年下に片思いする文系女子、不倫に悩む美容マニア、元彼の披露宴スピーチを頼まれる広告代理店OL……。恋愛下手な彼女たちが訪れたのは、路地裏のセレクトショップ。不思議なオーナーと自分を変える運命の1着を探すうちに、誰もが素直な気持ちと向き合っていく――。
17万部突破のロングセラー、『試着室で思い出したら、本気の恋だと思う。』は、繊細な大人たちの心模様を丁寧に綴った恋物語。本書の中から、短編「あなたといたい、とひとりで平気、をいったりきたり」を、5回に分けてお届けします。
似合い過ぎるスカート
良かった。
最近やたらと多いフレンドリーな接客がメイコは苦手だ。特に初めての店で、あれやこれやと声をかけられるのはたまらない。「これ、かわいくないですかー?」と店員に言われても答えようがなく、いつも沈んだ気持ちになるのだ。
ここの店員は、そういうことは絶対に言わなさそうだ。
メイコはまず鏡の前で、服の上から小花柄のスカートを当ててみた。やわらかい素材は、着心地もふんわり軽そうだ。透け感のある生地が小花柄を繊細に引き立てている。タイトなシルエットはすっきりとしていて、ぽっちゃり体型のメイコでも、幾分痩せて見えるだろう。
自分で言うのもなんだが、かなり似合う。着てみるまでもなく、それがわかる。
良太郎がいかにも好きそうだ……。
そう思って、少し苦笑を浮かべた。
良太郎のフットサルチームは、七年前の成人式で盛り上がって、その勢いで結成したらしい。蒲田の男たちの意で「カマンズ」、それがチームの名前だ。小中学校のサッカークラブ出身者が中心だから、三駅離れたメイコとは同窓ではない。とはいえ、良太郎の彼女になってから試合にもちょくちょく顔を出しているので、メイコにとってもすでに十年近くの間柄になる。
週末の練習や試合が終わると、決まって蒲田駅周辺の居酒屋か、誰かの家にメンバーが集まり、鍋やらバーベキューやらをする。メイコは仕事がある日でも、夜の酒盛りから参加するのが常となっていた。
前回メイコが顔を出したのは、二週間前の日曜日。その夜は良太郎の幼なじみの圭介の家で豚鍋だった。その前の週は、確か鶏だんご鍋だった気がする。
「あのアシストをさー、逆サイに蹴るオマエはどうなのよ」
メイコが到着したとき、圭介はすでに赤ら顔で良太郎にからんでいた。自称エースストライカーの圭介は、二十五を越えたあたりからお腹まわりに肉が付きはじめ、サッカーよりも、お酒のほうが好きそうではある。
「うるせー。お前のパスもボテボテだったじゃねーかよ」
缶ビールを飲みながら、そう言った良太郎も耳まで赤くなっていた。
良太郎の地元メンバーは、年のわりにみんなちょっと老けている。もちろん口にはしないが、三十路をとっくに越えてますと言われてもだいたいの人は納得してしまうだろう。フットサルのあとなので、みんなジャージやトレーナーを着ているせいもある。それを差し引いてもなんとなくおじさんくさいというか、まだ独身がほとんどなのに、どこか所帯じみている。実家暮らしが多いせいかもしれない。
「良ちゃん、デカいわりに足もと上手いのが売りだったじゃない。小学校はフォワードだったわけだし」
実家の酒屋を継いでいるゴールキーパーの剛が参戦する。中学の都大会では、セーブ率の高さで名を馳せたが、彼の自慢の巨軀も、筋肉から贅肉へ着実に移行している。
「俺のセーブがなかったら、剛は相当シュート入れられてるって」
良太郎がめずらしく饒舌になっていた。ルールさえ覚えられないメイコは、誰がどこのポジションなのかもわかっていない。そもそもフットサルにサッカーのようなポジションはあるのだろうか。
「でも良ちゃんは、腹が出ないだけ立派だわ」
そう言って、剛は自分のお腹をポンと叩いて、立派な音を鳴らした。
「そういや四中の田島香里、結婚したっておかんに聞いたわ」
このニュースを持っていたのは、みんなに山ちゃんと呼ばれる山口くん。肩まで伸びた髪の毛を、うしろでひとつに結んでいる。一カ月前に彼女にフラれ、みんなで残念会をして励ましたばかりだ。
「マジかよ。田島香里、ちょっとかわいかったのに」
圭介が口を尖らせる。
「そーいや拓郎が、田島に告ってたよなー」
