小柴昌俊先生がお亡くなりになりました。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
小柴先生は1987年に宇宙から飛来するニュートリノの観測に成功し、2002年にノーベル物理学賞を受賞されました。ニュートリノとは、物質を構成する最小単位である素粒子のひとつです。存在が予言されたのは1930年。予言したのはパウリという物理学者ですが、質量がゼロ(もしくは観測できないほど小さい)、そして、ほかの物質と出会っても反応せず素通りしてしまうので、「絶対に発見できないだろう」と言っていました。しかし1950年代、ニュートリノは実験室で初めて観測されます。それに続いて、宇宙から飛来するニュートリノを初めて観測したのが、小柴先生が率いる「カミオカンデ」のプロジェクトでした。
カミオカンデはどんなふうにニュートリノをキャッチしたのでしょうか。村山斉さんの『宇宙は何でできているのか』から、抜粋してお届けします。
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幸運だった「カミオカンデ」実験
宇宙から飛んできたニュートリノを世界で初めて捕まえたのは、日本の「カミオカンデ」という観測装置でした。岐阜県神岡鉱山の地下1000メートルの深さにつくられたカミオカンデは、3000トンもの水を蓄えたタンクと、1000本の光電子増倍管からなる巨大な装置です。
ニュートリノは宇宙から大量に降り注いでいます。私たちの体は1秒間に何十兆個もニュートリノを浴びていますが、ほかの物質とはほとんど衝突せずにスルスルと通り抜けてしまうので、見つけるのは至難の業です。しかしカミオカンデは、1987年2月、大量に蓄えた水中の電子と衝突したニュートリノを検出しました。その数はたった11個でしたが、それだけでも「大量」と言えるのが、ニュートリノの扱いにくいところです。
カミオカンデがキャッチした11個のニュートリノは、大マゼラン星雲で起きた超新星爆発によって生じたものでした。この超新星爆発は、銀河全体よりも明るくなるほどの光を放ちましたが、その光のエネルギーは、爆発によって生じた全エネルギーの1%にすぎません。爆発で出たエネルギーの99%を占めていたのがニュートリノです。それほど多くのニュートリノが放出されたからこそ、カミオカンデはそのうちの11個を捕まえることができました。そして、超新星爆発で大量のニュートリノが生じたことは、その星が地球や太陽と同じ「原子」でできていることを物語っています。
この功績によって、小柴さんはノーベル賞を受賞しました。ちなみに、爆発した超新星は地球から16万光年も離れています。したがって、光速で進むニュートリノも、16万年かけてカミオカンデにたどり着きました。その日は、小柴さんが定年退官を迎えるわずか1カ月前だったというのですから、驚くべき強運の持ち主です。
また、あの発見の数カ月前に、カミオカンデでは蓄えた水をきれいにする作業を行いました。水が汚れていると、光電子増倍管にたくさんのノイズが入ってしまい、どれがニュートリノなのかわかりません。この作業をやっていなければ、ノーベル賞もなかったでしょう。
さらに、当時あの施設には「あいつがいるとなぜか実験がうまくいかない」と非科学的な中傷を受ける大学院生がいたらしいのですが、ニュートリノを捕捉したときはたまたま不在だったとか(笑)。あの大発見は、さまざまな幸運に恵まれていたわけです。
変わりつつある「宇宙像」
それがなければ、次の一大プロジェクトである「スーパーカミオカンデ」の予算もつかなかったでしょう。カミオカンデの貯水量は3000トンでしたが、スーパーカミオカンデは5万トン。壁面の光電子増倍管も1万1200本に増えました。こんど超新星爆発が起きれば、一度に何千個ものニュートリノをキャッチできるでしょう。
それだけではなく、大量に降り注ぐニュートリノが突然スッと来なくなる瞬間も観測できるかもしれません。実は、いまスーパーカミオカンデが最大のターゲットの1つにしているのが、その現象です。爆発を起こした超新星が潰れて、そこにブラックホールが生まれると、発生したニュートリノはそこから出られなくなってしまいます。ですから、ニュートリノが来なくなる瞬間をとらえれば、そこでブラックホールが誕生したことがわかるのです。
それがいつになるのかはわかりませんが、スーパーカミオカンデは別のテーマで、すでに大きな成果を挙げました。お化けのようなニュートリノに、実はほんの少しだけ質量があることを、観測によって明らかにしたのです。
その意味はこの講義の最後のほうでお話しすることにしますが、ここからは実に驚くべき事実が判明しました。宇宙に存在するニュートリノをすべて集めると、宇宙にあるすべての星とほぼ同じ質量になるというのです。この発見は、1998年のこと。この十数年のあいだに、私たちの「宇宙像」が大きく変わりつつあることが、この話だけでもよくわかるのではないでしょうか。