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カラス屋、カラスを食べる

2018.12.05 公開 ポスト

今日のおしごとは「ウンコ拾い」だ松原始(動物行動学者。東京大学総合研究博物館勤務。)

京都大学在学時からカラスに魅せられ25年。カラスを愛しカラスに愛されたマツバラ先生が、その知られざる研究風景を綴った新書カラス屋、カラスを食べる』を一部無料公開。愛らしい動物たちとのクレイジーなお付き合いをご賞味あれ。
※前回までのお話は
こちらから。

(写真:iStock / Rawpixel)

カラス屋、昆虫を捕まえる

 2001年、6月。朝5時30分。

 始発電車に乗って、近鉄・新田辺駅に到着する。背中には大型ザック。その中に、さらにデイパック。デイパックに常に放り込んである双眼鏡と、調査用に持って来た一眼レフ。その他の道具もろもろ。そして何より、2リットルのペットボトル3本がズシリと重い。

 駅から最寄りの調査地である「木津川12番砂州」までは、歩いて15分ほどだ。どうやら毎年アオバズクが繁殖しているらしいお屋敷の前を通りすぎて、木津川の堤防へ。堤防の脇にある物置小屋に入る。かさばる調査道具はこの中だ。

 工具箱に入れた調査グッズ。紙コップ50個。スコップ。アルコール。スクリューバイアル(ネジ蓋付きの標本瓶)。ピンセット。小型テント。望遠鏡。三脚。脚立は……今日は無理だ。荷物を全て詰め込んだザックを、えいやっと背負う。さすが最大80リットルの容量を誇る巨大ザックは、これだけのグッズをなんとか呑み込んでくれた。だがパンパンだ。重さもかなりある。

 折り畳み自転車を出し、堤防の上のサイクリングロードに運ぶ。自転車にまたがり、ペダルを踏む足も軽く……と言いたいが、重い。踏み出しが非常に重い。担いだザックのぶん、20キロ以上も増えていれば、当然そうなる。

 だが、急がなければ。

 サイクリングロードを疾走し、3キロ先の別の調査地、「15番砂州」に到着。砂地の奥まで自転車を乗り入れる。途中で砂が深くなるので自転車を押して歩く。いつもの観察ポイントに自転車を置き、荷物を放り出す。今日は1回で済んだからまだマシだ。荷物が多い時は、もう1往復することもある。

 紙コップとアルコールとスコップを袋に入れて、砂州の上を移動。メジャーを出して、水際から2メートルの場所に棒を立てる。この棒が、「ここからトラップが始まりますよ」という目印だ。

 スコップで穴を掘り、紙コップを穴にぴったり入れて、周りをきちんと砂で埋め戻す。これはピットフォールトラップ、砂の上を歩いて来た昆虫が、そのままストンと落ちるための仕掛けである。ちゃんとコップを緑の高さまで砂に埋めるのがポイントだ。コップの縁がたとえ数ミリでも突き出していると、小さな昆虫にとっては「壁」になってしまい、落とし穴に落ちてくれない。

 埋め込んだら、中に70パーセントのアルコールを少量入れ、1メートル離して次の紙コップを埋める。このトラップは一列20個だ。

 鳥の研究者がなにゆえ昆虫を捕まえるのか? それは、ここで調査しているチドリの餌が昆虫だからである。どういう餌がどんな分布をしているのか、チドリの行動は餌の分布とどんな関連があるのか、そのバックグラウンドを含めて知りたいのだ。この調査は大きな研究グループで行っているので、昆虫班に頼んでもいいのだが、彼らは彼らで研究テーマがある。だから、やり方だけ教わって自分でやることにした。もっとも、採集した昆虫の同定は専門の先生に頼むしかない。

ウンコ拾いのために来たのだ

 時計を見る。6時15分。さっさとやらなければ。

 日が昇って暑くなり始めた砂州にしゃがみ込み、黙々とトラップを仕掛ける。水際の列を仕掛け終わったら、荷物を持って内陸へ移動。水際から20メートルのところで、再び同じことをやる。距離は測歩だ。私の足のサイズは26・5センチ。二つで50センチ強。

 終了したのは7時過ぎだった。この調査は日中の昆虫相と、夜間の昆虫相の比較を目的としている。19時になったら日中のサンプルを回収し、トラップを設置し直す。明日の朝7時に夜のサンプルを回収だ。19時に回収と仕掛け直しを済ませて家に帰り、明日の朝7時にまた来るという手もあるし、そうする日もあるが、今日は違う。チドリの夜間採餌の観察も行いたいので、明日の朝7時まで、ざっと25時間余り滞在する予定だ。

