28日(月)から始まった通常国会。昨年は、憲法審査会で一度も議論できずに終わりましたが、そもそも話し合いの場を開くことすら、なぜこんなにごたついているのでしょうか。漠とした不安ばかりが募る中、私たちが注視しておくポイントは。
理想論にすり替えられた議論
小松左京の名作SF『日本アパッチ族』にこんな一文がある。
「(憲法)改正が決まると、第九条だけでなく、烏を鷺と言いくるめて、ついでのカマに、旧憲法の基本的人権を、新憲法においては秩序の名のもとに大幅に制限した。新しい時代なのだーーとエライさんは言った」
「旧憲法の『権利』という言葉の80%が『義務』とかわったおかげで、失業は刑法上の罪となった」
久しぶりに、読み返したのは「週刊文春」の名物コラム「時々砲弾」で、評論家の宮崎哲弥さんが改憲について論じていたからだ。
要約するとこうなる。
「国の理想を語るのが憲法」という見解を繰り返す安倍晋三首相に対し、立憲民主党の枝野幸男代表が「憲法とは主権者が政治権力を制限するルールである。定義について特異な認識を前提にしていては議論ができるはずがない」と反論した。
読売新聞は安倍氏の見解を批判することなく、枝野氏の姿勢を批判した。
さて、どちらの主張に分があるか? 改憲論争を仕掛ける首相・読売新聞か、はたまた議論を逃げていると批判されかねない枝野氏か。
宮崎さんは「近代憲法の原則から大きく外れた改憲議論の土俵に軽々しく乗るわけにはいかない」と枝野氏の主張を全面的に擁護している。そして「憲法は主権者たる国民によって発された、政府、公務員を名宛人とする命令の集成」であり、「原則として、国民が『憲法を遵守』することはあり得ない」ことを、「宰相や大新聞すらよくわかっていない」と鋭く批判した。
全面的に支持である。僕も宮崎さんと同じように改憲問題に限ってはーー経済問題とか参院選の候補者については反対したいことも多いーー枝野氏に分があると考えている。
改憲を「自分が考えるこの国の理想が書き込み足りないから改憲をしたい」という理想論にすり替えた議論は極めて危険なのに、議論の土俵に上がらない野党を批判するというのは完全に筋違いだろう。
さて。ここまでの話は大前提である。本題は拙速に改憲を目指す現政権に決定的に欠けているのは何か。それは異論から学ぶ議論という姿勢だ。彼らは選挙に勝ったのだから、すべては勝ったものが決めていいという考えで、野党や異論を持っている人たちに「勝ちたい」という発想で突き進んでいるように思える。
だが、それだけでいいのか。
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