静岡県浜松市で起こった残虐な連続放火殺人事件。しかし「ドS」な美人刑事・黒井マヤは現場で「死体に萌える」ばかりでやる気ゼロ。振り回されっぱなしの相棒・代官山脩介は被害者の間で受け渡される「悪意のバトン」の存在に気づくが――。
ベストセラー「ドS刑事シリーズ」の記念すべき第1作、『ドS刑事 風が吹けば桶屋が儲かる殺人事件』。すべてはここから始まったのです……! 今回は特別に、物語の序盤を公開します。
楽しくないドライブ
「そんなこと、あるわけないじゃないすか。いい年齢して平の巡査なんて相手にしませんよ。父親が選りすぐりのエリート官僚を拾ってきますって」
「そんなに自分を卑下するな。恋は盲目というだろ。コンビから生まれる恋もあるさ。『Xファイル』のモルダーとスカリーだってくっついたじゃないか」
「あれはドラマですよ」
「あきらめたらそこで試合終了だよ」
「それって『スラムダンク』ですよね」
「おおい! マヤ!」
神田が代官山のツッコミをスルーして、ホワイトボードの前に立っているマヤを呼びつけた。
「お前、今から代官様と一緒に現場見てこい。それから聞き込みだ。早くホシを挙げないと、俺たち、家に帰れないぞ」
「勘弁してくださいよ、こんなうなぎ臭いド田舎。ハンズもパルコもないじゃない」
とマヤが毒づく。たしかに浜松は若者受けするショップが乏しいかもしれない。
「そう言うな。うなぎパイとか美味いだろ」
「何であれが夜のお菓子なのよ。ワケ分かんないわよっ!」
「まあまあ。お前だって一課の刑事だろ。これが任務なんだよ」
神田が、意味不明に逆ギレするマヤをなだめるように言う。
県警本部勤務の神田やマヤの現住所は静岡市にある。
県庁所在地の静岡市に対して浜松市はナンバー2の都市である。二〇〇七年、隣接する市町村と合併して人口八十万人の政令指定都市へ移行した。浜松市と静岡市は距離にして七十キロほど離れている。東名高速道路なら一時間弱、新幹線なら二十分程度だ。
行政や商業を基盤とする静岡に対して、浜松は工業の街というイメージが強い。その大半は小規模工場で、その多くはホンダやスズキ、ヤマハなど大企業の下請け工場である。しかし近年はこれらの工場再編計画のため、下請けにとって厳しい時代が続いている。
「とりあえず現場に行ってみましょうか」
「このクソ暑いのに外回りをさせる気ぃ?」
マヤは書類を団扇代わりにしながらうんざりした顔を向ける。
「しょうがないでしょう。それが俺たちの仕事なんですから」
代官山は黒井マヤを促した。神田が「よろしく頼んだぞ」とウインクを送ってくる。代官山はため息を漏らすと会議室を出た。そして署内に不案内なマヤを先導しながら駐車場に向かう。
「俺たちはこれです」
駐車場に止めてある白のカローラに乗り込んでハンドルを握った。しかしマヤは助手席のドアの前で立ったままだ。ドアハンドルをじっと見つめて動かない。
まさか車が気に入らないとか言うんじゃないだろうな。
「どうしたんです?」
代官山は車から出ると彼女に声をかけた。
「このドアって自動なの?」
──ああ、もうっ!
舌打ちを呑み込んで代官山は助手席側に回ると、
「どうぞ、お嬢様」
と慇懃にドアを開けて頭を下げた。
「冗談よ。所轄さんも大変ね」
マヤはケラケラ笑いながら車に乗り込んだ。
ああ、クソ。完全に舐められている。
代官山は運転席側に戻りながら、腹いせにタイヤをつま先でこづくと中に乗り込んだ。
「で、焼き加減はどうだったの?」
中部署に面する秋葉街道を浜松駅方面に向かってしばらく南下すると、助手席のマヤが声をかけてきた。
「焼き加減?」
「ったく、想像力のかけらもない刑事さんね。ガイシャに決まってんでしょうが」
「え、ああ。なんだかステーキみたいですね」
今回の放火で被害者の男女は丸焦げにされた。
「ステーキといえば、先日、パパに銀座の『上々苑』でシャトーブリアンをご馳走になったわ。これが口の中に入れた瞬間にとろけちゃってたまらないのよ。まあ『牛安亭』で満足してるあなたには分からないでしょうけど」
「悪かったですね」
「って、なんで私が上から目線であなたにステーキ自慢なんてしなくちゃならないのよ。こっちはガイシャの話をしてんのよ!」
こんな理不尽な逆ギレ、初めて見た。こういう相手には「すんません」と大人の対応をするしかない。
「そうですねえ、二人とも顔の判別がつかないほどに真っ黒でした。それでも何とか性別の判断はつきますが」
「ていうとミディアムとウェルダンの真ん中ってところね」
「そんなところですかね」
よく分からないがそう答えておいた。
「表情とかどうだったの?」
マヤが助手席から身を乗り出して顔を近づけてくる。思わず見惚れてしまいそうな美しく整った顔立ちだが、興味津々といった風情だ。
「そりゃもう、苦悶でしたよ。ほら、有名な絵画であるじゃないですか。大口開けて叫んでいるやつ」
代官山はハンドルから手を離すと、手のひらを両頬に当てて口を縦長に開いてみせた。車は信号待ちだ。
「ああ。ムンクの『叫び』ね」
「それそれ。あの絵の人物を真っ黒にした感じですよ」
それを聞いたマヤが「ヒャッヒャッヒャッヒャ」肩を揺すりながら笑った。
何なんだ、この女は?
