元NASA研究員の小谷太郎氏が、最新かつ知的好奇心を刺激する宇宙トピックスを解説した『宇宙はどこまでわかっているのか』(幻冬舎新書)が話題です。
ここでは本書より「孤独な人類は火星をあきらめられない」をお届けします。なぜわれわれは「火星人は存在する」という説を捨てることができないのでしょうか?
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地球で生命が誕生したころ、火星にも海があった
2018年7月25日、欧州宇宙機関(ESA)が「火星に液体の水を発見」と発表しました。火星の地下に湖が存在するというのです。そう聞くと、もしかしてそこには生命がいるかも、と期待したくなります。
火星は古代から人類(のうち夜空を眺める物好きな連中)に親しまれ、それが地球とおなじようなひとつの世界だと知られてからは、そこには生物、特に知的生物がいるのでは、と空想されてきました。
現在の火星の地表は、気圧が低く、液体の水は存在できません。液体の水は水蒸気圧が0・006気圧以下だと蒸発してしまい、どんな温度でも存在できないのです。
しかし37億年以上前、火星には濃い大気があり、海や湖も存在したと考えられています。地球の生命が発生したころ、おとなりの惑星にも海があったのです。
このような火星像がわかってきたのは比較的最近のことです。こういう理解が得られるまで、火星のイメージはどのようなものだったか、ちょっと振り返ってみましょう。
誤訳から生まれた火星人信者たち
1877年、イタリアの天文学者ジョヴァンニ・ヴィルジニオ・スキアパレリ(1835-1910)が火星を望遠鏡で観測して地図を作成しました。
天体スケッチというものは、望遠鏡をのぞき込み、大気の影響でにじんだりぼやけたりする天体像をにらみ、一瞬明瞭に浮かびあがる地形をとらえてすかさず描きつけるものです。
名人の天体スケッチには、素人にはとてもとらえられない細かい地形が浮かびあがり、見る人を驚かせます。
スキアパレリも相当な名人だったのでしょう。その火星地図には溝や海がびっしり描かれています。
この見事な火星地図は、イタリア語からフランス語を経て英語に翻訳される過程で、ドラマティックな誤訳が加えられて「完成」します。
独創的な訳者が「溝(カナーリ)」を「運河(キャナル)」と訳したのです。
こうして英語圏、とくにアメリカでは、火星には高度な知性を持つ火星人がいて、惑星規模の土木工事をおこなっているという解釈が広まります。
着陸による熱狂、そして失望
時代は飛んで、1976年はアメリカ独立200周年でした。NASAは火星探査機バイキング1号と2号の成功をもって、この日が来たのを祝いました。
1号の着陸機が火星に着陸したのは1976年7月20日で、7月4日をちょっと外しました。
バイキング1号と2号の送ってきた火星の風景写真は人々を興奮させましたが、そこに生命の影はありませんでした。
火星は美しいけれども不毛な砂漠でした。着陸機は火星の土壌を調べ、微生物を探しましたが、見つけることはできませんでした。
バイキング計画の大成功の後、一時期アメリカの火星探査は低調になります。
1980年代に火星探査機は1機も打ち上げられませんでした。1992年に打ち上げられたマーズ・オブザーバーは、火星到着直前で通信途絶し、失われました。
火星への道のりは遠く険しく、宇宙は人類の送り込む探査機を隙あらば叩き落とします。火星探査は過酷で成功率が低いミッションなのです。
火星隕石によりブーム再燃
マーズ・オブザーバーの失敗以来ちょっと元気のない火星探査業界に、一気に活を入れるような発見が1996年にもたらされます。
火星から来たと推定される隕石「ALH84001」を子細に調べたところ、微生物が作ったと解釈できる構造が見つかったというのです。本当なら大発見です。
メディアは喜んでこのニュースを報じ、世界中が沸き立ちました。アメリカでは火星探査ブームが起きました。マーズ・グローバル・サーベイヤーが打ち上げられ、1997年から火星を周回して写真を撮りまくりました。一部で有名な「火星の人面岩」はこの探査機の「成果」です。
その後の研究によると、残念ながらALH84001に見つかった微細構造は、微生物とは関係なく、何らかの自然現象によって形成されたものと考えられています。火星の生命発見は虚報だったのです。
しかし、この隕石に始まった火星探査ブームはすっかり定着しました。
そして今度は地底湖発見
欧州宇宙機関のマーズ・エクスプレスは2003年に火星に到着し、以来、衛星軌道を周回しながら現在も観測中です。
これに搭載されたMARSISは、レーダーで火星の地下を探る装置です。レーダーとは、電波を対象に浴びせ、反射してきた電波を測定することによって、対象の情報を得る装置です。
2018年7月25日、MARSISチームが、火星の地下に液体の水を発見したと発表しました。(ようやくこの項の本題です。)
MARSISのデータを解析したところ、火星の南極地方で、地下からレーダー波の強い反射を見つけたというのです。そういう強い反射は液体の水面によるものと考えられます。
測定によると、この水の層は地下1.5kmにあり、大きさが20km程度、厚みが1m以下というものです。-70℃程度の低温なのに凍らないということは、塩分が濃く、飽和水溶液に近いのかもしれません。この結果は『サイエンス』誌に掲載されました(*1)。
前述のとおり、約37億年前、地球で生命が誕生したころ、火星には海があったと考えられています。ならば火星でも同時に生命が発生してもおかしくありません。
その後、火星は大気を失い、海は干上がりました。現在の火星の大気は地球の0.75%、つまり0.01気圧以下になり、その中に水は含まれません。
しかし、37億年前の火星の海でもしも生命が発生していたならば、その後、地下に逃げ込んで大気と水の減少を生き延び、現在の地底湖で細々と暮らしているとは考えられないでしょうか。
マーズ・エクスプレスの見つけた地底湖には、火星魚か火星プランクトンが泳いでいるのかもしれません。
ただし、火星の南極を探査しているのはマーズ・エクスプレスだけではありません。
アメリカのマーズ・リコネッサンス・オービターに搭載されたSHARADは、やはりレーダー波を測定する装置です。SHARADのチームは、同じ区域を探査していますが、そこに水の証拠は見つかっていないと答えています。
地底湖の存在はまだ確定とはいえないようです。
火星はこれまで何世紀にもわたって、「生命がいそう」と思わせる発見を小出しにして、人類の気を引いてきました。
その中には、間違いや単なる思い込みもあったのですが、何度空振りに終わっても、孤独な人類は火星に期待することをやめられません。
人類は火星を愛しているのです。
*1─R. Orosei, S. E. Lauro, E. Pettinelli, 2018, Science, Vol. 361, Issue 6401, p490