「成長業界に身を置く」という身も蓋もない成功の法則
その昔、会社員のころ、ある上司と話していると、「お前は、ほんとうに身も蓋もないね」といわれた。そして、だいぶ時間が経って、何かを話したときにも、ふたたび「いやあ、ほんとうに身も蓋もないな」といわれた。その呆れの口調と表情から、私はきっと、身も蓋もないほど褒められたに違いないと思った。
私が何をいったかというと、たしか「これはもうどうしようもないですよ」とか「みんなが本音ではダメだと思っているんだから、言ったほうがいいですよ」とかいった意見だったように思う。右肩上がりの時代ならともかく、山から海へ進んでいこうとしている時流にあって、もっともやっかいなのは「頑張れば、改善するだろう」と世の中に抗って進もうとすることだ。
企業の戦略とはなんだろうか。たぶん、私は「何をやるかを決めること」だと思う。選択する分野があっていれば、失礼ながら、能力がなくても、かなり上手くいく。しかしいっぽうで、斜陽産業を選べば、凡人は上手くいかない。たとえば、落ち行く業界に身を置いても、成功するひとはいる。ただ、もっとも「つまらない」成功法則は、成長分野に身を置くことだろう。
ほとんどのひとが、「これはこのまま続けても上手くいきそうにないね」と実はわかっている。しかし、「見たくない現実」は見ないのが通常だから、気づかないフリをしているうちに、状況はもっと悪化していく。
私は、何かの産業に賭すひとは好きだが、それ以上に、その産業に賭すがゆえに知り得る「見たくない現実」を見られるひとかどうかが、私にとっては重要だ。自動車産業にいるひとがもっとも自動車産業を、出版業界にいるひとがもっとも出版業界を、IT業界にいるひとがもっともIT業界を、疑うことができる。もっとも多くのデータを正直に見られる立場にいるからだ。
『未来の稼ぎ方』と反『未来の稼ぎ方』
データと統計を素直に見ること。そこから将来の仮説を構築すること。しかし、とはいえ、私は反科学や反統計が嫌いではない。なぜなら、どうしてもわからない箇所については運と諦観しかないからだ。有名経営者の多くは、神や精神世界、スピリチュアルに接近していくが、私は矛盾した態度ではなく、むしろ直線でつながる地点だと思う。「データ・統計」「将来への仮説」「最後は運命論」――。
この三つを意識して、先日、拙著『未来の稼ぎ方』を書いた。これは今後、20年間に何が起きるかを、各年一つの業界を取り上げ、〈コンビニ〉〈エネルギー〉〈インフラ〉〈宇宙〉〈アフリカ〉など注目業界の未来予想を書いたものだ。データを中心にしつつも、最後には未来への希望とも祈念ともいうべき望みを捧げた。
そんなときだった――。担当編集者を経由して、拙著をお読みいただいた辛酸なめ子さんから、辛酸さん版の将来20年の未来予想が届いた。
驚愕した。読んだ瞬間に、「なんですかこれは」と興奮のコメントを送ったほどだった。非論理や非科学が、もっとも論理や科学に近接するのは語ったばかりだが、これほどまでとは、興奮せざるをえなかった。
それは、次のようなものだ。
2019
美術館の展示が、お寺系の仏教美術ばかりになる
お寺、僧侶がますます人気を集める
(坂口コメント)
AIのディープラーニング(人間が自然に行うタスクをコンピュータに学習させる機械学習)における解決プロセスとは、一神教の絶対的なものではなく、むしろ仏教的な万物から都合よく摂取するようなものではないだろうか。その意味で、仏教への回帰は当然ともいえる。
2020
テレビ離れが進み、テレビタレントはYoutuber並の過酷な体当たり系を求められる
世界各国の王室に民間人が嫁ぎ、王室が一般人に近づく反面、SNSのインフルエンサーがますます貴族的な存在となっていく
(坂口コメント)
むしろ、貴族の定義が、特定権力の掌握にあるのだとしたら、現代にもっとも羨望される「注目を集める」立場こそが貴族的だといえるはずだ。
2021
