カラスを研究して25年。東京大学総合博物館員の松原先生が、その知られざる研究風景を綴った新書『カラス屋、カラスを食べる』の一部をご紹介します。愛らしい動物たちとのクレイジーなお付き合いをご賞味あれ。※前回までのお話はこちらから
博物館員にはデザインの知識も必要
この頃は私も勤め始めで、展示を作るのも初めて。一体何をどうすればいいのかさっぱりわかっていなかった。だが、展示に関わっていくうちに、実に細かい点を注意されることに、すぐ気付いた。
「松原君、それ全然平行出てないよ」
「右が上がりすぎ。1センチ下げて。もうちょい。行きすぎ! 戻して」
「センターが出てない。それは標本の中心がもっとこっちだろう。均等に置いてもダメだよ。もっとずらして。もう少し。あと5ミリ」
5、ミリ? どうやら、ここはこういう世界らしい。しかしまあ、言われてみればミリ単位でピシッと調整した配置は端正でおさまりがいい。自分でゼロから構想して作るのは無理でも、言われてやってみれば「なるほど」と納得はできた。
とはいえ、「どういうやり方があって、ここではどれが一番いいか」というデザインの知識、いわば「引き出し」がちゃんとできていないと、おさまりのいい配列や美しい並びを自分で思い付くのは無理である。できたものがなんとなく「いい」とわかるだけではダメなのだ。
海洋調査のアルバイトであたふたした時の気持ちを久しぶりに思い出した。
といって、ミリ単位だからと物差しを使えばいいというものでもない。
「この写真、左右はセンターで。下は5センチ空きくらいで」
そう言われて分厚いガラス板と写真を渡されたことがあった。ガラス板2枚で写真を挟み、これを垂直に立てて展示しようという試みだ。立てるためのスタンドは、金属加工のできるスタッフが真しん鍮ちゆうで作って用意してくれてある。だが、挟んだだけでは写真が滑ってしまうので、ほんの少量の練りゴムを写真の隅につけて固定する。
いつもミリ単位で注意されるので、メジャーを出してガラス板の幅を測り、写真の幅を引いて2で割って……とノートを出して計算していたら、後ろを通りかかった先生がヒョイとこちらの手元を覗き込んで、言った。
「そんな数学的なことやってちゃダメ。それくらい君の目で測れないと」
とはいえ、何かと「測る」ことの多い商売なので、メジャーはいつも持っている。
フクロウのヘアメイク
寄贈標本を整理していて、標本のヘアメイクなんていうのをやったこともあった。寄贈品の中にあったフクロウの本剥製、なかなか良い出来なのだが、惜しいことに頭がペッタンコである。これは剥製の出来のせいではなく、保管している間に何かが当たった──多分、入れてあった箱がひしゃげて頭に接触した──からだ。
生きた鳥なら、このあたりは楽なものである。彼らは毎日、どころか日に何度も、自分の羽毛のメンテナンスをしている。一方、剥製の羽毛は我々が世話をしてやらなくてはいけない。
だが、羽毛は爪や毛と同じく、既に死んだ組織である。一度折れてしまったら復活しない。生きた鳥なら生え変わるが、剥製にはそれも期待できない。じっくり観察すると、幸いにして、このフクロウの羽毛は折れてはいない。曲がってしまっただけだ。なら、まだ手はある。
手元の剥製標本の作り方を書いた本のページを繰った。確か、役立ちそうなことが書いてあった記憶がある。ああ、ここだ。剥製のスズメの羽毛をふわっとさせたくて、当代の名人に聞いてみるくだりだ。
「それは橋本さん何でもありませんよ、脚の針金で逆さに吊下げておくのですよ」(『動物剥製の手引き』橋本太郎著・北隆館)
なるほど。さらに、蒸気を当てるという手があったはずだ。私は研究室の電気ポットを「再沸騰」にし、シャーッと音がするまで待った。それからおもむろにポットの蓋ふたを開け、フクロウの頭に湯気を当てた。いわば剥製のヘッドスパである。もちろん湯に浸したりしてはいけない。そんなことをしたら腐敗の恐れもあるし、せっかく乾燥して落ち着いていた皮膚が緩み、羽毛の脱落や破損を招く。少しだけスチームを浴びせて羽毛を整えたいのだ。本当は細いノズルからスチームを噴射するようなものが欲しいが、ないものは仕方ない。そうだ、バリスタが使っているような、口の細いヤカンはどうだろう。
そうやって何度か蒸気を当てては柄つき針で羽毛を1本ずつ起こした。それから、剥製の足裏から延びる針金を曲げて、収蔵庫の天井の配管から垂らしたビニール紐にくくりつけた。剥製の脚の中には針金が通してあって、これを台座に刺して固定するようになっている。これでフクロウの逆さ吊りが完成である。誰かに救出されてしまわないよう、紐には「補修中 触らないこと」と書いた紙をつけておいた。
部屋を出ようとして、灯りを消す前に振り向いた。
部屋の真ん中で逆さ吊りになったフクロウがかすかに揺れているのは、かなりシュールな光景であった。
カラス屋、カラスを食べる
カラスを愛しカラスに愛された松原始先生が、フィールドワークという名の「大ぼうけん」を綴ります。「カラスの肉は生ゴミ味!?」「カラスは女子供をバカにする!?」クレイジーな日常を覗けば、カラスの、そして動物たちの愛らしい生き様が見えてきます。
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