どうやら山ちゃんも田島香里が気になっていたらしい。拓郎というのは、今日は出張で欠席のメンバーのひとりだ。
「ゴメンナサイ言われてました!」
圭介がすかさず笑いに変えた。
「良太郎くんとメイコちゃんは、いつから付き合ってるの?」
最近圭介がフットサルに連れて来るようになった彼女が、メイコに聞いてきた。答えようとする前に圭介がニヤニヤと言った。
「こいつら、マジ異常だから。良太郎はメイちゃんとしか付き合ったことないんだぜ」
えっと、それはわたしも一緒です。メイコは心の中でつぶやいた。
良太郎以外の男の人と付き合ったことがない。手をつないだことも好きになったこともない。それが異常なのか、正常なのか、メイコには判断もつかない。圭介の歴代の彼女を、メイコは少なくとも四人は知っていた。いつの間にか、このフットサル飲みから姿を消した女の子たちだ。そう考えると、十年も付き合ってるなんて、すごいことかもしれない。
わたしも良太郎と別れたら、ここに座ることもなくなるんだな。
鍋に豚肉を追加で投入しながら、ぼんやりとメイコは思った。当たり前のことなのに、そんなことは今まで想像したこともなかった。
ビールが焼酎に変わり、いい感じで酔いがまわってくると、決まって昔話がはじまる。白菜やマロニーがクタクタに溶けてくる頃だ。誰かの武勇伝、いたずらをした話、サッカー部の顧問だった先生のモノマネ、かなわなかった恋の話。
毎度似たような展開で、終盤戦の鍋をつつく。お酒の弱い山ちゃんは、こくりこくりと船をこぎはじめた。
おなじみの話題と、おなじみの光景を、メイコは退屈に感じることが多くなってきていた。実際、良太郎たちだって時間をつぶすように会話をしているふしがある。メイコは特に口も挟まず、ただ聞いているふりをする。
「ちょっとメイちゃん、ポン酢取って」
酔っ払った圭介が、鍋に残った豚を食べようとしている。
「メイちゃんはいい奥さんになるねー。あ、もうすでに嫁みたいなもんか」
ポン酢の瓶を渡すと、冗談半分で圭介が言った。
わたしは毎年冬の間に、どれだけのポン酢を飲んでるんだろう。
この鍋は、この冬何回目の鍋だろうか。
そう考えると、メイコは切ない気持ちになった。哀しいとも情けないとも違う、なんとも言えない切なさ。日本の二十七歳女子の中で、わたしの年間ポン酢摂取量は、群を抜いているはずだ。良太郎と結婚しても、このまま鍋を食べ続けるのだろうか。
はじめの頃のようにドキドキしながら良太郎のお椀にポン酢を注いだり、雑炊に失敗しまいと丁寧に卵を落としたりすることは、もう二度とない気がする。一緒にいることに、あまりにも慣れてしまい過ぎている。
仲間の話にいつまでも笑っている良太郎の顔を見ていると、そんな意地悪なことを思ってしまった。
「お客さま、いかがですか?」
店員の声が聞こえる。我に返ってメイコは焦った。扉の向こうに人がいる気配をまったく感じなかったのだ。
「あ、もうちょっと待ってください」
のろのろと着替えていたので、はいてきたデニムのスカートが脱ぎっぱなしだ。それをたたんで、あわてて扉を開くと、背の高い店員が立っていた。
ブーツをはいて試着室から出てみる。
「小花柄は好きなんですけど……。色合いも好きなテイストだし」
わきの壁にある鏡で、全身を映してみる。やはり似合うことには間違いない。これなら良太郎も間違いなくかわいいと言ってくれるだろう。スカートの色は、今日のネイルにもぴったり合っていた。
「何か、気になる点がございますか」
やわらかい口調で、店員が聞いてくる。
「うーん」
メイコは確かに、何かが気になっている。でもそれが何なのかが、わからなかった。
「お似合いになり過ぎることでしょうか?」
店員にそう言われて、メイコはハッとした。
そうかもしれない。似合うのと、似合い過ぎるのは、違うのか。そのふたつが別のものだと思うと合点がいく。
新しい服を着ているのに、なぜか気持ちがリフレッシュしない。お気に入りのスカートなら何枚あってもいい。小花柄ならいくつ持っていてもいい。それでは何も変わらないのだ。
「似合い過ぎなのかも、しれないです」
わたしが気になっていたのはそこなんだ。
(続く)