11月15日、ジャーナリストのカショギ氏暗殺事件をめぐり、サウジアラビアの検察当局は容疑者11人を起訴、うち5人に対しては死刑を求刑と発表した。
トランプ大統領はこれまでサウジを非難しながらも、いまだ強硬制裁には踏み切っていない。中間選挙で民主党が下院の多数派となったことで、トランプ大統領のサウジに対する姿勢は変わるのか? イラン封じ込め政策や巨額の武器売却など政治的・経済的事情以上に、今回の事件はアメリカに根深い問題をつきつけていると、ジャーナリスト杉本宏氏。そこ見えてくるのは、いまだ終わらない「対テロ戦争」の影だ。
5人に死刑求刑、皇太子の関与は否定
サウジアラビアの反体制派ジャーナリスト、ジャマル・カショギ氏がトルコのサウジ領事館内で謀殺された事件は、サウジの「強権手法」を改めて浮き彫りにした。しかし、同時に、米国の対テロ戦争の影もちらつく。2001年に米中枢を襲った9・11同時多発テロの衝撃を受け、米国は暗殺禁止の縛りを緩めて「テロリスト狩り」に走った。サウジ指導部はその手法に倣ったように見える。事件の対応に苦慮しているトランプ政権からすれば、対テロ戦争のつけが回った形だ。
ワシントン・ポスト紙など欧米の有力紙にサウジの実権を握るムハンマド皇太子批判のコラムを寄稿していたカショギ氏が、婚姻手続きのためイスタンブールのサウジ領事館に入ったのは10月2日。トルコ検察によると、館内でサウジの15人編成の工作チームが尋問中に絞殺し、遺体を電気ノコギリで切断して運び去った。
当初、事件とは無関係を通していたサウジ政府は説明を二転三転させ、25日になってようやく「計画的な犯行」だったと認め、検察当局は今月15日、容疑者11人を起訴し、うち5人に死刑を求刑したと発表した。工作チームのリーダーが殺害を命令したとし、皇太子の関与は否定した。トルコのエルドアン大統領は、「サウジ政府の最高位レベルが殺害命令を下した」とし、皇太子の指示や承認なしに計画・実行することは不可能と見ている。
それにしても、なんと杜撰(ずさん)なオペレーションではないか。
政府が背後で糸を引いていることを分からないように裏工作するのが諜報機関のプロだ。しかし、サウジ殺害チームの言動は、監視カメラや録音機でトルコ側に筒抜けになっていた。飛行場から領事館までサウジの「指紋と足跡」を残していたわけだ。サウジの事情に詳しい日本エネルギー経済研究所の保坂修司研究理事は、「あまりにレベルの低い、杜撰な作戦。プロの仕業とは思えない」と語る。
米国に永住するカショギ氏の殺害がたとえ表面化しても、トランプ政権と米議会に批判されることはない、と首謀者たちがタカを括っていた印象は拭えない。単刀直入に言えば、トランプ政権を甘く見ていた、なめていた、ということかもしれない。
たしかに、トランプ政権がムハンマド皇太子の「強権手法」に目をつぶってきたことは間違いない。1100億ドル相当の武器売却を皇太子に呑んでもらっただけでなく、サウジとの緊密な関係はイラン封じ込めに欠かせない。
トランプ大統領は昨年5月、初の外遊先にサウジを選び、皇太子を喜ばせた。サウジが半年後、イランの支援を受けるレバノンのヒズボラに同調的だったハリリ首相を軟禁したときも、今年8月にイランが支援するイエメンの反政府勢力を空爆して子どもを含む多くの民間人が犠牲になったときも、大統領はサウジを非難しなかった。ちなみに、3年前に始まったサウジ主導の連合軍の空爆で犠牲になった民間人は国連の推定で1万6000人。人権団体は5万人を超すと見ている。
こうした経済や政治の費用対便益の計算だけで、ジャーナリスト1人を殺害したくらいで批判されることはない、とサウジ側は踏んでいたのだろうか。
アメリカは「テロリストの拷問・暗殺」を中東に輸出してきた
それも間違いではないが、問題の根ははるかに深い。ワシントンのシンクタンク「新アメリカ財団」の政策アナリスト、デヴィッド・スターマン氏は、「米国が対テロ戦争の一環として中東一帯に持ち込んだ拷問と標的殺害(ターゲテッド・キリング)を容認する姿勢」に着目する。9・11から続く対テロ戦争の過程で、歴代米政権が米軍やCIAの間で共有されていた拷問禁止や暗殺禁止の規範を弱めた結果、対テロ戦争で米国側につくサウジも拷問や暗殺をためらわなくなったというのだ。
振り返ってみれば、ブッシュ政権は「強要尋問」と称した水責めなどの拷問が米国内で批判を受けるため、サウジを含む中東諸国の当局にテロリストの拷問を代行してもらう「拷問の輸出」を繰り返していた。
CIAを使ってイスラム国(IS)やアルカイダの指導者や幹部を闇討ちにする標的殺害について言えば、9・11テロまでは厳禁という了解が米政府内にあった。米国には、政府職員に対し暗殺とそのほう助の禁止を定めた暗殺禁止令(1981年の行政命令12333)がある。わざわざ自国の政府職員に暗殺をやってはダメだと最高指導者が念押ししている国は、おそらく米国以外には存在しないだろう。
とはいえ、9・11の衝撃で、テロリストはこの桎梏の対象から外され、オバマ政権もトランプ政権もイエメンやソマリア、パキスタンなどで対テロ標的殺害を頻繁に行うようになった。なかでも飛躍的に増えたのがCIAによる非公然の無人機攻撃だ。それに伴い、民間人の巻き添え死に対する国際社会の批判が高まっている。
カショギ氏暗殺とテロリスト殺害は紙一重――。米国の攻撃的な対テロ手法を間近で見ていたサウジ指導部がこう勘違いしていたふしはある。ワシントン・ポスト紙の報道によれば、皇太子は、カショギ氏を「危険なイスラム主義者」と見ていた。サウジが敵視するイスラム原理主義組織「ムスリム同胞団」のメンバーだったと、事件発生後、トランプ大統領の娘婿で親しい間柄のクシュナー大統領上級顧問とボルトン大統領補佐官と電話で話した際に語ったという。
トランプ政権の事件への対応は腰が引けている。これまでに公表した制裁はサウジの実行犯ら21人のビザ(査証)取り消しによる米国入国禁止と17人の米資産凍結だけだ。英国で3月に起きたロシアの元スパイ暗殺未遂事件では、ロシアの在米外交官60人を国外追放し、シアトルの領事館を閉鎖した。イラン包囲網の要(かなめ)である皇太子の責任を不問にしたい、というのがトランプ大統領の本音だろう。中間選挙の結果、民主党が制した下院で追加制裁を求める声は強まると思われるが、大統領は武器売却の停止には応じない姿勢を崩していない。これでは、権威主義国や独裁国家による政敵殺害に弾みがつきかねない。
いずれにしても、サウジへの追加制裁だけでは、米国自身の対テロ戦争で緩んだ暗殺禁止の規範の締め直しは期待できない。この戦争が今回の事件の深層を成すことを自覚し、その早期終結の努力をすべきだ。少なくとも、対テロ標的殺害や空爆で最大限のケアをし、民間人の巻き添え死をゼロに近づける方策が望まれる。
あのニュースのホントのところ
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