元NASA研究員の小谷太郎氏が、最新かつ知的好奇心を刺激する宇宙トピックスを解説した『宇宙はどこまでわかっているのか』(幻冬舎新書)が話題です。
ここでは本書より「小惑星イトカワの塵が伝える太陽系の歴史」をお届けします。先日、小惑星「リュウグウ」へのタッチダウンで注目された探査機「はやぶさ2」は、初代「はやぶさ」の活躍を受けて打ち上げられています。その初代「はやぶさ」のおかげで宇宙のどんなことがわかったのでしょうか?
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初代「はやぶさ」の成功で始動した「はやぶさ2」
2019年2月22日(日本時間)、探査機「はやぶさ2」が小惑
この難易度の高いアクロバティックなミッションは、まだ完了した
はやぶさ2は、先輩ミッション「はやぶさ」の成功を受けて打ち上げられました。初代はやぶさは小惑星「イトカワ」の試料を2010年に持ち帰ったのでした。
2018年8月7日、大阪大学の寺田健太郎教授、東京大学大気海洋研究所の佐野有司教授、高畑直人助教らの研究チームは、イトカワ試料の分析結果を『サイエンティフィック・レポーツ』誌に発表しました(*1)。
初代はやぶさの持ち帰った試料は微細な鉱物の粒で、ちりかほこりのような微粒子です。そこから、イトカワが過去46億年間にたどった履歴が明らかになったのです。
8年間におよぶ分析で明らかになったイトカワと太陽系の歴史を紹介しましょう。
*1─K. Terada, Y. Sano, N. Takahata, et al., 2018, Scientific Reports, vol. 8, 11806
ボロボロになって任務を遂行
初代はやぶさは、2003年5月9日(日本時間、以下同じ)に打ち上げられ、2005年11月20日と26日の2回、小惑星イトカワに着地をおこないました。
(以下、混乱を避けるため、初代「はやぶさ」を「はやぶさ1号」と呼んで区別します。)
着地中に、イトカワの地表にむけて弾丸を発射し、岩石の破片を採取するはずでしたが、弾丸は予定どおりには発射されませんでした。
そのため、試料容器に岩石の破片が入っている見込みはほとんどなかったのですが、運がよければ、微量のちりかほこりがまぎれ込んでいるかもしれないと期待されました。
メンテナンスも補給もなしに2年間の行程と探査をこなしたはやぶさ1号の機体はボロボロでした。燃料は漏れ、4台のイオンエンジンのうち2台(最終的には3台)が故障し、姿勢制御用のリアクションホイールは3基中2基が停止していました。
はやぶさ1号は一時の通信途絶から回復すると、残った冗長系をやりくりし、容器をかかえてよろよろと帰路を取りました。およそ3億キロメートルの真空をへだてた地球から、関係者がはらはらしながら見守り、宇宙ファンが声援を送りました。
打ち上げから7年以上過ぎた2010年6月13日、はやぶさ1号は地球に到達しました。オーストラリア上空に試料容器を投下すると、すべての任務を終えた機体は大気に突入して燃え尽きました。
その最後の姿はまばゆい流星として見えました。冒頭に示したのは、大川拓也さんの撮影した、はやぶさ1号の最期の姿です。(入念な準備と計算の必要な写真です。)
回収された容器には、はたしてイトカワ起源の物質が確認されました。数μm(マイクロメートル)~数十μmのちり粒子が1500粒以上見つかったのです。
こうして超絶難易度のサンプル・リターン・ミッションは成功し、小惑星イトカワからの試料が地球にもたらされました。人類は、月、ヴィルト第2彗星(81P/Wild)に続く3番目の異星からの試料を手にしました。
ちり1500粒を世界中で分析
イトカワの1500粒以上のちり粒子は、番号をふられてカタログ化され、一部はAO(Announcement of Opportunity)方式で世界の研究者に配布されました。
AO方式とは、実験試料や実験装置などのリソースの管理者が研究計画(プロポーザル)を公募し、試料や装置を使いたい研究者は自分の研究計画をもってこれに応募し、そのなかから使用者が選ばれるというリソース割り当て方式です。
こうして世界に分配されたイトカワのちり粒子に、待ちかまえていた研究者がありとあらゆる分析機器と分析手法をもちいて襲いかかりました。