信号が青に変わり、代官山は車を発進させる。現場はここからそれほど遠くない。しかし浜松市役所前の大通りは混雑している。有効な迂回路もないので流れに任せることにした。
「それで代官様は、非番の日は何をしてるわけ?」
浜松城公園の方を眺めていたマヤが、沈黙を持てあましたのか話題を振ってきた。
「これといった趣味はないですし、読書とか映画鑑賞とかそんなところですかね」
「映画ってどんなのを観るの?」
「特にジャンルはないなあ。映画は好きだからどんなものでも観ますね」
「私も映画は大好きよぉ」
マヤが顔をパッと輝かせる。なんとも可愛い上司だ。代官山は思わず苦笑してしまう。いつも強面の脂ぎったオッサンばかりとコンビを組んでいたので、たまにはこういうのもいいかもしれない。なんといっても華やかだ。
「黒井さんはどんな作品が好きなんですか?」
代官山は彼女の話の流れに乗ることにした。どうせ現場に着くまでの時間だ。
「やっぱりダリオよ。『インフェルノ』なんて百回以上観てるわよ」
「ダリオ?」
「もしかして知らない? あなた、バッカじゃないの」
マヤがまたも「バッカ」を強調する。今日一日で何度この台詞を聞いたことか。
「すんません。バッカなので寡聞にして知りません」
ああ、やはりこの娘と楽しい会話は成立しないようだ。
「ダリオって言ったらダリオ・アルジェントに決まってんじゃないの。そんなんでよく刑事なんてやってこられたわねえ」
それからマヤはダリオ・アルジェントなる映画監督について熱く語りだした。なんでもイタリアのホラー映画の監督だそうで、代表作に『サスペリア』『フェノミナ』などがあるらしい。代官山もかろうじて『サスペリア』のタイトルだけは耳にしたことがあった。
「はっきり言ってダリオを語るなら『サスペリアPART2』よ。パート2なんてタイトルがついているけど、実はパート1とはなんのつながりもないの。それどころかパート2は1よりも前に撮られた作品なのよ。パート1がヒットしちゃったもんだから、映画会社が無理やり昔の作品にパート2をつけちゃったっていうわけ。何じゃあそりゃあ、って話よ」
さらに彼女の熱弁は節操なく続く。なんでもマヤのお気に入りは『オペラ座 血の喝采』というオペラ座を舞台にした連続殺人を描いたスリラーだそうで、ストーリーを説明してくれたが、荒唐無稽で破綻しまくりの内容のどこに魅力があるのかさっぱり理解できなかった。
「ヒロインは瞼に何本もの小さな針をセロテープで貼り付けられちゃうの。その目の前で殺人鬼は彼女の恋人を滅多刺しにするんだけど、目を閉じたら針が眼球に刺さっちゃうでしょう。だからずっと見てないといけないのよ。すごくない?」
と嬉しそうに語る。まだDVD化はされておらず、彼女はVHS版を所有しているという。
どうやら彼女とは趣味も合いそうにない。
「今度、うちに観に来なさいよ」
「え? い、いや、ダリオさんはちょっと……」
美女と過ごすのは悪くないが、美しければ誰でもいいというわけではない。そもそもそんなグロい映画なんか金をもらっても観たくない。
「黒井さんは静岡市にお住まいですか?」
彼女の誘いに対処するのが面倒になったので話題を変えた。
「ええ。登呂遺跡の近くのマンションよ」
登呂遺跡は静岡市駿河区にある弥生時代後期の集落跡だ。当時の住居が復元されているほか博物館が隣接して、小中学生の社会見学の場となっている。静岡県警本部のある葵区追手町から直線距離にして三キロほどだ。
「じゃあ、浜松は?」
「詳しくないわ。だからあなたがしっかり案内してくれないと。出身は浜松なんでしょ? 高校は浜松西高って聞いたわ」
「はい。大学の四年間だけ東京暮らしでしたけどね」
「そう。それで現場はどこなの?」
「海老塚一丁目というところです。駅から南に歩いて十分程度の立地ですかね。浜松駅の北側は繁華街と歓楽街が広がっているんですが、南は住宅街ですね」
二人を乗せた車は浜松駅前の繁華街を通り抜けた。浜松は典型的な郊外型の街で、繁華街は空洞化している。歩道を歩く人たちもまばらである。
「浜松は南米系の人が多いのね」
マヤが外の風景を眺めながら言う。
「ええ。浜松にはホンダやスズキといった大きな会社の工場がありますからね。それで外国人労働者が集まってきたんですよ。昔からモノ作りの街なんです。それでも最近の不況でかなりの人たちが帰国しちゃったらしいですけどね」
「そうなの。ああ、そうそう」
マヤがパンと手を叩く。
「浜松といえばバーバラ前園という陶器人形作家が個展を開いているのよ。『暗黒人形展』っていうんだけど」
「暗黒人形展? 何ですか、それは」
車が赤信号で止まったところでマヤがパンフレットを出してみせた。暗黒とタイトルがついているだけあってただの人形展ではなかった。拷問されたり四肢をバラバラにされた陶器人形の写真が並んでいる。猟奇趣味全開の人形展だ。先ほどの映画といい、マヤはその手の嗜好があるようだ。
「ねっ、面白そうでしょ。今度一緒に行きましょうよ」
「え、ええ……。まあ、今度機会があったらということで」
代官山はマヤの横顔をチラリと見た。性格さえもう少しまともだったら楽しいドライブになっていただろうに、と思う。
(続く)
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