「自分のもの」にしてしまうことです。
漁船が魚を獲ったら、瞬間冷凍をしてから港に帰ります。瞬間冷凍によって鮮度が保てるわけです。それと同じで、喫茶店を、本の「冷凍処置」の場所として使うのです。
三色ボールペンでチェックしたり、裏表紙や白紙のページに、面白かった箇所のページ数と感想を書き込んだり、そのページにだけ折り目をつける。そんな読書をするのに、喫茶店はきわめて向いています。
出先で本を買ったら、そのまま喫茶店に持ち込めば、喫茶店で過ごす時間が、身につく読書の時間になります。コーヒー代二〇〇円、プラス新書に七〇〇円、計一〇〇〇円弱という出費は、大人であればたいしたことのない金額です。みなさん、食べ物にはそれくらいのお金を平気で払っているはずです。古本の新書なら一〇〇円です。
もう少し緩い使い方としては、『このミステリーがすごい!』のようなガイドブックを持って喫茶店に入るのもいいでしょう。CDの「名盤百選」などを紹介した本もいい。「今度はこのCDを買おう」と検討していると、まるで競馬新聞を読みながら、今日はどの馬券を買おうかと迷っているおじさんのような高揚した気分になります。
自分なりの信頼できる評者を、いろいろなジャンルでもっていることはいいことです。私はミステリー小説には詳しくないので、多くの人が一位と推しているものを順番に買って、素直に読んでいったことがあるのですが、どれも本当に面白く、ハズレがありませんでした。
喫茶店は、「今度はあれを買ってみたい」「あれを読んでみたい」といった程度のことであっても、未来に向かってなにかを決める場所として適しています。CDのようなものでも、「これを買いたい」と思っているときが、じつはいちばん楽しいものです。そうした知的な検討作業を喫茶店でやっていると、心もワクワクしてきます。
あの名著も喫茶店で生まれた
喫茶店愛好家は、私のほかにも結構います。『シェイクスピア全集』を訳された英文学者の小田島雄志さんも、その一人です。
本郷の東大正門の前にルオーという喫茶店があって、学生の頃、私もよく通っていました。そのお店の二階の奥まった場所に、小部屋っぽいスペースがあります。小田島さんはそこで、ほとんどの仕事をされたそうです。あの『シェイクスピア全集』も、ここで訳されたのだと思います。
小田島さんのシェイクスピアの翻訳は文語体ではなく、実際に演じたときにちょうどいい小気味のよさがあります。しかもユーモアのセンスが際立っています。
家にこもってやるよりも、開放的な空気が流れている喫茶店でやったのが、よかったのかもしれません。研究者として真面目にこもっているというよりは、むしろ「あなた、芝居好きなんだって?」「そうなんですよ」といった会話も気軽に交わされるような、遊びの空気、リラックスした空気感を大事に、仕事をなさっていたのだと思います。
小田島さんの訳した『シェイクスピア全集』は、全三十七巻です。どうしてそんなにたくさんの仕事ができるのだろう、というくらいの量です。私も喫茶店で勉強や仕事に多くの時間を費やしてきましたが、喫茶店での仕事も積み重ねれば相当な山になることを、小田島さんは証明してくれています。