なにかを一途に愛するのは、そう簡単なことじゃない――カラスを研究しつづけて25年。東京大学総合博物館の松原先生が、その知られざる研究風景をつづった『カラス屋、カラスを食べる 動物学者の愛と大ぼうけん 』から一部をご紹介します。愛らしい動物たちとの、ちょっぴりクレイジーなお付き合いをご賞味ください。
さて前回、環境アセスメントのバイトにも慣れてきた若き日の松原先生。調査中にいよいよ貴重な「あの鳥」に遭遇して大興奮です!
こんなマッチョな鳥はあいつしかいない!
8時半に現場に到着した。一般に鳥類の調査はもっと早くから始めるが、猛禽がメインならこのくらいの時間でも大丈夫だ。無線機やチェックシートや地図など調査道具一式が入った籠、さらにパイプ椅子とブルーシートを支給される。
「定点、ここな。あとはまあ、わかると思うし。いつも通りやっといて」
「はい、わかりましたー」
定点は田んぼの脇の道端だ。通行の邪魔にならないところにパイプ椅子を置き、畳んだブルーシートを放り出して、その上に荷物を下ろす。デイパックから双眼鏡を出し、望遠鏡を三脚にセットして、脚の長さを調整する。椅子に座ってヒョイと覗ける高さが理想だ。だが、少し高めにしておかないと、鳥が頭上に来た時に覗くのが苦しくなる。
チェックシートに日付、開始時刻、定点番号、調査者氏名、天候を書き込み、温度計を出して日陰にかざす。温度を測っている間に周囲を見回して、地図と照合しなければ。そしてコンパスで方位の確認。ふむ、あっちが北、と。頭の中で地図を回し、北の方に山が続いて、この谷は東向き、と基本的な地形を頭に入れておく。
これをやっておかないと、鳥の出現場所を地図に記入する時に大間違いをやらかしかねない。あそこに見えている山は地図上のこれ、あっちの尾根はこれ、あの川はこれで、集落はこれか。道路がこう通って、あそこが線路。あ、あれが、このトンネルね。すると、あそこに見える斜面はこのへん。ふむふむ。
気温15度。チェックシートに必要な事項を書き込んだのを確認し、双眼鏡であたりを監視し始める。猛禽だけでなく、一般鳥類も記録しなければならない。
スズメ。カワラヒワ。ハシボソガラス。ヒヨドリ。ツバメ。
昼になったが猛禽はいない。退屈だなあ、と思いながら周囲を見渡す。バイトだから飽きてもやめられないし、寝るわけにもいかない。
その時、1キロくらい離れた山肌の鉄塔のあたりに、黒い点が見えた。ん? 猛禽か?
双眼鏡で確認する。点はいくつもあった。くるくると旋回しながら鉄塔の上空を舞っている。あの飛び方は、トビだろうなあ。トビはれっきとした猛禽だが、こういった調査では「書かなくていい鳥」だ。希少種や絶滅危惧種ではないので、たとえ開発予定地に営巣していたとしても、特に配慮されない。
念のため、望遠鏡を向けた。退屈だったのでトビでも見てやろう、という理由もある。視野に入ったぼやけた姿を追って望遠鏡を動かしながら、ピントを調整する。
茶色い体、真ん中が切れ込んだ尾羽、細長くて、眉毛のように軽く弧を描く翼。翼の下面に白い斑点。間違いない、トビだ。次の鳥が視野に入ってきた。やはりトビだ。あれもトビ、これもトビ、多分トビ。きっと……。
ちょっと待った!
