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死ぬときにはじめて気づく人生で大切なこと33

2019.03.14 公開 ポスト

末期がんの母親が死ぬに死ねないたった1つの理由大津秀一(緩和医療医)

これまで2000人もの終末期がん患者に寄り添ってきた緩和医療医、大津秀一先生。著書『死ぬときにはじめて気づく人生で大切なこと33』は、実際に先生が体験した患者さんとのエピソードから、本当に幸せな生き方とは何かを教えてくれる一冊です。忙しい日々を送っていると、つい忘れがちなことばかり。死ぬときに後悔しないためにも、少しだけ歩みを止めて、一緒に考えてみませんか? 33のエピソードの中から、いくつかご紹介します。

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いくつになっても子供は心配

私、子供なんかいなければよかったんです──鈴木さんは痩せこけた頬を上気させ、哀切な目を私に向けて訴えます。「こんなことになるのならば、子供がいなければ」

iStock.com/Nastco

鈴木さんは四十代の末期子宮頸がんの患者さんです。命はおそらくもうあと一、二カ月というところに迫っていました。

彼女はシングルマザーです。翔太さんという、十九歳の息子さんがいます。頼る家族、親族もいない中、女手ひとつで育てあげました。その翔太さんのことが、鈴木さんは最後まで心配で心配で仕方ありませんでした

「病気とか、お金とか、死ぬこととか、そういうのが気になる人は多いでしょうね……」

彼女は暗い光を帯びた目で、まるで他人事のように呟きます。

私はやっぱり息子のことなんです。十九なのに本当に頼りにならないのです。私が病気のことを言っても、黙っているだけ。相槌しか打たないんです」

相槌しか打たないのは、実は頼りがいがあるのではないか──相槌が仕事のひとつである私の脳裏には、その仮説が一瞬よぎりますが、今は鈴木さんが話す番です。

「大学に在籍しているんですが、行っているんだか、行っていないんだか。しょっちゅう家にいます」

私も似たようなものでした──と、つい口を開きかけて、それは何の説得力もないことに気がつきます。

「一番はあんな頼りない息子を一人にして……逝くことです。あぁ……」

愛している息子さんを、鈴木さんの言う頼りない息子さんを置いて別の世界に旅立たねばならないこと。それが鈴木さんの苦しみだったのです。

確かに、鈴木さんからすれば、まだまだ頼りない息子さんなのかもしれません。まだまだ庇護が必要だけども、自分はもう逝かねばならない。母親としては間違いなく苦悩なのでありましょう。

一方で私の中では、「息子でもある私」が首をもたげました。

「ただ、どうでしょうかね、私が十九歳の頃は、確かに頼りなかったですけれども、でもそれほどでもないと言いますか、大学もその、適当に行くのをセーブするというか、ははは。でも徐々に、何と言いますか、男の子は一人前の男性に育っていくんじゃないかなって気がします、私の個人的な経験では」

「先生が慰めてくれようって気持ちはわかりました。でも私、そんなのを信じられるくらいうぶじゃないんです。と言いますか、うちの翔太のヌボーッとした感じは、もう本当に不安なんですから」

取り付く島なし。

病状が徐々に進む中で、鈴木さんはずっと息子さんのことを案じ続けていました。

親が思うよりも成長している

そんなある日のこと、とうとうがんの進行によって足腰が弱ってしまい、自宅での生活が困難となり、入院することになりました。

iStock.com/gyro

鈴木さんの脇に付き添って来た翔太さんの姿を見て、私は驚きました。長身でお洒落な眼鏡をかけた落ち着いた若者がそこにいたのです。頼りない、頼りないと鈴木さんが連呼してきたイメージと、あまりにかけ離れていました

先生、いろいろありがとうございました──絵になる、翔太さんの綺麗なお辞儀。頼りないというフレーズがますます遠くなります。

「すみません、先生、なにせ僕も初めての経験なので、自分がどう振る舞ったらいいのかとか、何をしたりすればいいのか、母に何をしてあげればいいのか、できればアドバイスをいただければありがたいです」真摯な姿勢、まっすぐな瞳、美しいお辞儀。

