カラスを研究して25年。東京大学総合博物館員の松原先生が、その知られざる研究風景を綴った新書『カラス屋、カラスを食べる』の一部をご紹介します。愛らしい動物たちとのクレイジーなお付き合いをご賞味あれ。※前回までのお話はこちらから。
金を取れる文章を書いてくれ
午後10時過ぎ。遅くなったが、今日の作業が終わったので帰宅しよう。後片付けを確認し、展示室を消灯。展示フロアの照明が落ちているのを確認する。光は標本の大敵だ。必要がなければさっさと消したい。
真っ暗な展示室には非常誘導灯がうっすらと緑色の灯りを投げかけている。その、ぼんやりした灯りの中で、影がスッと動いた。
いや、あれはガラスに反射した自分の影だ。
その向こうでは、何百という鳥の剥製が、ガラス製の目玉に同じ灯りを反射させてじっと動かずに並んでいる。
ま、この中の1羽くらいは、夜中にふと目を覚まして動き出すということも、あるのかもしれない。まだ見たことはないが。
私が東京大学総合研究博物館に勤め出したのは2007年の夏だ。
「鳥のビオソフィア」という特別展のために鳥類学者が必要ということで急遽雇われたのだが、それまで博物館には全く縁がなかった。学芸員資格もない。
そんなのでいいの? と思ったが、ここで遠慮していたら一生仕事なんかないだろう。
RPGなら「これをすてるなんてとんでもない!」と言われるパターンだ。行ってみるしかない。
で、幸いにして採用してもらえたわけだが、博物館に勤めて最初の仕事らしい仕事は、ニワトリについての文章を書くことだった。
そして、書くなり教授にダメ出しされた。
私の勤めている東京大学総合研究博物館は、大学の部局の一つである。内部には資料部と研究部があり、私のいる研究部には人類先史学や考古学などの研究室があって、それぞれに教授や准教授や助教や研究員がいる。
当時私がいたところはMT研(ミュージアム・テクノロジー研究室)というところで、実験的な展示をしたり、特別展のプランニングやデザイン、展示設営を行ったりする部門だった。
で、ここのボスだった教授が、研究部主任であり、今回の鳥の展示の企画者でもあった。
さて、ダメ出しは具体的にどうというものではない。
「いろいろ良くないから、もう一回書き直して」と突っ返されただけである。
何がどう悪いのかわからないので、多少の手直しをしてまた持って行った。
ひと目みると、教授はふぅ、とため息をついて、こちらを向いた。
「あのさあ、理系の論文ならこれでいいのかもしれないよ? でも、ここ見てごらん。『である』で終わるセンテンスが3回も続けて出て来るじゃないか。君、こういうの気持ち悪くないの?」
あ……そっち?
「下世話な言い方になるけどね、僕らはここで、金を取れる文章を書かなきゃいけないんだよ。そこんとこちょっと気をつけて、書き直して」
なるほど、道理である。
論文とカタログでは市場原理が違う。研究者が欲しいのは文章の内容、つまり書かれている事実関係という情報であって、文章そのものではない。文章はあくまで媒体にすぎないから、文体とか語尾の表現のバリエーションとか、そんなものを読んではいない。
もちろん論旨が理解できないほどの悪文は困るが、そこまで論理的に理解し難がたい文章は編集部と査読者が指摘して直しているはずだ。
家電の取扱説明書に、練り上げられた構成も華麗な筆致も必要ないのと同じである。
しかし、展示の図録(カタログ)は全く別なものだ。もちろん展覧会情報としての役目もあるが、カタログ自体にも作品としての側面があり、展示の一部とも言える。
スタイルもデザインもなく「情報さえあればいいんでしょ」では、少なくとも、この博物館の展示方針にそぐわない。
まして、来館者が安くはない金を出して買うことなど、あり得ない。
展覧会のカタログには、買いたくなるような、そして買って損をしたと思われないような、パッケージングも必要なのだ。
それはわかったが、金を払ってでも読ませられる文章。これは困った。どうすればいいんだ。
そう考えてから、はたと気付いた。金の取れる文章の代表と言えば、つまりは自分が自宅の本棚にどっさり持っているアレ、さんざん読み漁った「小説」である。
情報だけじゃなく、ちゃんと文体というものがあって、それ自体が雰囲気を作っている、アレかあ。
ということは、小説を書くようなつもりで言葉を選び、文章を練らなきゃならないわけだ。
いや、小説を書いたことはない(ご多分にもれず、中高生の時にノートの裏に「しょうせつ」を書き散らしたことはあるが、それは黒歴史の一種である)。
だが、せっかく毎日のように読んでいたのだ。その記憶を総動員してやろう。
もちろん和鶏の解説文が小説仕立てになっては困るが、「小説家が解説を書いている気分で」ということだ。
書き直した文章は、さいわい、「これでいい」となった。
最終的にゲラを見たら、そこらじゅうに添削が入って自分の書いた文章とはかなり変わっていたが……。
カラス屋、カラスを食べる
カラスを愛しカラスに愛された松原始先生が、フィールドワークという名の「大ぼうけん」を綴ります。「カラスの肉は生ゴミ味!?」「カラスは女子供をバカにする!?」クレイジーな日常を覗けば、カラスの、そして動物たちの愛らしい生き様が見えてきます。
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