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仕事ができる人は小説を読んでいる。

2018.12.05 公開 ポスト

Hi-STANDARDもクイーンも億男もみな悲しい坂口孝則

今回取り上げる本:『億男』(文藝春秋)

あの時、ライブハウスで、ぼくらは未来へ熱狂した

何かがはじまろうとしているときの興奮と光悦を、経験したことのないひとに説明するのは難しい。

1995年の冬、私はライブハウスにいた。私――というよりも、僕といったほうがよいくらいの昔だが――は、そのとき興奮のなかにいた。メロディック・ハードコア、パンク、なんといってもいいが、私にはロックと呼んだほうがしっくりくる。バンド、「Hi-STANDARD」のライブだった。

曲がはじまるやいなや、フロアはめちゃくちゃになった。立ったままのやつなんて一人もいなかった。ダイブ、モッシュ、叫び。会場が一体になり、演奏する側と観客は融解していた。「音楽は観客のみんなと一緒に作るんだ」とアーティストが語るとき、私は嘘だと思っていた。しかし、それはほんとうだった。音楽はたしかに私たちを揺さぶり、そしてそれが演者に力を与えた。

そして重要なことに、観客が興奮していたのは、Hi-STANDARDの音楽だけではなかった。まさにいま私たちの、いや俺たちの音楽が生まれているんだ、それに立ち会っているんだ、という興奮だった。それは、工業製品のように作られた大衆楽曲ではなく、たしかに自分たちの心を掴んで離さない「何か」だった。

そして、私たちが叫んだのは、彼らの先に見えていた、淡くもたしかに感じさせる希望にたいしてだった。大人たちがわからない価値観がある。しかし、僕らが友だち何人かで社会を驚かせる何かをはじめれば、これだけ影響を与えられるんだ。
私たちの心の震えは、私たち自身の未来を感じたゆえだった。

Hi-STANDARDとクイーンの類似性

その後、Hi-STANDARDは順調に活動を続けるように思えたが、なぞの休止に入る。かなり時間はかかったものの、現在は復活している。休止期間に、なにがあったのだろうか。2018年にドキュメンタリー映画「SOUNDS LIKE SHIT: the story of Hi-STANDARD」が公開された。これは結成秘話から、現在までがメンバーのインタビューを中心に語られる。

話は変わるようだが、先日からおなじく話題になっている映画に、英バンド「クイーン」を描いた「ボヘミアン・ラプソディ」がある。ボーカルのフレディ・マーキュリーを中心にデビュー前から、伝説のライブ「ライヴ・エイド」までがストーリーだ。厳密な伝記映画というよりも、フレディ・マーキュリーをむしろ舞台にした、音楽エンターテイメントだと私は思っている。

都合で、その「ボヘミアン・ラプソディ」と「SOUNDS LIKE SHIT: the story of Hi-STANDARD」を、同日に観て驚いた。その構成がほとんど同じだったのだ。「ボヘミアン・ラプソディ」は脚色もされ、感動的なストーリーに仕立て上げられてはいる。しかし、すくなくとも、誰かの人生を捨象してはいる。

どこにも行きようのない者たち。すると音楽という一点で結集し、ファミリーをつくる。試行錯誤と挫折。しかし、そのうちに、成功の後ろ髪が見えてくる。彼らは全力でそれをつかもうとし、実際に、信じられないような僥倖を手にする。

ただ、ともに掴み取ったファミリーも、人間と人間のことだから、機械のようにはいかない。どこかで人間関係のもつれがやってくる。良さに見えていたものが、悪さに転換され、ファミリーへの優しさが希薄となる。

しかし、孤独になって、ファミリーの大切さに気づく。そして、長い時間をかけながら、別離に費やした時間は無駄ではなく、むしろ自分をよりよくするために必要なプロセスだったとわかる。これ以上を述べてしまうとネタバレになってしまうだろう。もしかすると、じゅうぶんにネタバレかもしれない。

ただし、この二作品は、伝聞やネットでネタバレを読んでしまっても、まったく観る価値を減らさない。むしろ、人を描いた画像作品の肝要は、登場人物たちの表情を見ることと、そこから機微を読み解くことだから、その意味では、やはり作品に触れるのを勧めたい。

「億男」が描くお金と幸せ

この連載で最後に取り上げたい作品は、『億男』だ。作者は、東宝の映画プロデューサー、川村元気さん。ヒットし映画化もされた。紹介するのは、いまさらであるものの、お金で人生を語るというのは本連載の最後としてもっともふさわしいように思われる。そして、前述、二つの映画を観て思い出したのが、この小説だった。これはおって説明したい。

簡単なあらすじは、次のとおりだ。主人公は、弟の借金3000万円を肩代わりすることになる。すると、生活に無理が生じ、妻と娘と別居する。そうしているうちに、主人公は宝くじで3億円をあててしまう。この大金を前に、主人公は知人に会いに行くことを決める。それは学生時代からの知人、九十九だった。彼は起業により資産157億円の富豪になっていた。

主人公は、その九十九にお金と幸せの関係について知りたかったのだ。そんな大金をもつと人は幸せになれるのか。九十九は明確な答えを与えない。九十九と酒席で大騒ぎし、主人公は寝てしまう。朝、起きると、九十九と3億円が消えていた――。