透過型電子顕微鏡(TEM)や走査型電子顕微鏡(SEM)、ラマン分光に近赤外ラマン分光、質量分析、シンクロトロンX線回折、中性子励起(れいき)ガンマ線分光……。
宇宙から来たちっぽけなちり粒子から、構造、化学組成、鉱物組成、同位体比などなどのデータがしぼり取られました。
3粒のちりからイトカワの歴史がわかる
2018年8月7日、寺田健太郎教授らの研究チームがイトカワ試料の分析結果を発表しました。
この分析手法では、ちり粒子に「酸素イオンビーム」で、直径1μm~2μm、深さ1μm~2μmの穴をうがちます。穴を開けると内部の物質が飛び散りますが、その原子を数えます。一般的には「SIMS(2次イオン質量分析計)」と呼ばれる装置です。
寺田教授らのチームは3粒のちり粒子(サイズ34μm~192μm)にこの分析を行ない、ウランと鉛の原子核の存在比(同位体比)を測定することに成功しました。
(ちなみに、この研究で使用されたちり粒子はRA-QD02-0056、RA-QD02-0031、RB-QD04-0025という名前で、そのデータは、はやぶさ1号が採取したほかのちり粒子とともに https://darts.isas.jaxa.jp/pub/curation/hayabusa/ から自由に見られます。)
ウランの原子核は不安定です。時間が経つと「壊変(かいへん)」して別の原子核に変わり、最終的に鉛の安定な原子核になります。
壊変は時計のように精確に進行する現象なので、ウランと鉛の原子核の存在比を測定すると、この試料が何億年前に作られたのか、時計を読むようにわかります。
そして都合のよいことに、壊変は原子の中心部に秘められた原子核の変化なので、途中でウラン原子や鉛原子が乱暴にあつかわれても影響されません。
つまりイトカワのかたちが変わるほど衝撃を受けたり、数百度に熱せられたり、化学変化したりしても、数十億年前にセットされた時計を読みとることができるのです。
この解析の結果、イトカワを構成する物質は(4.64±0.18)×10^9年前(誤差は標準偏差、以下同じ)、つまり46億年前に作られたと推定されました。
そして(1.51±0.85)×10^9年前、つまり15億年前には、一度高温に熱せられたと思われます。おそらく天体の衝突事故があったのでしょう。これは先行する他の研究とも矛盾しない結果です。
小惑星イトカワと太陽系の46億年
この結果とほかの研究グループの結果を合わせると、イトカワと太陽系の経てきた46億年の歴史が浮かびあがってきます。
はやぶさ1号によってイトカワから地球に運ばれた物質は、元は別の天体の内部にあったと推定されます。冷却時間から考えて、この天体は直径20kmはあったようです。
46億年前の太陽系形成時、どの天体もできたばかりで高温だったころ、イトカワの母天体と呼ぶべきこの天体は火星と木星の間の小惑星帯に誕生したのでしょう。
15億年前(ほかの研究結果も考慮するなら14億年前)、イトカワの母天体は別の天体と衝突し、衝撃で熱せられ、ばらばらに壊れたと考えられます。
その破片がいくつか合体して、小惑星イトカワを作りました。イトカワのピーナッツのような形状は、破片の合体によって説明できます。
現在、イトカワは小惑星帯からはずれ、地球や火星の近くを通る軌道を巡っています。このような軌道を巡る天体は、100万年~1000万年というような時間が経つと、地球や火星に衝突すると予想されます。
あるいは逆に、天然のスウィングバイ航法によって遠くにはじき飛ばされる可能性もあります。イトカワやリュウグウのような、地球に接近する軌道をめぐる小天体の寿命はみじかいのです。
月などのクレーターを見ると、イトカワやリュウグウのような小天体は、過去に何度も衝突事故を起こしてきたことがわかります。約6500万年前、地球に起きたとくに大きな衝突事故は、恐竜をふくむ多くの生物種を絶滅させました。
イトカワの歴史からは、太陽系の熱い創成期、さかんに小天体同士が衝突した激変期、大絶滅を引きおこしてきた隕石衝突などの歴史的事件が浮かびあがってきます。
想定を超える苦労をしてはやぶさ1号が持ち帰ったのは、吹けばとぶようなちり粒子だったわけですが、それを丹念に解析し、データをしぼり取ると、太陽系の歴史が見えてくるのです。