「期待しすぎずに、楽観でいこう」元・東レ経営研究所社長の佐々木常夫さんが晩年について語った『人生は理不尽』(小社刊)が刊行されました。佐々木さんは東レ時代、肝臓病とうつ病を患い自殺未遂を繰り返した奥さまと自閉症のご長男を支えながら、必死に取締役にまで上りつめるも突然、左遷人事を言い渡されてしまいます。なぜ私が…そんなやりきれない想いに悩みますが、「なんとかなるさ」と前を向き『ビッグツリー』『そうか、君は課長になったのか。』とベストセラーを著しました。そんな佐々木さんも74歳。死を意識するようになった今、何を想うのか。人生の暗夜に苦しむ全ての方に贈るメッセージです。
「若々しさ」なんていらない
最近は若々しい高齢者が多くなりました。サプリメントのCMなどに影響されて、「若くあらねば」と思い込んでいる人も少なくないかもしれません。
でも、「常に若々しく」なんて考える必要はないと思います。若々しくいたいのならそれはそれでかまいませんが、みんながそれを目ざすべきだとは思いません。
大事なのは、その人らしく自然体でいること。若作りしようとがんばるより、自然体で年をとるのが一番ではないでしょうか。
若作りするということは、いわば自然に逆らうということです。年齢とともにやって来る老いや死を自ら拒むことでもあります。こういうことを繰り返していると、かえって老いや死への恐怖が増しかねません。
一方自然体で年をとれば、老いや死がちょっとずつ近づきます。「年をとったな」「やがて死ぬんだな」という感覚に親しみながら、のんびり年を重ねていけば、老いにも死にも自然に慣れることができます。
こうして少しずつ慣れていけば、「怖い」「無念だ」といった気持ちも消えて、「いつお迎えが来てもいい」と死を受け入れられるようになるのではないでしょうか。
私の兄は67歳のとき、肺がんで亡くなりました。知らされたときは余命1年、最後まで「まだやりたいことがあるのに」と言い続けながら息を引き取りました。
健診もろくに受けず、健康に無頓着だったことを思えば、自業自得と言われてもいたしかたありませんが、死をおだやかに受け入れられずに逝った兄の心境を思うと、切なさを覚えずにはいられません。
私は「尊厳死」を選ぶことにした
日本人の平均寿命は現在80歳を超えています。過去最高を更新し、今後さらに伸びることも予測されます。しかし一方で、70代のはじめで亡くなる人も案外多い気がします。兄も67で逝きましたし、中学時代の親友も68で亡くなりました。
平均寿命が伸びたと言っても当然個人差はある。そう思うと現実的な死について考えざるを得なくなります。
私の場合、すでに尊厳死協会に入会し、命の末期を迎えたら延命措置を控え、緩和に重点を置く医療に最善を尽くしてもらうよう決めています。人工呼吸器や胃瘻は装着せず、自然に近いかたちで死ぬのが一番と判断したのです。
これを決めた理由は母の死でした。母は最後、認知症と糖尿病を患っていました。自力で食事できず、胃瘻によって栄養を取り入れる状態になりましたが、息苦しそうに長らえている様子は痛々しい以外のなにものでもありませんでした。
一日でも長く生きていてほしいという兄弟の意向を尊重しましたが、回復の見込みのない人間を無理に生かすことが果たしていいことなのか。少なくとも私自身は、母のような延命だけは避けたいと痛感したのです。
最近は安楽死も話題に上がります。苦しみ続けるくらいならいっそ安楽死させてほしいと考える老人も少なくないと言われます。その気持ちも、わからなくはありません。しかし、安楽死は必ずしも合理的にできるとは限りません。本人以外の人間の意思が働けば、殺人事件にもなりかねません。
心情的には賛成でも、理性的に考えれば避けたほうがいい。安楽死に関しては、今の日本社会ではそう言わざるを得ない状況なのかもしれません。
人生は理不尽
「期待しすぎずに、楽観でいこう」元東レ経営研究所所長の佐々木常夫さんが、壮絶な半生から学んだ人生晩年の哲学『人生は理不尽』(1月25日、小社刊)より一部公開。人生の暗夜は本書で照らせ!
~うつ病の妻、自閉症の長男を支えながら死に者狂いで辿り着いた東レ取締役。しかし、妻が2か月後自殺未遂。そして突然の左遷――。会社のために頑張ったのに、なぜ報われないのか。なぜ自分や家族が、こんな目に遭わねばならないのか。苦悩の中で、私は物事を客観的に見るコツを身につけました。それが「期待するのをやめる」ことです。人生は時に理不尽です。しかし理不尽から学ぶものも決して少なくないのです。~