※11/20 20:05 修正を入れて更新しました。
マイケル・ジャクソンとマドンナという並びは、80年代に青春を過ごした人なら誰でも思い出の一つや二つある名前だろう。その動く姿は全世界に瞬く間に広がり、僕らだけではなく、世界のどこに行ってもこの2人のことを知らない人はいない時代を僕らは過ごしてきた。
とりわけマドンナは自分が売れるだけではなく、ワーナーの役員になり、アラニス・モリセットやミシェル・ンデゲオチェロなどのアーティストを発掘したし、それ以前にBjörkの楽曲を採用して、彼女が世界的に知られるキッカケにもなったりしてる。
レコードがCDになり、CDが配信になって、ある意味物理的な商品としての音楽産業が転換期を迎えた時にいち早くコンサートを主体にしたビジネスモデルに進出し、自分の活動の主体を置きかえるという行動に出たのも彼女だ。
MVでも同じような重要な役割を担ってきた。特に90年代前後から数多くの新しい才能を発掘して、自分の作品を監督させることによって、その後のステップアップにつなげ、映画監督としての地位を築かせた。その1人が後に「セブン」で世界的に評価を受けたデヴィッド・フィンチャー(*1) だ。
マドンナ「ヴォーグ」(1990年)。MVはデヴィッド・フィンチャーが手がけた。
「Vogue(ヴォーグ)」という楽曲は衝撃だった。80年代から90年代に移り変わる頃、写真の世界では広告、特にファッション誌に載るような広告が写真家たちの主戦場だった。ヘルムート・ニュートン(*2) やロバート・メイプルソープ(*3) 他の写真を使った広告は、もはや「作品」であり、その「感覚」は世界中のクリエイターに刺激を与え続けていた。そのファッション誌の写真が動き出し、踊り出したのが「Vogue」だった。
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