2大ベストセラー、『怖い絵』シリーズの著者・中野京子氏と、『へんないきもの』の著者・早川いくを氏。
恐怖と爆笑の人気者がコラボして生まれたのが、『怖いへんないきものの絵』です。
早川氏が、“へんないきもの”が描かれた西洋絵画を見つけてきては、中野先生にその真意を尋ねに行くのですが、それに対して、中野先生の回答は、意外かつ刺激的!
中野先生が容赦なくブッタ斬る様は、爆笑必至。
まず最初の絵は、市長がサメに襲われる絵なのですが、サメをよく見ると……。
ほんとにこんなサメいるの⁉
で、真ん中にいる裸の男子はいったい…⁉
* * *
『ワトソンと鮫(さめ)』コプリー
人がサメに襲われている。なるほどそれはわかる。
だがやっぱり、わからない。
一体全体、これは何の絵なのだろう?
タイトルが、「恐怖の航海! 港に出現した人食いザメ」などというB級映画風のものであったならまだわかる。
だが、この絵には「ワトソンと鮫」という、極めてぶっきらぼうなタイトルが添えられているだけ。他に何の説明もない。ワトソンって誰だ。
西洋絵画にはいつもモヤモヤとさせられる。『サムソンとデリラ』とか、『プロセルピナの略奪』とかいわれても、何のことやらさっぱりわからない。
この絵にしても、何の説明もなく、ただ「ワトソンと鮫」である。まことにつれない。そっけない。
そしてこのサメときたら、どうだ。
こんなサメがこの世にいるのだろうか? 丸い背びれに、奇妙な鼻の穴、黄色い目玉は、魚にはあるまじきことに前方を向いている。
しかし、無表情の下に狂気を秘めたような、サメ独特の猛々(たけだけ)しさは画面からあふれ出るようで、異様な迫力がある。桟橋(さんばし)の下をひょいとのぞいてこんなのを見たら、失禁しそうだ。
それならば、もっと恐怖をあおる題名の方が……、などとつい考えてしまうが、なぜ、この画家は、こんなタイトルをつけたのだろう?
「絵画のタイトルは、必ずしも画家がつけたとは限りません」
これはこれは中野先生。名画といえばこの人、怖い絵といえばこのお方をおいて他にはいない。それではこれから、絵画についての無知蒙昧(むちもうまい)をさらけ出し、根掘り葉掘りうかがってみたいと思う。
――早速ですが、中野先生、これはそもそも何の絵なんでしょうか? 何でサメに襲われてるのですか? サメ漁か何かですか?
「これは現実にあったサメ襲撃事件を、絵画化したものです。
描いたのは、ジョン・シングルトン・コプリー。アメリカの画家です。発注したのは、ブルック・ワトソン。ロンドン市長です。絵の中でサメに襲われているのは、少年だった頃の市長なんです」
――市長がなんでサメに襲われる羽目に?
「後年、ロンドン市長となるブルック・ワトソンは、若い頃は船乗りでした。孤児だった彼は、ある商人に船員として雇われ、世界のあちらこちらを航海していたのです。ワトソン少年の運命が変わったのは、1749年、14歳のときのこと。
船がキューバのハバナ港に停泊していたとき、海でちょっと泳ごうと思ったらしいですね。そして海に入ったところをサメに襲われました。一命を取り留めましたが、右足を失ってしまいます。
それでもワトソンは不自由な体となりつつ、がんばりぬきました。軍隊ではたらき、ビジネスを興おこしてからは商人として成功をおさめ、やがてロンドンの市会議員に、ついにはロンドン市長にまでなります。
この絵は、大成したワトソン市長が、自分の体験を絵にしてほしいということで、画家のコプリーに発注したものなんです」
――サメに襲われた本人が、その様子を描いてほしいと。しかしそれはまたなぜでしょう?
「絵はロンドンにあるキリスト教系病院に寄贈されました。
そこには孤児たちが保護されていました。ワトソン自身が孤児で、しかも足を失うという大きな不幸に出会った。でも彼はへこたれず、成功をおさめた。この絵が青少年の励みになることを願ったのでしょうね」
――成せばなる、というわけですね。それにしても、ワトソン少年はどうして素っ裸なんでしょう。
「裸を描きたかったから」
――は?
「歴史画にはそもそも『ヌードを入れる』という、暗黙の了解みたいなものがありました。『人体を美しく描く』ということに、西洋絵画の根源的な目的があります。日本人には想像を絶する、ヌードへの執着です。そのためこの絵にもヌードを入れて、歴史的風格を出そうとしたのではないでしょうか。
テオドール・ジェリコーの傑作『メデュース号の筏(いかだ)』も、必要はないのに、わざわざ漂流中の船員をオールヌードにしている。しかも、飢えているはずなのに、みんなシュワちゃんとかミケランジェロばりの、筋骨隆々とした肉体です。
でも芸術というのは、そうでなければいけないことがあるんですね。
リアリティ一本槍やりで、本当にへろへろの漂流者を描いても、目にも心にも訴えないでしょう。芸術としてのリアリズムは別なんです。
オペラに似ています。死にそうなのに、一曲歌って泣かせるわけでしょう。平凡な男女が出会って結ばれる、という映画でも、演じるのは魅力的な美男美女。そうでなかったら二時間も観客をスクリーンに釘付けにできません。『メデュース号の筏』もそういうことなんじゃないかと思います」
なるほど、芸術においても、脚色や演出というものは必要であり、その見せどころのひとつがヌードということなのだろう。映画、舞台、小説、マンガ、そういう「お約束」の例は、現代にもいくらでもありそうだ。
(つづく)
怖いへんないきものの絵
2大ベストセラー、『怖い絵』の著者・中野京子氏と、『へんないきもの』の著者・早川いくを氏。
恐怖と爆笑の人気者がコラボして、爆笑必至なのに、教養も深まる、最高におもしろい一冊『怖いへんないきものの絵』を、たくさん楽しんでいただくためのコーナーです。
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