第二次大戦後、日本と同じく占領期に制定されたドイツの憲法「ドイツ連邦共和国基本法(Grundgesetz für die Bundesrepublik Deutschland)」は、これまで60回以上の改正がなされてきました。一方、日本国憲法は改正ゼロ。そして改憲の話が出ると急に社会全体が「反対・賛成」に二分され、議論が硬直するのはなぜなのでしょうか。ドイツ基本法と日本国憲法の歩みを比較してもらいました。
60回以上の改正を重ねるドイツ「基本法」
安倍晋三首相が自民党総裁選に勝利してから、改憲というテーマが今また新聞をにぎわしている。
日本での改憲をめぐる議論をドイツから見ると、いくつか興味深い点があることに気づく。戦後、日本国憲法がこれまで一度も改憲されていないという事実や、議論が感情的かつ特定のテーマに限られていることなどである。議論の核心はほぼ第9条と自衛隊をめぐると言ってよい。対照的にドイツの憲法にあたる「基本法」は施行以来60回以上の改正を重ねている。
はじめに日本国憲法とドイツ基本法との間の多くの類似点を確認する。両者はともに第二次世界大戦後の占領期に制定された。占領期のドイツ西側地区ではドイツ人の政治家と法律家からなる議会評議会によって条文が起草されたものの、占領軍であるアメリカ・イギリス・フランスによる指導があった。一方ソ連が占領した東側地区はこの作業に参加していない。ソ連占領地区には後にドイツ民主共和国(旧東ドイツ)が成立した。議会評議会での審議では憲法草案に占領軍の意向が十分に反映されたうえで、最終的に認可を得る必要があった。この意味で日本と同様にドイツでも基本法は完全なる「自主憲法」であるとは言い難いのである。
日本国憲法とドイツ基本法の構成は類似している。基本権、政治制度、司法、財政に関する条項が存在する。それぞれ最も強い権限を持つ議院である連邦議会と衆議院の権限、行政府の長である連邦首相と内閣総理大臣の権限など、両国の政治体制には一致する点が多い。最も目立つ相違点としては集権性の度合いが挙げられる。基本法はドイツを16の州からなる連邦国家であると規定している。各州は財政や教育など様々な分野で高度な自治権と政治的権限を有しており、中央の連邦政府の権力は制限されている。一方、日本は中央集権国家であり、都道府県と市町村など地方自治体の政治的権限は強くない。
60回を超す基本法の改正は様々な分野に及んでいる。1950年代には再軍備に伴い連邦軍に関する規定が基本法に盛り込まれた。1960年代には緊急事態条項の制定によって防衛・災害に際しての措置が成文化されることとなった。1990年代には住居の不可侵が一部制限されたことで重大犯罪の捜査の際に通信傍受が可能となった。連邦と州との関係、あるいは欧州統合の深化に伴うドイツと欧州連合との関係に伴い、基本法は何度も改正された。
西ドイツで“仮”で使用していた「基本法」が再統一後の憲法のベースに
基本法の観点からも1990年のドイツ再統一は歴史的大事件であった。なぜならばドイツ人は来るべき再統一の際に占領軍の影響を排した「真の」自主憲法を制定することを前提としていたからであり、これこそが1949年に制定された基本法が当初は仮とされ、「憲法」と呼ばれなかった理由であった。基本法の制定にはソ連占領下であったドイツ東部地域が関与できなかったという事情もあった。現に、最後の146条(旧)には、ドイツ国民自主憲法をつくったときに、つまりドイツ統一がなされた場合、この基本法は失効するとも書かれていた。
しかし基本法は時を経るにつれて完全に定着し、国民から広範な支持を得るに至った。実際、1990年のドイツ再統一の際、新たな憲法の制定という当初の目標は後退し、基本法をベースにして調整がなされた。基本法は政治と国民感情との合致によって、事実上の憲法としての地位を確固たるものとしたのである。元々の基本法の方向性を示したのは占領軍であり「ドイツ人」自身ではなかったという事実はもはや問題視されなくなった。
連邦憲法裁判所が「基本法」の番人
基本法の改正はドイツにおいても容易ではない。改正に際して国民投票は無いものの下院の連邦議会と上院の連邦参議院での3分の2以上の賛成が必要となるため、党派を超えた広範な合意形成が求められる。基本法が必要に応じて改正されることは自然なことであるというのがドイツでの考え方である。政治、社会、国際関係の発展に伴い社会での優先順位、要求、制度もまた変わっていくからである。しかしながらなぜドイツでは基本法の改正が比較的スムーズに行われるのだろうか。その根本的な理由は連邦憲法裁判所の存在にあると言えるだろう。
連邦憲法裁判所は1951年、基本法の施行から2年後に設立された。その任務は新たに制定された法律が基本法と適合するか否かを審査することにある。ドイツ連邦共和国において、連邦憲法裁判所は前例の無い新たな機関としてスタートした。設立当初、連邦憲法裁判所と民法の最上級裁判所である連邦裁判所との間には摩擦が多かった。しかし時間と共に連邦憲法裁判所は広く認知され権威が認められるようになった。連邦憲法裁判所が法律やその一部について違憲であると審査し、議会に改正や廃案を指示した判例も多い。こうして連邦憲法裁判所は「基本法の番人」として威信を高め、時勢に応じた改正を経てもなお基本法の根幹は揺るがないという信頼感が醸成された。
ドイツから日本を見たとき、憲法の様々な条項の改正について吟味されるのは自然なことのように思われる。例えば憲法に連邦制的な要素を取り入れることで地方の発展が促進されることも考えられるし、その結果、参議院の機能も変わり得る。参議院がアメリカ上院やドイツの連邦参議院のように様々な地域の代表者による議院として組織されるような場合である。あるいは地方自治体を現在の都道府県よりも大きな単位とし、より強い自治権と高い財政的独立性を与えることも可能であろう。また、日本は自然災害が多いため、緊急事態条項の制定にも意義があると思われる。自衛隊の位置づけについては最も活発な議論がなされており重大な争点である。しかし現に自衛隊が存在しており、すでに国民から広範に受け入れられていることを考えると、9条の改憲は現状に大きな影響を及ぼさないのではないだろうか。
日本での憲法改正論議はドイツ人としては興味深い。なぜ幅広く発展的な論議がなかなか行われないのだろうか。そしてなぜ感情的でない落ち着きある論議が難しいのだろうか。日本に憲法の順守状況を監督する独立機関が存在しないことが一因かもしれない。そのため結果として将来的に想定外の事態を招く恐れがある場合、改憲の作業に手を付けることを避けようとする風潮があるのかもしれない。仮に日本にも高度な権限を持つ憲法裁判所が導入されたならば、党派を超えた広範な憲法改正論議の契機となるとは考えられないだろうか。
改憲ってほんとにするの?
世論調査をみても、経済政策や社会保障といった話題に比べると国民の関心が低い「憲法改正」。なのに新聞では連日とりあげられ、改憲が当然の空気も醸し出されている。改憲前に知っておきたい話のあれこれ。