殺人の濡れ衣を着せられた元自衛隊員VS.政府が秘密裏に構築する巨大監視網――超監視社会の闇を描き切る、警察ミステリーの新たな金字塔が生まれた。
産経新聞連載中から『震える牛』『血の轍』を凌ぐ、との呼び声高かった、相場英雄、渾身の傑作『キッド』がついに刊行!リアルよりリアルな社会情勢を緻密に織り込んだノンストップ・エンターテインメント誕生までの軌跡をお伺いした。
(取材・文 河村道子 写真 篠原知存)
――かつて陸上自衛隊の空挺部隊に所属し、レンジャーの称号も得ていた、主人公・城戸護は、これまでにないアクションヒーローとなりましたね。
相場 映画『ジェイソン・ボーン』シリーズの日本版をやってみたい!というのが、この小説の出発点でした。
マンガだと浦沢直樹さんの『マスター・キートン』、その前作にあたる『パイナップルアーミー』ですね。普段はぽよーんとしているけど、いざバトルフィールドに行くと凄まじいキレ者になる主人公を書いてみたかったんです。“そういうの、日本の小説ではあまりないよね”というのが僕なりのイメージだったものですから。
キャラの立った主人公がバンバン走ったり、飛んだり、というのを文芸の世界でやったら面白いんじゃないかと。
そしてエピソードで引きを作り、様々な人物の視点を駆使しながら、そのエピソードが絡み合っていくシステムにしてみようと。構想を考えていたときには新聞連載もすでに決まっていたので、次の展開が絶対に読みたくなるストーリーを構築しようと考えました。
――スイッチが入ると一変する城戸。一瞬たりとも目が離せない、引きの強いキャラクターですね。
相場 理由あって自衛隊員を辞めた彼は、ボディガードを副業としつつ、香港の裏通りで小さなカメラ屋を営んでいるんですけど、そこではずっとボケーっとしているんですよね(笑)。けれど、スイッチが入ると、突然、キャラが立ってくる。これは漫画をつくるときのメソッドなんです。“コロンボ型”というんですけど。
――小説でありながら、どこかマンガを読む感覚とも重なりました。目の前に絵が現れてくるような感じ、そしてコマ割りの如く、切れ味とテンポ良い場面転換には、そうしたキャラクターの成り立ちも由来していたのですね。
相場 もともと僕は、漫画原作を書いていたので。シーンが具体的に伝わらないト書きを書くと、“こんなんじゃ、漫画家は描けねーよ!”と編集者に原稿を破り捨てられ、鍛えられてきましたからね(笑)。
取材旅行に行った香港でも、漫画家の人たちがするように、あちこち写真ばかり撮っていました。彼らは観光地に行っても、名所ではなく、“街の感じがわかるんだよね”と言いつつ、ゴミ箱なんかを撮っていたりするんです。僕もそんなことをしていました。
そうした具体的な光景が自分のなかに入ってくると、書くシーンも立ってくる。そしてそこに実際にキャラが立ちあがり、その人のバックボーンも現れてくる。
――香港の風景を見たとき、日本を後にした城戸の背景も、はっきり見えてきたのですね。
相場 香港の風景のなかで、僕が注視していたのは人です。ここにはどんなやつがいるんだろうなって。香港ってすごく不思議な場所なんですよ。
日本だと、たとえばJR新宿駅の改札近くにちょっと異質な人がいたら、あれだけ混んでるのに目立つじゃないですか。でも香港って目立たないんです。民族も多様だし、みんな大きい声で喋っているし。
作中で、城戸本人にも言わせてますけど、溶け込めてしまうんです。みんな、自分のことに夢中なんですよね。その空気感がすごく良くて。であれば、日本という国に嫌気がさした人間が行くのは、やっぱりここだ、と確信しました。
――城戸がなぜ自衛隊員を辞めたのか、そして日本という国を捨てたのか。それは、この物語の大動脈であり、ミステリーでもあります。ストーリーは、彼が兵士であった頃の緊迫の場面から描かれていきますね。
相場 舞台となった島は、僕が毎年、行っている場所なのですが、なぜか空港にガードマンがひとりもいないんです。これ、絶対におかしいよね? この状況下だと、管制官を無視して、誰でも着陸できるよね? と、ずっと疑問に思っていたんです。様々な思惑を持った国や軍隊が侵攻して来たら、“ここ、ヤバいんじゃないか?”って。
けれどもし、そうなったとき、この国の政府は、防衛のため、自衛隊は出動させるだろうけど、 “応戦していい”というオーダーは出さないだろうなと。
――相場さんが、その島で立てた仮説のなか、起きてしまったことが、城戸の人生を変えてしまったんですね。けれど上海の商社マン・王作民にボディガードを依頼され、彼は再び、日本に戻ってくる。空港に到着するなり、すぐさま察知したのは王を監視する刑事たち。その事態を不審に思い始めた矢先、王の秘書が王を射殺し、自死してしまう。何が起きているのか、わからないなか、いつの間にか城戸は“殺人犯”として警察に追われることになっていく。
相場 城戸という男に、どんどん負荷をかけていきたかったんです。僕は、九九も怪しいのに(笑)、小説には複雑な方程式を組むんですよ。ラストで伏線を一気に、鮮やかに回収したいので、ノートには詳細にマトリックスを書いていくんです。
でもストーリーがいったん走り出すと、キャラクターたちが、“あ、こいつ、こんなことも言うんだ”っていうくらい、勝手に喋り出してくれる。そこからはもうイタコ状態になって書いています。
――城戸をはじめ、3つの視点が絡み合いながら動いていくストーリーのなか、その内の視点人物のひとり、週刊誌記者・大畑康恵は、まさにそのイタコ状態を彷彿とさせるようなキャラクターですね。
相場 城戸が護衛する王を取材対象者として追いかけ、やがて城戸のバディとなっていく彼女は、官邸に食い込んでいく記者たちを描いた『トップリーグ』のサブキャラだったんですけど、こいつ、面白いから使おうって(笑)。
――“絶対に取材を受けてくださいよ”と言って、城戸と行動を共にし、彼がなぜ殺人の濡れ衣を着せられたのか、という真実を突き止めるべく奔走する大畑ですが、彼女の存在は、ストーリーにどんな展開をもたらしましたか?
相場 ひとつには城戸への負荷です。城戸はスパイ活動もできるし、素手でも戦えるし、武器だって使える。けれど、そこにいきなりまったく素人である大畑が突っ込まれ、一緒に逃げるということになると、ものすごい負荷がかかるでしょう。
実は、大畑にはモデルがいるんです。めちゃくちゃ気が強くて大食いで、わがままな、けれどヒット作をバンバン出す某出版社の編集者なんですけど(笑)。そんな女性なら、城戸とは喧嘩だってするだろうし、もしかしたら行動を共にするうち、恋愛感情みたいなものも生まれてくるかもしれないなと。そこにもまたドラマが作れるのでは、という狙いもありました。
――そんな2人に、警察、ひいては政府の監視網が迫っていきます。その監視網をオペレーションルームで掌握しているのが、相場作品のなかでも、ひときわ人気の高い、殊にそのクールさが女性読者に人気の“あの人”です。
相場 『血の轍』から6年ぶりに“まばたきしない男”公安部の志水が帰ってきました。いつ出してあげようか、ずっと考えていたのですが、満を持しての登場です。このところずっと刑事部を書いていたので、久しぶりに公安部に光を当てたかったという気持ちもありましたね。
(後編へ続く)