吉永小百合主演映画「ふしぎな岬の物語」など、話題の映画やテレビドラマの原作を手がける森沢明夫氏が、最新刊『雨上がりの川』を上梓した。
本作は、川沿いのマンションに暮らす川合家を中心とした家族の物語だ。出版社勤務の淳、妻の杏子、娘の春香の3人家族は幸せな日々を送っていたが、ある時春香が中学校でのいじめが原因で引きこもってしまう。その状況をどうにかしようと、杏子は紫音という霊能者に傾倒していき、家族の心はバラバラになっていく。果たしてこの家族はいかにして絆を再生させるのか…。
この作品の魅力を、佐藤浩市主演映画「64─ロクヨン前後編」の脚本を担当し、同作前編で日本アカデミー賞優秀脚本賞の受賞歴もある久松真一氏はどのように捉えているのか。
プライベートでも親交のある二人が、小説家と脚本家というそれぞれの立場で語った。
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小説家と脚本家、理想の関係
森沢 初めて久松さんとお会いしたのは、ときわ書房(千葉県船橋市を拠点としたチェーンの書店)さんの出版関係者を招いたホームパーティーでした。そこで名簿を見たら、大体が◯◯出版社の誰々さま、と書かれているのに僕と久松さんだけ別枠だったんですよ。 何の肩書きも書かれていなくて。その別枠に僕以外もう一人名前が掲載されている人がいて、それが久松さんでした。
久松 僕はもともと、『ふしぎな岬の物語』の映画で森沢さんの名前は知っていて。でもまさかそこで会えるとは思ってなかったですね。
森沢 僕は「映画の脚本家の方だ、凄い」と思って挨拶させていただいたんですが、最初から意気投合しちゃいましたよね。
久松 小説と脚本という違いはありつつも、やっぱり「書く」というクリエイティブな仕事をしている人間にしか分からない部分があるからだろうなと思いました。
森沢 「小説家と脚本家の関係」について話した時も、僕はその話にすごく共感を覚えました。
久松 両者の関係性はすごく重要ですね。脚本家と小説家が分かり合えると、映像になった時に大きな力になってくる。だからこそ僕は「小説家がここで何を言いたいのか」を大事にしていますね。
森沢 久松さんは、ものすごく原作愛を持って書いてくださる方ですよね。
僕が大事にしているのは、映像に関しては一切口を出さないということ。下手に僕が口を出して、関わりを持ったのに映画の出来がイマイチだったら、モヤモヤすると思って。
小説は僕の作品なので、最後まで責任を持って作ります。けれど、映像に関しては僕ではなく映画スタッフの皆様のものなので「口を出しません。文句を言いません」というスタンスでやってきていますね。
久松 横山秀夫さんと同じですね。僕は映画『64(ロクヨン)』をはじめ、横山さん原作の映像化を10本以上しているんですが、彼は全く口を出してきません。
浅田次郎さんも、去年開催された脚本家と小説家が登壇する『脚本と原作のシンポジウム』で「優れた小説家は口を出さない。大体、腕のない小説家が口を出す」とおっしゃっていましたね。
森沢 口を出さないでよかった(笑)。お互いの仕事に尊敬を、そして作品には愛情を持つ、ということですね。
人物造形の根底にあるのは、愛すべき未熟さ
久松 森沢さんの小説に出てくる人物は、本当に愛すべきキャラクターですよね。
多分森沢さんは人物像を緻密に、深く深く考えられているんじゃないかな。だからこそ皆が魅力的なわけです。
森沢さんは人間を書いているんですよ。人間を書いているからこそ面白いし、人間こそが面白いんですよね。
森沢 まさにそう。僕、キャラクターをめちゃくちゃ深く作り込むんです。例えば『雨上がりの川』の春香だったら、何年何月何日生まれのどんな子で、身長はどれくらいで、目はこんな色してて、爪は深く切るタイプで、髪の毛はこんな感じで、こういう時にこんな思いをして…とか、生い立ちまで含めてすごくたくさん書くんです。
久松 春香は学校でいじめられていて不登校になってしまったけれど、父親の淳や母親の杏子との会話はすごく落ち着いていますよね。だからこそ僕はリアルだと思ったんですよ。
もしそこで泣き叫んでいたら、ありきたりのステレオタイプのいじめられっ子。けれど、そうでない人物を描いているところに人物造形の素晴らしさを感じました。
森沢 泣き叫んでいたら、嘘っぽいんですよね。人間は表面を取り繕うとする。特に春香みたいに優しくて聡明な子は、自分がいじめられたことに対して親がどう思うかまで考えてしまう。
色々考えた結果、なるべく普通に過ごしている。けれど、心の中にはすごく深い傷があって、血を流してる。両親もそれに気づいているけれど、深くは突っ込まずに腫れ物に触るように丁寧に接している。だからこそギクシャクしてしまう。お互いがお互いを思い合っているのに、なかなか上手くいかない。
久松 皆がちょっとずつ未熟なんですよね。でもそこがまた、魅力的だと思うんですよ。
森沢 人は良いところも悪いところもあるから魅力的ですし、人生は上手くいくことと上手くいかないことがあるから、面白いんだと思うんですよね。