シェアハウス、シェアカーだけでなくシェア墓などが出てくる
個人主義な人とシェア派の人にわかれていく
(坂口コメント)
さらにネットでのシェア墓になるのではないだろうか。共同墓地は、共同ネット墓地になって、さらに故人の発言を分析して、故人アバターが遺族と会話してくれるはずだ。
2022
VRでの旅行
VRでの体験がリアルになり、現実に近づく
体を動かせなくてもだいたいの体験ができるようになる
(坂口コメント)
実際に、そうなりつつある。成功者の立場もVRで体験できるようになったり、豪奢な体験をVRで現実並みにできたりするとき、私たちはリアルの定義を変えるに違いない。
2023
芝麻信用の日本版が普及
人間の人徳が数値化される
それによってアクセスできるwebサイトも変わっていく
波動が高い、低いの二極化
(坂口コメント)
さらには、アクセスできる時間も変容するに違いない。まともなひとは全時間アクセスできるサイトが、酔ったり夜に正確な判断ができなくなったりするひとは、昼間しかアクセスできないサイトなどが登場してもおかしくない。
2024
農作物に頼らない食
不食、土、光エネルギーを吸収できる人が増える
(坂口コメント)
農作物の栄養素をデジタルで操作できる時代がやってくるかもしれない。そして、豊潤な土壌を入手することが、次の利権になるに違いない。
2025
AIスピーカーからホログラムが投影される
遠く離れた人と通話したり、授業などサービスを受けられる
ホログラム会議も一般化
(坂口コメント)
さらに、ホログラムによるライブ演奏が普及するのではないだろうか。それでも実際のライブがいいとき、それは、生身とホログラムの本質的な違いを浮かび上がらせることになるだろう。
2026
リアルなホログラムとプロジェクションマッピングでひとりのスターのコンサートを同時に各地で開催
コンサートチケットの価格も下がる
宗教の説法にも応用される
(坂口コメント)
むしろ、宗教の説法は、その環境創出に使われるのではないだろうか。教祖たちがなぜその思想にいたったのか、その時代背景と状況をリアルに感じさせるテクノロジー。それはむしろ、宗教の再解釈につながるかもしれない。
2027
ICチップを体内に入れる人が増加
鍵やIDだけでなくポイントカードの情報なども集約
(坂口コメント)
さらに、それは街中の自動販売機とつながり、リアルタイムでそのひとが欲する商品提案のデジタルサイネージを生むだろう。そしてスマホは脳内に埋め込まれる。
2028
宇宙人、宇宙船とコミュニケーションできるようになる
過去にも光ファイバー、ステルス戦闘機、集積回路など宇宙人に教えてもらったそうですがさらに高度な技術がもたらされる
(坂口コメント)
地球人こそが、実は、定義上、「宇宙人」ということになるのでは。宇宙人はつねに、地球人よりも進んだイメージだった。しかし、地球人こそが未開人の宇宙人を開拓するようになる。
2029
webに死者の思考回路や記憶をアップロードできるようになる
故人のCEO、先生などからアドバイスを求められる
(坂口コメント)
おそらく、宗教の教祖こそ、それにあてはまるものはない。現在、教祖がほんとうに語ったものと、弟子たちがでっち上げたものが混在している。ディープラーニングによって、教祖の語ったものを区別し、そこから現代的問題にアドバイスを与える。それはその後の宗派の解体につながるかもしれない。
2030
意識が高まる人々の増加により、肉食がすたれていく
ベジタリアン主流になる
必要な人はリアルな疑似肉で……
肉好きな人は、闇市みたいな所でこそこそ食べるようになる
(坂口コメント)
肉食はむしろ高まり、それゆえのガン予防技術が高まるのではないか。この予想だけは、ちょっと異論をいうと、むしろ好きなものを食べたほうが、免疫力は高まると意識が向上するのでは。
2031
動物を殺さなくなり、動物より人間が上、という傲慢さもなくなる
