行きつけの歯科医に、いつか抜いた方がいいですよ、と言われていた親不知が、年末にぐらぐらとし始め、時折り、痛むようになりました。
年明けを待ち、歯科医院の予約を取り、抜いて頂くことにいたしました。
何十年もそこにあって、歯を磨いたりする時などに、しばしば邪魔にも感じていた、その歯がなくなってしまうと、すっきりすると同時に、奇妙な喪失感もあり、私は物思いに浸ることになりました。
何かを失う、何かを切り捨てる、ということについて、私は考えました。
前に進んで行くためには、何かを切り捨てなければならないことや、誰かを切り捨てなければならないことが、人の世には、しばしば起きるものです。
仕事に於いても、恋愛に於いても、時に、アイドル・グループの成長の過程などに於いても、そういったことが起こります。
切る側にも、切られる側にも、それぞれの理由が、きっと確かにあるのでしょう。
だから、それはもう仕方のないことです。
切り捨てる側が、切り捨てられる側よりも、必ずしも悪いとか、いけないというわけでもなく、責任はおそらく同等です。
けれど、私は思うのです。
捨てた側は、何かを、誰かを捨てて、今、手にしているものを得たのだ、ということをせめて記憶に留めて行って欲しい、と。
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美しい暮らし
日々を丁寧に慈しみながら暮らすこと。食事がおいしくいただけること、友人と楽しく語らうこと、その貴重さ、ありがたさを見つめ直すために。