「虹の珈琲があるんだって」
「虹?」
「小樽駅の可否茶館にあるらしい」
「裏メニューとかかな?言わないと出てこない、的な?」
「いや、普通にあるって。」
「普通に? というか、虹の珈琲って何?」
友人とそんな話になり、札幌駅から列車に乗り、小樽へ向かった。
可否茶館は、日本に古くから根付いている、喫茶店文化の先駆けだ。
珈琲好きでなくても、誰もがその名を聞いたことがある存在。
可否茶館が、札幌に1号店をオープンさせたのが、1971年のこと。喫茶店文化の先駆者と言われている。
歴史を重ねてきた喫茶店だ。当然、どの店舗でも、スタッフの質がいいこと、淹れ方の技術に秀でていること、豆の種類が豊富なことなどは、容易に想像がつく。
だが、虹の珈琲とはいったいなんだろう。これは想像がつかない。
あえてその場で検索をせずに、小樽へ向かうことにした。
札幌から小樽までは、小一時間ほどの距離。その小一時間を、どんなものなのか、想像しながら楽しむ方が、楽しそうだったからだ。
楽しむ方が楽しそうという言い方はヘンだが、それを楽しまないですむ方法が、手元の液晶の中にあるのだから、仕方ない。
楽しまないで済む、という言い方もヘンだが。
ヘンなことを言いながら、ヘンなことしている方が、なんとなく楽しくなる世の中になっていることを実感する。
午後3時。小樽駅に着き、改札を降りる。
虹の珈琲。その想像ばかりが膨らんでいた。
小樽は、運河と硝子で有名な街だ。景色が美しいことでも広く知られている。
明治時代に海の玄関口として栄え、今では観光地として定着した。
この日も、人だかりだ。
外国人の観光客も多いからか、駅の構内では様々な国の言葉が飛び交っている。
活気がある。その活気は、海鮮市場の方に足を向けると、さらに熱を帯びている。
小樽駅の中、改札を出て左に曲がると、探していた場所があった。
お馴染みの可否茶館だ。入り口にあるお店の看板には、大きくこう書かれている。
『レインボーラテ』
まったく裏メニューではなかった。
むしろ、看板メニューである様子に、少し拍子抜けする。
ただ、「夜限定メニュー」とも書かれている。
まずは小樽の街並みを見て楽しまないと、これを飲ませてもらえないような感覚に陥り、散策することに。
運河通りを歩いてから、ガラス工房を見て、観光客価格の海鮮丼をあえて食べ、小樽駅に戻った。
可否茶館に入り、席に座る。
「レインボーラテをお願いします。」
「はい。」と店員さん。
5分ほどで、それはすぐに出てきた。
虹だ。
それは、本当に虹色をしたラテだった。
ホットのカフェラテの上に、虹色のラテアートが施されている。鮮やかだ。
ラテの表面に、葉が一枚、描かれている。根の部分は緑だ。葉の細部が、上部に行くにしたがって、赤色、黄色、紺色と、グラデーションを演出するように重なっており、一枚の虹色の葉になっている。その葉の周囲を、水色の、水滴のようにもオーラのようにも見える模様が包んでいる。
その時、隣の席の、男女二人組の声が聞こえた。
「虹だ。」
「お祝いに丁度いいね。」
「盛大なお祝いじゃないから、ちょうどいい。」
二人は写真を撮っていた。
写真に映える一杯であることは間違いない。
打ち明け話のお寿司屋さんのカウンター。秘密の話をするバーのカウンター。そして、少しリラックスして、雑談交じりに、自由を得られる感覚に陥れる、居心地のいい喫茶店。
いつも思うことだが、これらは、どれも同じだと思う。
本質は、普遍的で、きっと同じだ。
場所と、口に運ぶ物体が違うだけで、そこにあるのは「雰囲気」だ。
この雰囲気だから話せること。この雰囲気だから祝えること。この雰囲気だから切り出せること。そういった会話の糸口を、多くの外食店は作っている。
そしてその中でも、喫茶店というのは、大がかりな料理店よりも、もっと「ほんの小さな何か」に、とてもよく似合う。そういう気がする。
また、隣の席の男女の会話が聞こえてくる。
「虹を飲むなんて、もったいないほど綺麗。」
「飲む前に、シュガーを混ぜただけで消えるよ。」
「なおさら飲めない。」
「虹を消せる珈琲でもあるね。」
盛大ではない小さな喜びが、このカップの中にはあるのだろう。
カフェラテを飲む時に、「絵が消えてしまうからもったいない」という人がいる。
ここ数年のカフェラテは、バリスタ達の間で、ラテアートの腕を競う大会まであるほど、精巧に作り込まれた物も多い。
もしかすると、ここで出された“虹入り”のラテは、そういった類の頂点かもしれない。
レインボーラテは、味には大きな驚きはなかった。
だが、とても濃厚なカフェラテだった。
最後の一滴を飲み干し、代金を払い、店を出た。
外は夜になっていた。駅の中からは、小樽の街並みが幻想的に光っている。
「盛大なお祝いじゃないから、ちょうどいい。」
その言葉が、妙に印象に残っていた。
盛大じゃない祝いごと。盛大じゃない悔しいできごと。
毎日が派手な生き方より、そのどちらもがたくさんある。そんな人生がいいなと思った。
何色ものグラデーションのように、ささやかな出来事を、何重にも飲む。何重にも飲むを、何回もできる。そんな人生がいいなと思った。
この日、僕が飲んだのは、虹の色をした珈琲ではない。
虹の色をしていることで、写真に映える珈琲でもない。
それは確かに、虹の味がする珈琲だった。
そんな珈琲があることを知った、ささやかな、盛大じゃないうれしさの日に。
可否茶館 JR小樽駅店
北海道小樽市稲穂2-1-22 JR小樽駅
(※レインボーラテは、現在は提供休止中となっているようです。)