「まだ読んでないの?」と話題のノンフィクション、鈴木智彦さんの『サカナとヤクザ――暴力団の巨大資金源「密漁ビジネス」を追う』(小学館)。5年にわたる長期取材は、北海道から築地、九州、台湾、香港まで。そして築地市場への潜入取材も決行されました。
記事の終わりに、鈴木智彦さんトークイベントのご案内があります。
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世界に誇る築地が泥棒市場だったら?
肌着と靴下を2枚ずつ重ね、作業着を着込む。上下にウインドブレーカー代わりのカッパを羽織って飛び出した。気温は1度、それでも雨よりはましだ。もたもたしていると全身に震えが回る。やせ我慢でバイクにまたがると、シートから寒さが伝わってきた。観念してバイクのエンジンに火を入れた。
目的地は東京都中央卸売市場築地市場──鶏卵・鶏肉、青果、水産物などを取り扱う世界最大のマーケットである。中でも水産部は昭和10年に日本橋魚河岸から移転して以降、豊洲に移転が決まるまで市場の代名詞的存在として知られてきた。
水産部には東都水産、大都魚類、中央魚類、築地魚市場、第一水産、綜合食品、丸千千代田水産という卸会社が7社あってこれを通称荷受けという。荷受けはそれぞれ大手水産業の系列で、全国から海産物を買い集めて築地に運ぶ。それを場内にある600社あまりの仲買(仲卸)が買い付け、レストランや小売りの魚屋、スーパーマーケットなどに転売する。
東京都中央卸売市場条例に基づき、荷受けは仲卸にしか販売できず、仲卸は荷受け以外の者から直荷引きすることは出来ないと定められている。相対と呼ばれる対面方式、競りなどで売買される海産物は、養殖であっても完全な生産調整が出来ないため気象条件などに左右され、毎日、毎時間、値段が変動する。高級寿司屋の「時価」は理にかなっているのだ。
築地に出入りするというプロの魚屋は、赤地にかすれのある筆文字の『丸魚がしマーク』を使うことが多い。魚河岸は本来、魚を運ぶ船舶が停泊する河岸を指していた。いまや全国でも正真正銘そう呼べるのは、隅田川岸に位置する築地市場だけだ。
インターネットの求人サイトでバイトの募集を見つけたのは平成25年のクリスマス前だった。市場で「アワビを買うならどこですか?」と取材し、数軒の屋号を突き止めていた。その中である仲卸が募集広告を出していた。自社のサイトを見ると日本橋時代から続く老舗らしい。
あれこれリサーチすると魚河岸でも三本の指に入る大手の仲卸と分かった。ウニ、アワビ、魚卵、鮮魚、干魚、塩魚、大物と呼ばれるマグロまで、ほぼ全て取り扱っている。応募書類の備考欄には、「給料も勤務時間も融通が利くのでぜひ働きたい」と付け加えた。虚偽の記載は避けた。
密漁品は堂々と表ルートで売られ、消費者は知らず知らずのうちに共犯者になっている。表玄関から取材を申し込んだところで、本当のことを話してくれるとは思えない。証拠を掴むには仲間意識を共有し、インサイダーになるのが手っ取り早い。
三陸アワビの密漁を取材した際、海上保安庁職員の悔しそうな顔が忘れられない。状況証拠は揃っていた。あと一歩だったのだ。
「全国の漁港に水揚げされた水産物はなんであれ、ピンとキリが築地に入ってくる。高級品も売れるし、安物だって量を捌けるし、そんな場所はここだけだからね」(仲卸業者)
世界中から観光客が訪れ、場内・場外で海の幸を味わい舌鼓を打っている築地の魚河岸。東京都が維持・管理するこのマーケットが、実質、泥棒市場としたら笑えない。いまも昔も密漁はヤクザのシノギだ。ならば東京都は暴力団にがっちりと寄生されていることになる。
築地でも暴力団排除の動きは加速している。
全国で暴力団排除条例が施行され、築地市場が暴力団との決別を宣言させられたのは平成24年4月1日だった。
