初の自伝『何者でもない』を刊行したラッパーの般若さん。今でこそ「ラスボス」なんて言われる彼ですが、もちろん無名の少年時代がありました。1996年のある日、長渕剛さんの武道館ライブに駆けつけた当時高校生の彼が、いてもたってもいられずに取った行動とは? 読んでいると胸が熱くなってくるようなその日の出来事を綴った本書プロローグを抜粋してお届けします。
気がついたら、そこにいた。
気がついたら、俺はそこでラップしていた。
周りの人達は「なんだ、こいつら?」という目で見ていた気がする。
一九九六年七月二日。
場所は日本武道館。
周囲の白い目、気持ちの全部を乗っけたラップ、アウェーな空気感、湧き起こる反骨心。
あの日が、ラッパーとしての俺の原点だ。
その日は、長渕剛さんのライブの日だった。今でこそ親しくお付き合いさせてもらっているけど、当時の俺はまだ高校生。もちろん、長渕さんに会ったこともない。
俺は、小学校低学年の頃から長渕さんの曲を聴いて育った。初めて聴いたアルバムは、一九八七年にリリースされた『LICENSE』。こんなことを書くとおこがましいけど、物心ついた時には親父がいなかった俺にとって、長渕さんの存在は父親代わりだった。自分の孤独に寄り添ってくれる音楽、激しさとか厳しさとかの裏側に大きな優しさが詰まった曲の数々。
子供の頃から劣等感の塊だった俺は、長渕さんの曲から勇気をもらって生きていた。「長渕生まれ ヒップホップ育ち」というリリックを書いたことがあるくらい、聴きまくっていた。
だけど、長渕さんのライブに行ったことはなかった。あの日、後にヒップホップグループの「妄走族」を結成することになる仲間の一人・ケンタと一緒に武道館に行った俺。でも、チケットを持っていたわけではない。財布に入っていたのは二千円とかそんなもんだったと思う。
目指すはダフ屋。どんな席でもいいから、長渕さんのライブの空気感を味わいたかった。父親とまで思い込んだその人の曲を、生で聴きたかった。長渕さんから溢れるエネルギーを直接浴びたかった。
ライブ開始前の武道館の周辺では、ファンの人達がギターを持って長渕さんの曲を熱唱していた。一人、二人、三人……そんなもんじゃない。そこかしこで長渕さんの曲が聴こえる。
いてもたってもいられなかった。
俺も何かやらなきゃいけないと思った。
気がついたら俺は、ギターの群れの真ん中でラップをしていた。どんなラップをしたのかはよく覚えていない。しかも、ラップ自体を始めたばかりだったし、技術も何もあったものじゃない。
一九九六年ということは、十八歳になる年だったのか。何も知らない高校生がよくそんなバカなことやったなと今では思う。自分のことだから笑えるけど、今、そんな十八歳を見たらどんな気持ちになるんだろう。やっぱり白い目で見るのかな。いや、力いっぱい抱きしめるのかな。それとも一緒にフリースタイルやるのかな。
七月。あの日が暑かったかどうかも覚えていない。
それくらい、無我夢中でラップした。
あれから二十年以上経って、俺は四十歳になった。
今の自分でさえ信じられないんだから、十八歳の俺は「え? 俺が四十歳?」って驚くだろうな。でも、そんなことよりもっと驚くことがあるんだよ。
もし、あの頃の俺と出会って言葉を交わせるとしたら、真っ先に伝えたい。
「俺さ、今度武道館でワンマンライブやるんだよ」
会場の外で誰からも求められていないラップをした十八歳の俺と、武道館のステージに立って自分の歌をラップする四十歳の俺。
俺がヒップホップに目覚めた時、友達は暴走族になっていった。バイクの音と音楽が入り乱れた公園の景色が、俺には忘れられない。
あの頃は何者でもなかった。
でも、今だって何者でもない。
アルバムを十枚出したとか、テレビ番組に出ているとか、誰と知り合いだとか、そういうところだけに目を向ける人もいるかもしれない。でも、本当に大事なのは「今より先」を目指し続けることだと思う。
今より、少しでも先のどこかへ。
自分が目指す「今より先」は、もしかしたら誰にも理解してもらえないかもしれない。「今より先」を目指してあがいている姿を笑う人がいるかもしれない。
でも、そんなことは気にしない。無理解や薄ら笑いをひっくり返せるようになるまで、「今より先」を目指して走り続けるだけだ。
十八歳の俺と今の俺は、何者かになりたくて「今より先」を目指しているという点では何も変わっちゃいない。
バカなりに突っ走って、ここまで生きてきた。挫折もあったし、別れもあった。ラップをやめようかと悩んだことだってあるし、逆にラップに救われたことなんて数え切れないくらいある。
シンガーのSAYと結婚して、子供も生まれて、反骨心だけじゃない気持ちが芽生えた。責任ってやつも付きまとうし、俺の曲を聴いてくれる人を裏切りたくないという気持ちは年々強くなっていく。
でも、だからこそ俺はバカのまんま全力で走り続けたいと思っている。
俺よりラップがうまい奴なんて山ほどいる。でも、俺は俺なりに伝えたいメッセージがあった。それを伝えるために無我夢中でラップし続けてきた。時には失敗して痛い目にあったけど、全力でラップし続けてきたということだけは自信を持って言える。
自分の人生を自慢するつもりなんてない。誰からもロクに褒められたことのなかったクソガキが、あちこちにぶつかりながら歩いてきた姿を正直に書こうと思う。サクセスストーリーとかそういったものにはならないかもしれないけど、何かに対して「ちくしょう!」という思いを抱えながら今を生きている誰かに届いたら嬉しい。
十八歳の俺がこの本を読んだら、なんて言うだろう? 「ラップやめます」とか言いそうだな。
今の俺だって「もう一回やれ」と言われたら「勘弁してください」って言いたくなる。そんな俺の人生。だけど、ラップと出会ってしまったんだから仕方ない。
向こう百年離さない覚悟で掴み続けたマイク。
何の取り柄もなかった俺が、唯一夢中になれたラップ。
でも、正直言うと思い返すのが辛いことも多い。
そもそも、子供の頃の俺は、いじめられっ子だった。
(『何者でもない』プロローグより)