セックス、ギャンブル、アルコール、オンラインゲーム……人間はなぜ、これらをやめることができないのか? 鍵を握るのが、脳内物質「ドーパミン」だ。テレビなどでもおなじみの脳科学者、中野信子先生の『脳内麻薬――人間を支配する快楽物質ドーパミンの正体』は、そんな不思議な脳のしくみに迫った一冊。ドーパミンの働きから、そのコントロール法まで、知的好奇心をくすぐる本書の一部を公開します。
あのとき脳で何が起きているか
ほかの快感と同じく、セックスの快感にもA10神経を中心とする報酬系が関わっています。
近年では、被験者に性的な写真やビデオを見せながら、脳の活動をスキャンする研究が進んでいます。それによると、性的な内容の映像を見ると確かに報酬系が活性化しているのです。
ノースウェスタン大学のポール・リーバーらはこの手法を用いて、被験者に性行為映像を見せる実験を行いました。
ここから容易に推察されることですが、いわゆるオーガズムのときには報酬系が大活躍しているのです。オーガズムは脳の中で起こるもので、その結果として筋肉の収縮や射精などの身体的反応が起こります。
脳内の報酬系の動きを調べるためには、放射線のラベルのついた化学物質を使わなければならないのですが、これは体内ですぐ分解してしまうため、測定時期の直前60秒以内に静脈注射しなければいけません。
そのためオーガズム中の脳の活動を調べるのは非常に難しいのですが、オランダのフローニンゲン大学医療センターのヘルト・ホルステーヘが実験に成功しています。
その結果、男性でも女性でも、オーガズム中にA10神経の根元にあるVTA領域と、A10神経が伸びていてドーパミンを放出している先の部位の双方が強く活性化していることがわかりました。しかもその活動パターンは男女で大きな差がありません。
唯一大きな違いは、男性では「中脳水道周囲灰白質」という、痛みと鎮痛に関わる部分が活性化していることがわかったことです。ここはエンドルフィンを放出する場所ですが、なぜ、オーガズム中にその部分が活性化しているのか、その生理的な意味はまだよくわかっていません。
「セックス依存症」のしくみ
セックスの快感に報酬系が関与していることが明らかになると、セックス依存症になるしくみも見えてきます。
一般的には、あるいは理想的には、セックスは愛情を伴った関係にある人たちの間で行われる行為とみなされています。ですが、現実的には、特に愛情を伴うことがなくとも、身体の特定の箇所に対する刺激だけで、性的な快感は得られます。
性的な快感をもたらす刺激は、脳の報酬系を活性化させますから、その快感があまりに大きいと、耐性が形成されてしまいます。そして、性的な刺激の頻度や強度が増し、やめたいと思っても離脱症状が起こってやめられない状態になります。
この状態はあらゆる依存症の中で、もっとも助けを求めにくく、また周囲から理解してもらいにくいものでしょう。セックス依存の知識のない人が、激しい性的欲求を示す人を見ても、当人の趣味・意思で行っているとしか考えないからです。
おそらくこの病気は人間及びごくわずかの例外的な動物に特有のものです。ほとんどの動物が、メスが妊娠可能な時期にしか性衝動が起きず、性行為もしないからです。
その時期は短く、行為を楽しむというより、オスならばいかに多くのメスと、メスならばいかにいいオスと交尾して子孫を残すかという競争に費やされます。
生物の進化の最後に現れた霊長類、その中でも人類だけが、子孫を残すためのセックスの何倍もの時間をかけて、ただ楽しみのためにセックスをし、セックスをしても子孫を残さない工夫に気を遣います。
さらにセックスのパートナーを非常に気難しく選び、相手を獲得するため、納得させるために合コンやデート、食事やコンサート、メールやチャットといったおよそ非生産的な活動に心血を注ぎ、挙げ句の果てには三角関係や嫉妬に傷つき、苦しみます。
結果としてセックスとそれに関連した活動から来る時間や人力の浪費は、おそらく人類の、いわゆるまっとうな生産活動をかなり低下させていることでしょう。子孫を残す行動に結びつかない、文字通りの非生産的な、快楽を得るためだけのセックス依存症にかかっているのは、実は、人類という種そのものだといえるのかもしれません。
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この続きは幻冬舎新書『脳内麻薬――人間を支配する快楽物質ドーパミンの正体』をご覧ください。