カジノに入れ込み、注ぎ込んだカネの総額106億8000万円。一部上場企業・大王製紙創業家に生まれ、会長の職にありながら、なぜ男は子会社から莫大な資金を借り入れ、カネの沼にはまり込んだのか……。
大王製紙前会長、井川意高氏の『熔ける』は、ギャンブルで身を滅ぼし、塀の中に堕ちた男の壮絶な告白本だ。「カジノ法案」が成立し、遠くない未来、日本にもカジノが誕生するであろう今だからこそ読みたい本書。一部を抜粋してお送りします。
宮沢りえが発した衝撃の一言
社会人となってから、夜の銀座や六本木では、とにかく毎日のようによく酒を飲んだ。六本木に飲みにいくようになったのは、バブルのピークだった90年ころからだ。
25~26歳の若さだった私は、四国新聞や西日本放送のオーナーだった平井卓也さん(現・自民党衆議院議員)や、平井さんの親友だった穴吹工務店の穴吹英隆社長らに連れられて六本木の店を開拓していった。穴吹さんや平井さんらは「ヤングプレジデントオーガニゼーション」(通称・YPO)という若手の社長会に所属しており、彼らにくっついていればYPOに所属している経営者との人脈を構築できた。
こういった人々と六本木で遊んでいたころ、西麻布のバーで開かれたパーティに出かけた。そこで初めて宮沢りえさんと出会った。パーティには大勢の人々が集まっていたにもかかわらず、宮沢りえさんがいる場所だけ上からスポットライトが当たっているように浮きあがっている。
多くの人が集まってワイワイ騒いでいたとしても、わざわざ探す必要がない。勝手に目が吸いつき「ああ、あそこに宮沢りえがいる」とまるでオートフォーカスのように照準が合ってしまう。「オーラがある」とはこういうことなのか、と軽い衝撃を受けた。たしかあれは貴花田関(元・貴乃花親方)とつきあっているかどうかという時期だったから、まだ宮沢りえさんが10代のときのことだ。
その後、宮沢りえさんとは、別の西麻布のバーで彼女が親しくしていた大物歌舞伎役者と一緒にいる場面に偶然出くわしたことがある。よせばいいのに、たまたまそこに居合わせた人が、デート中の2人に私を紹介してしまった。男女が2人で酒を飲んでいるところに挨拶にいくなど、野暮なことだと私も承知していたが、熱心に誘われて断り切れなかった。
大王製紙は、宮沢りえさんの初主演映画でヒット作となった『ぼくらの七日間戦争』(88年公開)に1億円ほど出資している。ふとそのことを思い出し、挨拶をした。
「はじめまして。大王製紙の井川意高と申します。宮沢さんは『ぼくらの七日間戦争』のころからのファンなんですよ」
すると宮沢さんは私のことをキッと睨み、
「そんな昔のことなんか忘れてるわ」
そうキツイ一言を発するではないか。デートのジャマをされたことが腹立たしかったのか、単にプライドが高かったからなのかはわからないが、いずれにしても「若い女の子にしてはえらく気が強いな」と驚いた。もっとも、宮沢さんがその後、大物女優として大成したのを見ると、きっとあれくらい気が強くなければ弱肉強食の芸能界では生き残っていけないのだろう。今ではそう思える。
「あの女性」との本当の仲は?
大王製紙で働くようになってから、経営者だけでなく芸能人と一緒に食事をしたり酒を飲んだりする機会が増えていった。二谷友里恵さんとは、ワコールの塚本社長や大林組の大林剛郎副社長の紹介で知り合った。
事件と前後して、一部マスコミやインターネットの報道では、私とさまざまな女優やタレントの関係が噂になった。なかでも、今や日本を代表するセクシーな大物女優と私に関する報道には驚かされた。彼女にとっても迷惑な話であろうから、この場を借りて本当の関係をきちんと記しておきたい。
私とその女優とは、何か深い関係があったことはなく、単なる昔からの古い友人の一人だ。
今では疎遠になってしまっているが、彼女がモデル業やグラビアで活動し、まだ女優としてブレイクはしていなかった時期に、皆でワイワイ食事をしたり、カラオケに行ったりするようなつきあいはあった。
彼女が夏休みを3日取れたというとき、5~6人で一緒に軽井沢の別荘に出かけたことがあった。2泊3日を過ごす中で、別荘に併設されているプールやサウナに皆で入ったりもした。もちろん、全員水着を着用しており、何もいかがわしいことはなかった。
このあたりの話に尾ひれがつき、「井川は女優の××さんとつきあっていたことがある」という噂が広まっていったのだろう。繰り返しになるが、私と彼女は単なる友人であり、それ以上でも以下でもないことをここに書き留めておきたい。
噂話でいえば、さらに驚かされたのが、フリーアナウンサーとして活躍する滝川クリステルさんとの仲をマスコミに疑われたことだ。それが事実なら私もうれしい限りだが、私は滝川さんとそもそも面識がない。なぜこんな話が出回るのか、不思議に思ったものだ。
ただ一つ可能性があるとすれば、昔から私の好みのタイプがハーフの美女というところが、噂の出所になったのかもしれない。滝川さんにはとんだ迷惑だったに違いないが、一連の騒動の際、私はマスコミの集中砲火を受けながら、裏も取らずに嘘を垂れ流すメディアのいい加減さには、ただため息をつくしかなかった。