電車での忘れ物を保管する、通称・なくしもの係。そこにいるのはイケメン駅員となぜかペンギン。不思議なコンビに驚きつつも、訪れた人はなくしものとともに、自分の中に眠る忘れかけていた大事な気持ちを発見していく――。
第5回「エキナカ書店大賞」第1位に輝いた、『ペンギン鉄道なくしもの係』。駅のなかの本屋さんが選んだ、「いちばんオススメの文庫本」です。今回は特別に、本書の冒頭を少しだけみなさんに公開します。
出会いの地を訪ねて
岩見は会話のできる静けさを求めて階段をおりたそうにしていたが、響子はホームの白線ギリギリに立っているペンギンが心配で、立ち去れなかった。ペンギンは風にあおられ、少し後ろにさがったものの、フリッパーをふわっと持ち上げ、見事にバランスをとってみせる。はじめてあの手が羽に見えて、響子は思わず拍手した。
電車のドアがひらいたが、誰もおりる者はいない。折り返し運転になるという自動アナウンスが流れる中、ペンギンは足をそろえて器用にジャンプし、電車に飛び乗った。
「わっ。乗っちゃった。どこ行くんだろ? いいのかな?」
響子はたまらず声をあげる。昨日もペンギンはこうやって電車に乗ってどこかへ出かける途中だったのだろうか? 響子以外の乗客があまり騒がなかったのは、このペンギンのお出かけがそう珍しいことではないからかもしれない。
響子はふと昨日見た夢を思い出す。肩にかけずに両手に抱えたままだった黒のメッセンジャーバッグを見下ろすと、岩見に言った。
「私達も乗りませんか、電車?」
「え、なんで? 今? この電車に?」
岩見の疑問はもっともだし、守保に断りもせず駅から離れることに困惑しているのがありありと伝わってきたけれど、電車の発車メロディ──また『SWEET MEMORIES』だ──が流れたのを機に響子はペンギンと同じように足をそろえてジャンプし、電車に飛び乗ってしまう。すると、岩見も「それはまずいんじゃ?」と言いながらついてきてくれた。
二人が乗った瞬間、電車のドアがしまる。
ペンギンのいる車両に移動する響子の背中に、岩見の途方に暮れたような声がかかった。
「笹生さん、どうして?」
響子は三両編成の真ん中の車両にペンギンを見つけると、じゅうぶんに距離をとって止まる。そしてようやく岩見にふりむき、深々と頭をさげた。
「申し訳ありません。でも、なんか、きっかけが欲しくて」
「それは、骨壺をあけるきっかけ? それともあけずに持ち帰るきっかけ?」
岩見が眉間に深いしわを寄せて響子の抱くメッセンジャーバッグを見ながら尋ねてきたが、響子はうまく答えられなかった。少なくとも、あの暑いプラットホームにあのままいるよりは何かが動き出す気がしただけで、その『何か』が何なのかはまるで見当がついていない。そもそも自分の気持ちがわからなかった。それはフクに対する気持ちがわからないということと同じかもしれない。
響子は岩見と隣り合ってシートに座り、しばらく無言のまま電車にゆられていたが、思いきって口をひらいた。
「岩見さんの猫ちゃんのお名前は?」
「え……、ミイ……コ、だけど」
「ミーコ? じゃあ、女の子?」
「そうだね」
「そっか。……つらいですか、今?」
響子は尋ねながら岩見の表情を盗み見る。岩見は一瞬呆けたように視線を宙にさまよわせた後、目をつぶった。長い睫毛の影が頬に落ちる。
「うん。つらいよ。ミーコのいない生活はボーッとしちゃってダメだね。挙げ句こんな忘れ物までしちゃうし」
岩見が力ない苦笑と共に飼い猫への愛情の深さを示すと、響子はそっと肩をさげた。
工業地帯を過ぎると、油盥線は支線からそのまま本線の波浜線に合流し、美知の家があるニュータウン方面からの乗客が響子達の車両に乗ってきた。昨日と同じようにドアのすぐ近くに立っていたペンギンの姿も、増えた乗客達に隠されて見えなくなる。なんとなく視線の逃げ場になっていたペンギンを失い、響子は話題を探して何度も上体をねじり、窓の方を向いた。すると今度は岩見が「電車、好きなんですか?」と聞いてくる。
「好きというか珍しいって感じ。いつもは車にしか乗っていないので」
響子はレンタカー会社に勤めていることを明かした。
「通勤も車だし、仕事中もレンタル用の車を他の営業所に移動させる業務があったりして、電車に乗る機会はほとんどないんですよね」