動物とテレパシーで通じ合えるようになる
かつてイルカと結婚したイギリス人女性がいたように、動物との婚姻も行われる
(坂口コメント)
動物の行動解釈が進み、動物との会話ができるようになる。ただ、それはあくまでも統計的に感情を予想するにとどまるだろう。しかしヒューマニズム(人間中心主義)の反動から、生物すべてを平等と思う、極端なソーシャル・エクアリティ(社会的平等)は進むはずだ。
2032
AIの技術も進化し、人間に近いロボットも作られる
ロボット婚もありになる
(坂口コメント)
そして、ロボット葬や、ロボット裁判もありうるに違いない。
2033
いっぽうで、人間的に完成し性別の両方を兼ね備えて結婚など必要としない完全人間も増加進化したマスターたちが人々を導いていく
(坂口コメント)
事実婚までもないとしたら、それは少し異論。きっと、強者を除けば、多数者は、きっと結婚の制度が実は強力であることに、逆説的に気づくはずだ。
2034
スマホなどデバイスの情報を脳波で操作したり
脳内で検索できるようになる
メールを直接脳で受信したり、古代の人間のテレパシーのようなことも行われる
外国語を習わずとも脳内自動翻訳
(坂口コメント)
いや、もはや脳内検索は実現している。スマホをもたないのが出家で、電波を遮断するのが修行という時代に私たちは生きている。スマホを検索するのは、もはや、脳内と人生を検索する意味だ。
2035
アルツハイマーやガンなどの治療薬が生まれて、元気すぎる高齢者が増える
今のバブル世代くらいが見た目が変わらないまま人生を謳歌
「東京ラブストーリー」が何度も復刊
(坂口コメント)
その象徴としての「東京ラブストーリー」はきっと、見た目は維持しているけれど、いまは感じられない興奮を思い起こすための装置でしかなくなるだろう。見た目が若くても、加齢の経験は消えない。音楽であれ、演劇であれ、映画であれ、小説であれ、若い頃に触れた作品が衝撃的で人生を変えるのは、未熟でデータベースが蓄積されていないからだ。だから初めて触れた衝撃がある。とすると、実は求められるのは、円熟ではなく、過去の記憶を意図的に消すことではないか。
2036
音波や思念など波動の研究が進み、それによって物を動かしたり、エネルギーを発生されることができるようになる
(坂口コメント)
さらに遠隔地の人間に、物体的な接触ができるようになる。そうしたとき、リアルな接触の意味はどう変容するだろう。
2037
カタストロフィー的なことが発生し、(太陽の磁気嵐など)それによって電気などインフラが使えなくなる
(坂口コメント)
電気インフラが使えなくなることはない。ただ、カタストロフィー(突然の大変動)は、定期的に、現在のインフラのあり方を再考するように迫る。ここで私の予想だが、むしろ、代替エネルギーの脆弱性も明らかになるに違いない。そのとき、「罪を背負って生きろ」という宗教のメッセージが何よりも復権してくるだろう。
2038
古代の縄文時代のような暮らしと、文明がまざったような暮らしをする
(坂口コメント)
故・岡本太郎さんは、縄文時代のような衝動が必要といった。とすれば、まさに現代人は岡本さんの預言に近づいたといえる。しかし、私が思うに、すでにSNSは衝動と暴力と人間性が恥ずかしいほどに露骨に表現されるメディアだ。私たちが、縄文時代的衝動性をもったとき、私たちの生活は、どうなるだろう。
辛酸なめ子さんの卓見
と、ここまで辛酸なめ子さんの未来予想と、私のコメントを載せておいた。
拙著『未来の稼ぎ方』で書いたとおり、とはいえ、データや統計による未来予想は、派手さもないが、着実さがある。ただ、スピリチュアルによる未来予想は、なぜここまで将来を、ある種の感度をもってえぐり取ることができるのだろう。
私は落雷をうけたように、ただただ痛めつけられていたのだが、その痛みの原因が何であるのか、よくわからないでいた。
これがスピリチュアリティだろうか。