そこから、九十九と3億円を探す旅に出、その過程で、主人公は、お金と人生と幸福について考えることになる。

私が好きなのはこの会話の箇所だ。主人公が、さまざまな人と出会った旅の終わりに、妻と出会うシーンがある。主人公は妻に、そろそろ3億円が手に入るはずだという。妻の答えがこれだ。

<「あなたがお金によって奪われた大切なもの。それは“欲”よ」(中略)
「明日を生きるために何かを欲する生き物だから。おいしいものを食べたい、どこかに行きたい、何かが欲しい。そう願うことで、私たちは生きていける」(中略)
「このままだと私たちは明日を生きる気力を失い、やがて愛情もなくなっていく」>

私は、それほど単純なものではないと思うが、この妻の議論は面白い。つまり、大金が手に入ってしまうと、現状をよりよくしたいというプラスの欲望がなくなっていく。好きなものを買って、そこから現状維持にしか気持ちが向かない。だから、その家庭状況は、娘を育てるにふさわしくない。こんな理屈なのだ。

エンディングは、感動的だ。その箇所は本書に譲りたい。

お金よりも、探し続けることが幸福

結局のところ、お金は必要なものではある。ただ、考えてみれば当然で、お金があったら、それだけで幸せになるはずはない。たとえば、お金があればフェラーリを買える。では、フェラーリがあったら幸福か、というとそうではない。だから、お金があれば幸福だという結論になるはずはない。

また、お金があっても、まだまだ向上しようとするひとはいるだろうし、そこから向上しようとする意欲を失ってしまったひとは、もはや幸福なはずはない。そこで、『億男』は印象的なセリフが書かれる。

<チャップリンは言う。
「戦おう。人生そのもののために。生き、苦しみ、楽しむんだ。生きていくことは美しく素晴らしい」(中略)
チャップリンは、こうも言った。
「死と同じように、生きることも避けられない」
だとしたら、僕たちは人生そのもののために戦い、苦しみ、そして生きていくしかない。勇気と想像力とともに>

なるほど、こう見ると、かつてお金と幸福について考えてきた哲学者や思想家たち、あるいは実業家たちが導いた答えは同じだ。つまり、お金と幸福の関係を考えるうちに、それは人生論になっていく。そして、結局は、生きる上での重要な価値観の話になっていく。

この「億男」では主人公が、走るシーンで終わるのは示唆的だ。走る=人生を模索し続けることによってのみ、私たちが幸福のかけらを探すことができる。

「億男」とHi-STANDARDとクイーンの悲しさ

話を二つのバンドに戻す。Hi-STANDARDもクイーンも、自分たちの音楽で大成功を収めた。そして下積みのときとくらべると、かなりの大金も手に入れた。しかし、直線型の幸福はまっていない。いや、もっといえば、成功によって不幸になっているかのように見える。そののちに、自分たちが戻るべき家族を見つけて、やっと、曖昧ながらも幸福をつかもうとする。

それにしてもこれは辛い話ではないだろうか。欲がなければ人間は成長しようとしない。しかし、その欲ゆえに努力し、成功を手にしてしまうと、そこには幸福が待っていない。そこで失うものが多く、そのいくつかは二度と戻ってこない。その過程で成功した自分自身を恨むことすらある。そして、堕ちていくなかで、ふたたび幸福を掴み取る。しかし、その堕ちる深さは事前にわからず、多くの人を絶望に誘う。

ハリウッド映画がなぜ感動的か、という問いは、きっと人生がハリウッド映画的だから、ということになるだろう。映画のプロットで使われる典型的な、冒険→成長→挫折→再成長→帰還、という枠組みはフィクションではなく、リアルなものだからこそ、大衆を感動させる。

そして、きっとこの成長→挫折のプロットからは、誰もが逃れられないに違いない。私たちがせいぜいできるのは、気持ちを備えることくらいだ。

それにしても――。と私は思うのだ。

私が高校生のときに聴いたHi-STANDARDでも、中学校のときに聴いたクイーンでもいい。そのときの感動は、未来を感じたゆえの感動だったと書いた。しかし逆説的に、もっとも幸福だったのは、その未来を感じていた、その瞬間にほかならなかった。

音楽の旋律というのは川の流れに似て、成長や希望を表現し、苦悩や絶望も内包しながら奔流していく。そして、それは彼岸に行き着いたころに振り返ると、そこには輝きがある。しかし、その輝きは、奔流しなければそもそも生まれない。

人間とは限りなく悲しい動物なのかもしれない。

*   *   *

本連載のご愛読ありがとうございました。
来年からは、坂口さんが古典を紹介する新しい連載がスタートする予定です。
お楽しみにお待ちください。

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坂口孝則

1978年生まれ。調達・購買コンサルタント、未来調達研究所株式会社所属、講演家。大阪大学経済学部卒業後、電機メーカー、自動車メーカーに勤務。原価企画、調達・購買に従業。現在は、製造業を中心としたコンサルティングを行う。著書に『牛丼一杯の儲けは9円』『営業と詐欺のあいだ』『1円家電のカラクリ 0円iPhoneの正体』『仕事の速い人は150字で資料を作り3分でプレゼンする。』『稼ぐ人は思い込みを捨てる。』(小社刊)、『製造業の現場バイヤーが教える調達力・購買力の基礎を身につける本』『調達・購買の教科書』(日刊工業新聞社)など多数の著書がある。

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