それぞれの相手の事情を想像しながら、生きていくと自分も楽になる。例えば、自分にとって不都合な人がいたとき「なんでこんなに不都合なことするんだろう」って腹が立つじゃないですか。けれど、その時に「もしかしたらこの人にも事情があるかもしれない。今ご家族が危篤かもしれない。子どもの頃親に愛されずに育ったのかもしれない」などと想像してみるんです。
そうすると世の中の見え方が変わってくる。生き方が変わってくる。
『雨上がりの川』でも、一人ひとりにそれぞれ長所と短所があって、上手くいってることと上手くいってないことがあって。その事情を想像してあげられるキャラクターが物語の中にいることによって、登場人物の人生がどんどん変わっていくんです。
久松 森沢さんはやっぱり、人が好きなんですね。
善と悪で切り捨てるのではなく、その奥にある事情は何なのかを書かれるのは、森沢さんの優しさだと思います。エセ霊媒師のシオンも、人を騙しているから悪だ、と決めつけるのではなく彼女の抱えている事情についても深く言及している。
ただ面白いエピソードを思いついたから書いたというレベルではないんですよ。人間が好きじゃないとそこまでは書けないと思うので。そういう意味では、僕も人間が好きなんだと思う。
森沢 久松さんも人間が大好きですよね。ものづくりの根底の部分もそうですけど、人としての根底の部分まで久松さんとは分かり合えている気がするんですよ。
久松 そうそう。共感することが多い。ものの見方、視点が同じだったりする。
森沢 世の中に向けての眼差しとか、いろんなところが似ていますよね。脚本と小説の違いはあれども、何の意味をもって身を粉にして自分達は書いていくのかという考え方もすごく近いと思っていて。
久松 波長が合うんですよね。
森沢作品は「感情移入の物語」
久松 僕は森沢さんの原作小説をいつか映像化したいなと思っています。
森沢さんの本は読んでいると映像が浮かんでくるんです。情景描写や心理描写が非常に優れているんですよね。さらに、感情移入がしやすい。
今回の家族像は多くの家庭に当てはまると思うんですよね。「うちもそうだ」って、共感されやすい。
この物語の着想はどこから得たんですか?
森沢 知り合いから「母親がスピリチュアルにハマっちゃって、旦那さんとお子さんをあまり構わなくなってしまった家庭がある」という話を聞いて、その事情を想像したのがきっかけですね。
自分の子どもはすごく可愛いはずなのに、それを放ってまでスピリチュアルにハマったのは何故だろう?と。
でもある時ふと思ったんです。娘がいじめられていたら、スピリチュアルの力にすがるのではないか?自分のことであれば自力で何とかしようとするけれども、子どものこととなったら、たとえ分別のある母親であっても慌てふためいて、ついエセ霊媒師に傾倒しちゃうこともあり得るんじゃないかと。
久松 なるほど。親心にたてば確かに起こりうる話ですね。
森沢 人間って、たとえ家族であっても相手の心は分からないじゃないですか。だから僕は、分からないのが当たり前だからこそ、相手を想像することが大事だと思うんです。理解しようとするのが相手への優しさなんですよね。
淳や杏子は「春香はどう思うだろう?」と考えて、春香は「ママやパパはどう思うだろう?」と考えて。その優しさがあるからこそ、たとえ家族間にトラブルが発生しても乗り越えていけるんですよね。
久松 家族間でギクシャクしてしまっているのは、単に優しさの掛け違いなんですよね。3人それぞれの優しさがどこかでずれて、歯車が狂ってしまってるだけ。だから、歯車をカチッと合わせれば元の家族に戻れる。
その歯車を合わせるためには、どういうものの考え方をして、世界の見方をどう変えるといいのかというのを方法論として小説で書いていくと、読者は自分ごととして物語を捉えるようになる。
そうすると、読み終わった時、その人にとっての未来がキラキラして見えるんじゃないかな。そうなったなら、書き手として書いた価値があると思いますね。
森沢 僕もそういう思いで作品を書いています。読み終えた時に自分の人生が少しキラキラ見えたり、生きてるってなんか悪くないなって感じてもらえたらいいなと。久松さんにはなんでもバレているんですね(笑)。
久松 「雨上がりの川」は映画にもなると思うけど、僕だったら5話ぐらいの連続ドラマにしたい。
回ごとに春香視点、淳視点、杏子視点…と進んでいって、最後には全員の視点を入れる感じで。だから、8話ぐらいでもいいかもしれないな。
僕が原作を託していただけたなら、まず「森沢さんがどういう思いで、何を描こうとしたのか」を考える。もちろん、映像にする上でどうしても変更したり付け加えたりしないといけない部分が出てきますが、その場合は敬意を持って変えさせていただきます。
森沢 嬉しいです。ここまで作品づくりのポリシーの部分で共感できる脚本家さんには会ったことがないので、本当に久松さんに脚本を書いて頂きたいです。その際、僕は一切口を出しません(笑)。しなくても完全に僕の作品を理解してくれていると確信しているので。その日が来ることを楽しみにしています。
久松 いつか必ず来ると思いますよ。僕も楽しみにしています。