一瞬、視野をかすめた鳥はトビではなかった。よく似た褐色だが、重量感が全然違う。
慌てて望遠鏡を動かすが、視野に入らない。双眼鏡に持ち替えて探す。
いた。トビのすぐ下だ。同じく、気流に乗って旋回している。双眼鏡で見てもトビではない。もっとボリュームがある。
望遠鏡の角度をわずかに変えると、そいつが視野の中に浮上してきた。ズズズズ……と効果音を入れたくなるような重々しさだ。見てはいけないものを見ているような、とんでもない迫力。
近くを飛ぶトビと比べて、翼開長は変わらない。だが、翼弦、つまり前後方向の幅の広さが全く違う。翼の面積がとにかく巨大なのだ。それに対して頭は小さく、短い。尾羽も短めで丸い。ものすごくマッチョな印象。
心持ち翼をV字に持ち上げながら、体を傾けて旋回している。旋回中、こちらに腹を向けたので、裏面が見えた。腹側は白い。尾羽と翼に黒い線が何本か見える。いわゆる鷹斑だ。緑の濃い森林をバックに白い面を見せたので、シルエットもよく見えた。翼の後縁が膨らんでいる。
こんな鳥は、あいつしかいない。私は望遠鏡を覗いたまま、急いで無線機を取り上げた。
「定点6、松原です! クマタカ出ました!」
「なんやてー! ほんまか!」
課長さんから慌てた返事があった。
そりゃ慌てる。クマタカはこういった調査で「要注意」な鳥の中でもランクが高い。オオタカなら「まあオオタカはおるわなあ……」で済むかもしれないが、クマタカ様がいらっしゃると一騒動だ。
オオタカは市街地でも見かけることがあるし、郊外に行けば「あ、オオタカ!」くらいにはいる。「!」がつく程度には珍しいが、激レアものではない。
もちろん、それと「保護しなくてもいいかどうか」は別問題だ。オオタカの生存には大きな木や、大量の餌となる小動物が必要で、狩りのしやすい空間も必要だから、その将来は決して安泰ではない。「幸いにして、今はまだ、そこそこ見ることができる」というだけである。
これがクマタカになると、ハードルが跳ね上がる。クマタカの推定生息数は環境省の発表では日本全国に約1800羽。ただし十分な調査ができたわけではないので、実際はそこまで少なくはないだろう。だとしても、何万羽もいる鳥ではない。彼らはオオタカ以上に人間から距離を置くし、餌はリスやヤマドリが主体だ。こういった餌生物がふんだんに住む、よく茂った森林がないと生きて行けない。
つまり、クマタカがいるくらいなら、それを支える生態系も非常に豊かだ、ということになる。クマタカ自体ももちろん貴重なのだが、クマタカが生きていられる自然そのものが、大いに価値がある。そういう意味で、猛禽は環境の指標であり、保護の象徴となるのだ。決して「猛禽がいさえすればいいんでしょ」という意味ではなく、「猛禽を旗印として、猛禽が生きていられる環境全体を保全しましょう」という意味である。
で、こういったアセスメントの相場観としては、「クマタカ様が出た=工事ちょっと待った」なのである。クライアント、すなわち工事する側の依頼で調査をしている会社としては、「うわ、クマタカ出た、報告書どうしよう」になるのは当然だ。
このへんの事情を言ってしまうと、クライアントが求めているのは、「ちゃんと環境アセスメントをやりましたよ」という事実と、「でもこの開発計画には問題ありませんよ」というお墨付きだ。「調査の結果、建設予定地でクマタカの繁殖が確認されたので開発すべきではありません」なんて結果は期待していないはずである。
もちろん、アセスメント会社やコンサルタント会社は「これは開発ダメですよ」という報告を出すことはできる。これが公表されれば、開発が止まることもあるだろう。だが、そこにはやはり、クライアントと業者の大人の事情が常に絡む。
彼らがきちんと調査をしなければ、そもそもデータが集まらない。しかし正直に報告すると、経営が成り立たない恐れもある。潰れてしまえば、真面目にデータを集められる会社そのものが消滅する。環境コンサルタントやアセスメント会社は、常にそういう板挟みの中にいる。これはアセスメント会社のせいではなく、元を辿れば、「開発側が調査を発注して、自身の開発計画にお墨付きを与える」というシステムの問題である。
もっと裏事情を言えば、何が発見されようと、報告書のテンプレートは「~しかし十分な対策が考えられており影響は小さいものと考えられる」で結ぶことになっている場合さえあるのだ。
とある会社でのことだが、報告書をまとめながら、社員さんが「影響ないわけないやろがドアホ!」と吐き捨てていたのも、聞こえたことがある。こういう人たちの想いや努力が握りつぶされるようなことがあってはならないと、切に思う。
カラス屋、カラスを食べる
カラスを愛しカラスに愛された松原始先生が、フィールドワークという名の「大ぼうけん」を綴ります。「カラスの肉は生ゴミ味!?」「カラスは女子供をバカにする!?」クレイジーな日常を覗けば、カラスの、そして動物たちの愛らしい生き様が見えてきます。
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