「へえ」と言った岩見の顔に親しみのこもった笑みがひろがる。
「俺も通勤もプライベートも車派ですよ。なのに、昨日だけはどうしても仕事先の関係で電車移動になっちゃって……」
「あ、私もそう! この間の週末にマイカーが故障して、たまたま修理に出してたんです。車があれば電車なんか使っていなかったし、電車の中に忘れ物もしなくて済んだのに」
響子の言葉に、岩見も響子自身も思わずため息をついた。
「俺ら、なんか似てるね」
岩見がぽつりと言う。口調はすっかりくだけていた。
「うん」と響子もうなずき、「すごい偶然」と噛みしめるように言う。
フクとミーコが私達を出会わせてくれたのかもしれませんね、とはさすがに言えなかったが、心の中ではその可能性についてずっと考えていた。これこそ、響子が十三年前からあこがれつづけていた『運命の出会い』ってやつかもしれない。
無意識にメッセンジャーバッグの肩紐を強くにぎりしめていた響子に、岩見が言う。
「どうだろう? 笹生さん、俺を信じてもらえないかな?」
「はい?」
響子が夢見心地のまま隣を見ると、岩見は足元に置いたボストンバッグのジッパーをあけてメッセンジャーバッグを覗かせた。
「こっちが君の猫の骨だよ。俺がこの目でたしかめた。もし笹生さんが骨壺をあけるのが忍びないなら、俺を信じてバッグを取り替えてくれないかな?」
響子は自分の膝にのせたメッセンジャーバッグを見下ろし、耳が熱くなるのを感じる。一瞬、「信じてついてきてくれ」的なプロポーズなのかと本気で考えてしまった自分の妄想跳躍力が憎い。
響子はとりつくろうように姿勢を正し、メッセンジャーバッグをなでた。
「フクと帰るには岩見さんとバッグを交換すればいいんですね。わかりました」
「ありがとう! 忘れないうちに、バッグを取り替えておこうか」
岩見がいそいそとボストンバッグからメッセンジャーバッグを取り出している間、響子は何気なく視線を前にやる。と、つり革につかまった乗客達の間から向かいの車窓の風景が目に入り、丘の上に立つ小さな観覧車が見えた。見えた、と思った瞬間、響子は「ここ!」と大声を出して立ち上がっていた。
とつぜん奇声を発した女に車内がざわめき、驚いてメッセンジャーバッグを落としそうになった岩見はあわてて抱える。
「笹生さん? どうかした? 『ここ』って?」
電車が減速し、停車の準備に入ったのを察して、響子はメッセンジャーバッグを肩に担ぐ。ドアの方へと向かいながら、岩見にふりかえって頭をさげた。
「すみません! 私、次でおります」
「え? 次って『華見岡』? なんで? バッグは? 取り替えないの?」
岩見が混乱しながらも、ボストンバッグとメッセンジャーバッグを両手に提げてついてくる。響子はドアからも見える観覧車を指さし、早口で告げた。
「あの観覧車のふもとが、十三年前に私がフクと出会った場所なんです。あの時は車で出かけたんで、華見岡って駅が最寄りだとは今日まで知りませんでした」
岩見は「へえ」と言ったきり、口をつぐむ。どう反応していいかわからないのだろう。響子は呼吸が速くなるのを懸命に抑え、岩見の黒々とした眉毛を見た。
「こんな日に偶然もう一度通りがかれるなんて……『運命』を感じます」
言った。ついに言ってしまった、運命って。響子は気恥ずかしくなってうつむく。
岩見は「ウンメイ」とたどたどしくつぶやいた後、「せっかくだから、フクとの思い出をたどりたいってことかな?」と我慢強い歯科医のような口調で尋ねてきた。
響子がうつむいたまま「すみません」と頭をさげると、岩見は観念したようにうなずく。
「わかった。俺も付き合うよ。だけど、きっとあの赤い髪の駅員が心配していると思うから、観覧車まで行ったら、今度こそ本当に海狭間駅に戻りましょう。それで、駅員の前でバッグを交換して帰りましょう。約束だよ」
岩見のりりしい眉毛が片方だけあがる。響子は岩見が自分の運命の場所についてきてくれるという事実に舞い上がり、約束の内容をちゃんと理解しないままコクコクコクとまた三回うなずいた。
(気になる結末は本書にて!)
★今作の続編となる『ペンギン鉄道 なくしもの係 リターンズ』が12/6(木)に発売開始!
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