わたしたちは日々、大小さまざまな不幸や不安にさらされています。
体が大きくなるにつれ、小さい不幸であればそれなりに消化できるようになってきたけれど、自分の身の丈よりも大きいと思えるような不幸な出来事に直面したとき、みなさんはどうしていますか?
たとえば誰かを恨むとか、別のことに熱中するとか、この悲しみによって自分は成長すると思いこんでみたりとか、あるいは乗り越えない、という方法もあるかもしれないし、そして、他人の不幸を摂取して自分の身の丈を大きくし、消化することもできるかもしれません。
さて、現在、原美術館で展示中のソフィ・カルの《限局性激痛》は、まさに他人の不安や不幸を摂取する作品。作者のソフィ・カルは主に写真や文章を組み合わせた作品を発表するフランス出身のアーティストです。
本作は、失恋までの前半と、失恋後の後半の二部に分かれた大作。
前半は、ようやくの思いで手に入れた恋人をパリにのこして日本に3ヶ月留学することになったカルが留学中に彼を想ってつづった手紙や、日本で過ごした日常の記録からなる「不幸までのカウントダウン」。
そして後半は、彼に会うはずの日に起きた史上最悪の失恋について繰り返し他人に語り、それと引き換えに相手の不幸の経験を聞いて自分の傷を癒していくというパートになっています。
まず、前半部では、ソフィ・カルが恋人への不安と期待が入り混じった気持ちを抱えながら過ごした日々を写真と文章で追体験することができます。
異国日本の文化を体験してはそのおかしみを手紙に書いたり、恋人に会う日のためにヨウジヤマモトの衣装を買ったりして過ごし、嫌々ながらも日本に来たことに意義を見出そうとしている様子が見て取れます。
そのなかでわたしが心惹かれたのは、連日占いに通ったエピソードや、おみくじ、神社、お地蔵さんなどの写真が頻出するところ。写真は淡々としていて過度に感傷的ではないのですが、彼女の言葉や写真のモチーフに、軽度に「スピった」状態が垣間見え、失恋への不安がいかに切迫したものであったかを体感させられます。
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