 川の向かい側は国道、こっち側の堤防の向こうは水田。2キロほど戻るとホームセンターがあり、2キロほど先にはコンビニがある。決して人跡未踏な場所ではないのだが、周囲2キロ以内には、水も食べ物も調達できる場所がない。ここは京田辺市、れっきとした「市」の中で、国道と鉄道2本に挟まれた場所なのに、私は孤立している。しかも日中の気温は30度を超え、砂州の表面温度は60度近くになる。一番近い日陰は、自分の影だ。残念ながら、ここに入るわけにはいかない。ま、ちょっとしたサバイバルである。

 チョコチップスナックパンを取り出し、缶コーヒーと一緒に朝飯にする。気温はじりじりと上がり続けている。デイパックにつけた小さな温度計は30度を超える温度を表示しているが、これは気温ではない。直射日光に当たっていれば当然だ。

 今日の調査のメインは、糞拾い。書き間違いではない。ウンコ拾いである。チドリが何を食べているか知るために、糞を拾うという作業だ。拾った糞は研究室に持ち帰って分析する。

 水際を歩けば、あちこちに小鳥の糞が落ちている。だが、「チドリの」食べているものを調べるとなると、チドリの糞だとわかっているものしか拾ってはいけない。まずいことに、この川にはチドリだけでも3種類いるし、イソシギもいる。セキレイも3種類いる。ホオジロやカワラヒワが水浴びしていることもあるから、そういった小鳥も、水浴びのついでに糞を残して行くことはあるだろう。

 では、どうやって誰の糞か確かめるのか? 簡単だ。1羽のチドリを、糞をするまで、ずっと見ていればいい。実にシンプルで、間違いようがない。

 ただ、糞をするのは、だいたい2時間に1回である。

 望遠鏡にコチドリを捉え、じっと見る。もちろん糞拾いだけではもったいないので、この個体の採餌範囲も見るつもりだ。地図のコピーを挟んだクリップボードを出し、汀てい線せんのどこまでを利用したか、ペンでプロットしてゆく……。

 ダメだ、眠い! 夕べは遅かったし今朝は早かった。だが寝てはいけない。一瞬でもウトウトしたその瞬間に糞をされたら、この観察はパァなのだ。ゴールデンバットを1本吸ってなんとかその刺激で目を開け続ける。コーヒーがぶ飲みはダメだ。トイレに行くヒマもないからである。

関連書籍

松原始『カラス屋、カラスを食べる 動物行動学者の愛と大ぼうけん』

カラス屋の朝は早い。日が昇る前に動き出し、カラスの朝飯(=新宿歌舞伎町の生ゴミ)を観察する。気づけば半径10mに19羽ものカラス。餌を投げれば一斉に頭をこちらに向ける。俺はまるでカラス使いだ。学会でハンガリーに行っても頭の中はカラス一色。地方のカフェに「ワタリガラス(世界一大きく稀少)がいる」と聞けば道も店の名も聞かずに飛び出していく。餓死したカラスの冷凍肉を研究室で食らい、もっと旨く食うにはと調理法を考える。生物学者のクレイジーな日常から、動物の愛らしい生き方が見えてくる!

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カラス屋、カラスを食べる

カラスを愛しカラスに愛された松原始先生が、フィールドワークという名の「大ぼうけん」を綴ります。「カラスの肉は生ゴミ味!?」「カラスは女子供をバカにする!?」クレイジーな日常を覗けば、カラスの、そして動物たちの愛らしい生き様が見えてきます。

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松原始 動物行動学者。東京大学総合研究博物館勤務。

1969年、奈良県生まれ。京都大学理学部卒業。同大学院理学研究科博士課程修了。京都大学理学博士。専門は動物行動学。東京大学総合研究博物館勤務。研究テーマはカラスの生態、および行動と進化。著書に『カラスの教科書』(講談社文庫)、『カラスの補習授業』(雷鳥社)、『カラス屋の双眼鏡』(ハルキ文庫)、『カラスと京都』(旅するミシン店)、監修書に『カラスのひみつ(楽しい調べ学習シリーズ)』(PHP研究所)、『にっぽんのカラス』(カンゼン)等がある。

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