「我々会員企業はいかなる不法不当な要求行為に対しても断固としてこれを拒絶しすべての反社会勢力との関係を遮断するため次のとおり宣言する。
一 名目のいかんを問わず反社会勢力とは一切の関係を持たない。
一 いかなる不当要求に対しても組織全体でこれを排除する。
一 不当要求に対しては警察等外部専門機関と連携し刑事事件化も躊躇しない。
以上宣言します。
公益社団法人警視庁管内特殊暴力防止対策連合会加盟企業一同 後援 警視庁」
この宣言書は額装され、築地市場のアーチ型の事務棟2階の廊下に飾られている。表面だけ強い言葉を列挙しているが、警察に要請されて文字にしただけだろう。
もちろん正面からも取材の申し込みはした。
密漁対策についての具体的な回答はなかった。寝た子を起こしてくれるな、ということかもしれない。出入りの業者に聞くと、平成20年以降何度か通達が出されているという。担当者が密漁品の取り扱いをしないよううるさくなっているのは事実らしい。が、これはいざ問題化したとき「東京都は密漁対策をしていた」という事実を作っているだけにもみえる。
面接は朝6時。ウソはつかずに即決
簡単に築地で働けるとは考えていなかった。
当時47歳でなんのスキルもないし、中高年の再就職は厳しいと聞いていた。バイトの経験は大学生以来だ。履歴書を書いたのは原発潜入以来である。嘘はつかないことにした。密漁品の売買を調べに来たことは、訊かれないはずなのであえて言わない。
本命の仲卸の面接は、応募した翌々日の午前6時、担当者と築地市場の勝どき門で待ち合わせることになった。魚河岸に遊びにきたことはあったが、この時間の訪問は初めてだ。
渋滞を避けるため晴海通りには大型トラックが順番待ちをしていて、場内はターレーと呼ばれる三輪トラック(ターレット・トラック)で溢れていた。マグロの競りを見学にきていた外国人は100人以上並んでいて、一帯は活気に満ちている。雨で濡れたコンクリートに、ターレーのヘッドライトが反射して幻想的だった。
勝どき門に着いたが、5分過ぎても10分過ぎても連絡はない。さすがに焦って電話した。 「いやぁすいません! ちょっと遅刻してて。5分で行きます」
30代前半の、魚屋に似つかわしくないボンボン風情の青年がやってきた。創業者一族の次期社長候補の幹部で、数年前まで企業コンサルタントだったという。いきなりあれこれ訊くのもおかしいので、世間話に話題を変えた。
「築地っていいですね。賑やかで。寒いと鬱っぽくなっちゃうんですが、ここで働けたら余計なことを考えなくて済みそうです」
「前に働いたことはあるんですか?」
「初めてです」
「前職というか、仕事はなにを?」
「本を書いてまして……」
「へぇ、どんな?」
「ヤ……喧嘩とか荒っぽいこととか、まぁいろいろと」
履歴書を渡して勤務条件などを確認する。幹部は即決してくれた。拍子抜けだった。
「じゃあ明日からお願いします。あっ、(求人)サイトを通して契約すると10万円払わなきゃならないんです。直接契約ってことにしませんか?」
求人サイトに合格を通知すると、5000円の合格祝い金がもらえることになっていた。そうすると会社は10万円支払わねばならないそうだ。その程度の金は惜しくなかった。
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働いて初めてわかった「築地村の掟」とは? そして、密漁品の証拠は押さえられたのか?この続きは書籍『サカナとヤクザ――暴力団の巨大資金源「密漁ビジネス」を追う』(小学館)でどうぞ。
1月26日(土)14時より、幻冬舎イベントスペースにて鈴木智彦さんのトークイベントを開催します。詳細・お申し込みはこちら幻冬舎大学のページから。