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本屋の時間

2019.03.01 公開 ポスト

第56回

何も知らない辻山良雄

(写真:iStock.com/Rinateus)

書店での仕事をはじめたばかりのころ、当時勤めていた店で、あるときから同じ初老の男性によく話しかけられるようになった。その姿を見かける割にはレジで会計することはほとんどなく、わたしに話しかけてきたのも、いま考えれば先輩の女性社員たちからは相手にされなくなったからだと思う。以前は出版社に勤めていたというHは、「新入社員か?」「この店にはもう何年も前からきている」と威厳を見せるように話し、こちらが忙しくてあまり相手にしないそぶりを見せると、「ちゃんと年長者の言うことを聞け」と身体を震わせながら急に怒りはじめた。

 

 

そんなある日、Hから「おごってやるから、仕事が終わったら飲みにいかないか」と誘われた。いまならまず断るだろうが、社会人になり「はやく何者かになりたい」と焦っていた当時は、その誘いにも「その後につながる何かがあるかも」と、若干の期待を持って出かけていった。

指定された店は大衆的な(つまり安い)居酒屋で、その時間のほとんどは、家での肩身の狭さや、誰も本を読まなくなったというHの愚痴を聞きながら過ごすことになった。「早く帰りたいな……」と思う気持ちが顔に出ていたのだろうか、それを見たHは急に親密な口調になり「でも、辻山君には見どころがあるよ。本の世界は大変もしれないけど、頑張っていかなきゃな」と笑顔を見せながら、諭すように言った。仕事をはじめて、誰かにそんな温かい言葉をかけてもらうことがなかったので、その時は素直に嬉しかった。

 

それからしばらく経ち、遅番で出勤した日のことだ。店にはなぜか警察官の姿が見え、事務所のなかはざわついた空気が漂っていた。「何かあったんですか」と近くにいたAさんに聞くと、「Hさんが万引きで捕まったのよ……」と、Aさんはやりきれない表情をして答えた。当時店には私服の警備員が入っていて、Hが会計前の雑誌を鞄に入れるところを、その人が見つけたのである。これまでもHが店のなかで万引きを繰り返していたことが、取り調べから新たにわかった。

あわてて売場に出てみると、警察官に連れられて外へと向かうHの後ろ姿が見えた。うつむいて誰とも目を合わさず、Hはそのままエスカレーターを降りていき、それが彼を見た最後の姿となった。その日一日は動揺したまま過ごし、果たして自分はこの仕事を続けていけるのだろうかと、作業にまったく身が入らなかった。
 

(写真:齋藤陽道)

いまでも本屋の仕事をしていると、Hのことを思い出すときがある。

店には多くの客が来るが、そこで過ごす時間はお互い〈よそゆき〉のものだ。それでも店をやっていれば、その人のよそゆきでない人生に、不意に立ち会わなければならない瞬間がある。「本屋はきれいごとだけではない」と実感するのは、決まってそのような時である。

 

今回のおすすめ本

『新装版 真鍋博の鳥の眼』真鍋博 毎日新聞出版

鳥の眼を持ち、日本列島各地を微細に、マニアックに描ききったイラストレーターがいた。それは移り変わる街の様子を捉えるとともに、同じ時間に様々な街が平等に存在しているという驚きでもある。しかし、この絵が〈週刊〉で描かれていたとは、どう考えても信じられない。

◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます

連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBSHOPでもどうぞ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

辻山良雄さんの著書『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』のために、写真家・齋藤陽道さんが三日間にわたり撮り下ろした“荻窪写真”。本書に掲載しきれなかった未収録作品510枚が今回、待望の写真集になりました。

○2024年11月15日(金)~ 2024年12月2日(月)Title2階ギャラリー

三好愛個展「ひとでなし」
『ひとでなし』(星野智幸著、文藝春秋刊)刊行記念

東京新聞ほかで連載された星野智幸さんの小説『ひとでなし』が、このたび、文藝春秋より単行本として刊行されました。鮮やかなカバーを飾るのは、新聞連載全416回の挿絵を担当された、三好愛さんの作品です。星野さんたってのご希望により、本書には、中面にも三好さんの挿絵がふんだんに収録されています。今回の展示では、単行本の装画、連載挿絵を多数展示のほか、描きおろしの作品も展示販売。また、本展のために三好さんが作成されたオリジナルグッズ(アクリルキーホルダー、ポストカード)も販売いたします。

※会期中、星野さんと三好さんのトークイベントも開催されます。
 

【店主・辻山による連載<日本の「地の塩」を巡る旅>が単行本になりました】

スタジオジブリの小冊子『熱風』(毎月10日頃発売)にて連載していた「日本の「地の塩」をめぐる旅」が待望の書籍化。 辻山良雄が日本各地の少し偏屈、でも愛すべき本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方を訊いた、発見いっぱいの旅の記録。生きかたに仕事に迷える人、必読です。

『しぶとい十人の本屋 生きる手ごたえのある仕事をする』

著:辻山良雄 装丁:寄藤文平+垣内晴 出版社:朝日出版社
発売日:2024年6月4日 四六判ソフトカバー/360ページ
版元サイト /Titleサイト

◯【書評】

『アウシュヴィッツの小さな厩番』ヘンリー・オースター [著]/デクスター・フォード [著]/大沢 章子 [訳](新潮社)ーーアウシュヴィッツを含む3つの強制収容所を生き延びたユダヤ人が書き残した悪夢のような日常とは? [評]辻山良雄
(Book Ban)

『決断 そごう・西武61年目のストライキ』寺岡泰博(講談社)ーー「百貨店人」としての誇り[評]辻山良雄
(東京新聞 2024.8.18 掲載)

◯【お知らせ】

我に返る /〈わたし〉になるための読書(3)
「MySCUE(マイスキュー)」

シニアケアの情報サイト「MySCUE(マイスキュー)」でスタートした店主・辻山の新連載・第3回が更新されました。今回は〈時間〉や〈世界〉、そして〈自然〉を捉える感覚を新たにさせてくれる3冊を紹介。

NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて毎月本を紹介します。

毎月第三日曜日、23時8分頃から約1時間、店主・辻山が毎月3冊、紹介します。コーナータイトルは「本の国から」。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。

関連書籍

辻山良雄『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』

まともに思えることだけやればいい。 荻窪の書店店主が考えた、よく働き、よく生きること。 「一冊ずつ手がかけられた書棚には光が宿る。 それは本に託した、われわれ自身の小さな声だ――」 本を媒介とし、私たちがよりよい世界に向かうには、その可能性とは。 効率、拡大、利便性……いまだ高速回転し続ける世界へ響く抵抗宣言エッセイ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

新刊書店Titleのある東京荻窪。「ある日のTitleまわりをイメージしながら撮影していただくといいかもしれません」。店主辻山のひと言から『小さな声、光る棚』のために撮影された510枚。齋藤陽道が見た街の息づかい、光、時間のすべてが体感できる電子写真集。

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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。

バックナンバー

辻山良雄

Title店主。神戸生まれ。書店勤務ののち独立し、2016年1月荻窪に本屋とカフェとギャラリーの店 「Title」を開く。書評やブックセレクションの仕事も行う。著作に『本屋、はじめました』(苦楽堂・ちくま文庫)、『365日のほん』(河出書房新社)、『小さな声、光る棚』(幻冬舎)、画家のnakabanとの共著に『ことばの生まれる景色』(ナナロク社)がある。

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