なんていい息子! 私は飛び上がらんばかりでした。

一緒にいた看護師もまったく同感だったようです。部屋を出ると感心することしきりでした。

翔太さんは私に話してくれました。

「母の病気のことはよくわかっています。自分でもいろいろと調べて来ました。母は、一生懸命に僕を育ててくれました。父親がいない分、母は父親でもありました。僕には弱いところを見せられないのだと思います。僕のことは──。きっと頼りないと思っているんじゃないかな。頼りない僕に、強い母でありたいんだと思います。弱みを見せられないところがあるから……。だから僕は母に何も言いませんでした」

そんな鈴木さんが初めて口にした言葉があったそうです。

「“苦しい”って言ったんです。だからこれは尋常ではない、もう一緒に……過ごせる時間は長くないってわかりました。だから母を連れて来ることにしたんです。僕は……お医者さんや看護師さんではないですから、何が母にできるかわかりません。でも最後まで付き添いたいと思っています」

鈴木さんは病気の進行とともに、眠っている時間が増えていきました。呼びかけても起きないときもあります。

私は看護師と相談し、ある日こう呼びかけてみました。

「鈴木さん! あの、できれば私たちに、子育てを教えてください!」

“子”というフレーズに反応したのか、鈴木さんは眠そうな目を開きます。

「あ、先生、だから息子は……」──まだ混乱しているようです。

「鈴木さんね、息子さん、本当にいい息子さんですね。頼りなくなんかないですよ。頼りがいあります。間違いない」

「息子が?」

鈴木さんの頬にツーッと一条の涙が流れました。

そして、翔太さんが手厚く見守る中、鈴木さんは旅立たれました。

少しだけ安心したような表情であったと、私も翔太さんも感じました。

関連書籍

大津秀一『死ぬときにはじめて気づく人生で大切なこと33』

気がつけば、私たちは様々なものにがんじがらめになって生きています。やらねばならない日々の仕事や家事、勉強や、下さなくてはならない判断、それを前にして悩むことなどにも多くの時間を費やしています。誰かや何かを失うことがあります。それは、生きていると頻繁に訪れます。けれども、縛られていたものを手放さざるを得なくなったとき、悲しみや切なさと同時に、過剰な執着や執心から解き放たれて、「自由になった」と感じることはないでしょうか。どこからか、自由を始めてみませんか。

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死ぬときにはじめて気づく人生で大切なこと33

これまで2000人もの終末期がん患者に寄り添ってきた緩和医療医、大津秀一先生。著書『死ぬときにはじめて気づく人生で大切なこと33』は、実際に先生が体験した患者さんとのエピソードから、本当に幸せな生き方とは何かを教えてくれる一冊です。忙しい日々を送っていると、つい忘れがちなことばかり。死ぬときに後悔しないためにも、少しだけ歩みを止めて、一緒に考えてみませんか? 33のエピソードの中から、いくつかご紹介します。

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大津秀一 緩和医療医

茨城県出身。岐阜大学医学部卒業。緩和医療医。東京都文京区にある緩和ケア専門の早期緩和ケア大津秀一クリニック院長(https://kanwa.tokyo)。オンライン診療で全国対応中。日本緩和医療学会緩和医療専門医、老年病専門医、日本内科学会総合内科医専門医、日本消化器病学会専門医、がん治療認定医。日本最年少のホスピス(当時)の一人として京都市左京区の日本バプテスト病院ホスピスに勤務したのち、2008年より世田谷区の入院設備のある往診クリニック(在宅療養支援診療所)に勤務。入院・在宅(往診)双方でがん患者・非がん患者を問わない終末期医療を実践。多数の終末期患者の診療に携わる一方、著述・講演活動を通じて緩和医療や死生観の問題等について広く一般に問いかけを続けている。著者に『死ぬときに公開すること25』(新潮文庫)、『死ぬまでに決断しておきたいこと20』(KADOKAWA)、『「いい人生だった」と言える10の習慣』(青春出版社)、『1分でも長生きする健康術』(光文社)などがある。

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