殺人の濡れ衣を着せられた元自衛隊員VS.政府が秘密裏に構築する巨大監視網――超監視社会の闇を描き切る、相場英雄、渾身の警察ミステリー『キッド』。逃走する元自衛隊員の城戸を、監視システムを駆使し、追っていくのは、『血の轍』から6年ぶりの登場となる“まばたきしない男”公安部の志水達也。ノンストップで繰り広げられる2人の対決、だがそこには超監視社会・日本への警鐘も鳴り響いている。(取材・文 河村道子 写真 篠原知存)
(インタビュー前編から読む)
――公安部の志水も、視点人物のひとりとしてストーリーを動かしていきます。城戸と大畑を追う、監視カメラを通した目線で。日本中のありとあらゆる場所に張り巡らされた監視網を見つめ、人員を配置し、動かしていく彼の視点は、これまで小説では味わったことのない、ストーリーのなかに君臨する“神の視点”のように思えました。
相場 それに近いかもしれません。彼は監視カメラを駆使していますので。そしてその視線から逃れるには、どうすればいいか、というのが、城戸サイドの視点です。執筆中、僕は城戸の目線で、街をチェックしながら歩いていたんですよ。
今、実社会のなかでは監視カメラ、防犯カメラが、ないところはないんじゃないかというくらい配備されています。そこに注意を向けると、その網から自分も逃れられないことに気が付きます。なんだか嫌な感じですよね。
――これまで街を歩いていても、そうした監視システムについては鈍感であったのに、本作を読み進めるうち、監視社会の不穏さ、闇が、ひたひたと寄ってくるような感覚を覚えました。“ああ、ずっと見られているんだ”って。
相場 アメリカやヨーロッパでは、監視社会に対する反対の声があがっていますが、日本では“これで犯罪抑止できるならいいや”という考えの方が、おそらく圧倒的だと思うんです。
先日も福山で殺人を犯した人間が、大阪を経て、大津で捕まったんですけど、各地の警察がリークしたわけです。この駅のホームの監視カメラに映ってますよ、と。それで捕まった。でも、逆に考えたら、怖くないか?って。警察は意図的にアピールしていると思うんです、“監視カメラ、役に立っているでしょ?犯人逮捕したでしょ”って。
アメリカやイギリスではすでに監視カメラの映像と、そこにAIをプラスして分析し、“金曜の夜、この地域では犯罪発生率多いから、重点的にパトロール要員を振り分けましょう”ということを実際にやっています。それ多分、日本でもやっているんじゃないかなって僕は思っているんですけど。
そうしたシステムの土壌はおそらく日本にもありますよ、という警鐘もストーリーには含ませたかった。
――描かれている監視システムをはじめ、メールや通信履歴を傍受し、特定の人物や指定した場所への通信を解析して、個人の情報を丸裸にしてしまう<ドラッグネット>、一定時間の録音された肉声があれば当人の声を模倣することができるアプリなど、本作には驚くべきシステムや機器が次々と登場してきます。これはいったい……。
相場 CIA元局員の、エドワード・スノーデンのインタビューや著書を参考にしたのですが、ドラッグネットは実際にアメリカで稼働しているんですね。そして日本にもそのシステム、実は入っていますよ、と、スノーデンが言及している。
あとはもう想像力の世界です。使うんだったら、日本の警察は、政府は、多分、こうするよね、ということを書いています。音声で他人の声を真似るアプリは本当にあるんですよ。カナダの研究チームが開発したものが。少し前ならSFのように思えたことも、今、どんどん現実のものになってきていますね。
――そしてストーリーには、現実の社会情勢も投影されています。内閣人事や長期政権による弊害、隣国に対する対応の甘さ、自衛隊への危うい認識など、登場人物たちを通すことで、ニュースで知り得る現実より、実感値が上がりますね。物語のなかで描かれている、けっして報道されないようなことについても、“ああ、そういうことだったのか”と腑に落ちる。
相場 この小説は、あくまでエンターテインメントです。けれど僕は通信社記者だったので、今でも、たとえば永田町関係者とか、いろんな人とあちこち飲みに行くんです。そこで酔いが回るうちに、ぽろっと出てくるような話が、実は後にもの凄く光るダイヤの原石だったりするんですよ。自分の引き出しに数多収めている、その原石を研磨することが僕の仕事。
本作のなかには霞が関や永田町でも、おそらくけっこうな人しか知らないような話もぶつけています。市ヶ谷関係者の話も。けれどそれはあくまで研磨したもの。原石のまま出すとノンフィクションになってしまうので。
――その“研磨”したものから生み出されたであろう事情や人物に、城戸も、志水も翻弄されていきます。官房長官秘書官を長期間勤め、近い将来、警察庁長官か警視総監就任が確実視されている人物の、なんとしてでも城戸を殺人犯に仕立てあげたいという思惑も。警察と、その背後にある巨大な力に、各々の立場で対峙する2人から零れてくるのは、圧倒的な人間臭さですね。
相場 そうじゃないとロボコップになってしまいますから。けれどロボコップという映画が、なぜ成立したかといえば、あのキャラクターの中身がすごく人間臭いからなんですよね。
城戸も志水も、能力面では万能感がある。けれど感情面においては迷いもするし、悩みもする。そこで成立していく物語を僕は書きたかったんです。
――ラスト近くで、ストーリーは城戸と志水を、ある決着の場へと連れて行きます。そのシーンで、そして読み終えた後、晴れやかに感じられる彼らの人間的成長も、本作の醍醐味のひとつですね。
相場 2人にはどこかで、絶対にけじめを付けてほしいと思っていたんです。志水は『血の轍』の時もそうでしたが、あえて人間臭いところを自分で殺しているんですよね。本来は、ものすごく人間臭いやつなのに、それを出さないようにしているんです。けれどエピローグではつい油断して……(笑)。城戸は志水のそんな本質をちゃんと見抜いていて、自分と同じ匂いもするな、と感じている。
そして成長という意味で言えば、やはり大畑でしょう(笑)。城戸とともに命の危険にさらされながら行動していく彼女は、思いっきり鍛えられながら成長していく。そこには人間としての成長とともに、記者としての成長もありますね。
――大畑の成長の過程には、恋愛の匂いがふわりと香ってくるところもいいですね。
相場 そうなんです(笑)。特に、女子はそこ、萌えどころだと思います。映画『スピード』みたいに“この状況下で?”というところがね(笑)。
――最後に、読者の方へメッセージをお願いします。
相場 日本は安全ですけれど、その分の代償は皆さん、払ってますよ、自分のプライバシーをさらけ出してしまっていますよ、ということを、この小説を読んで、ちょっと意識していただけるようになったらうれしいなと思います。僕は監視されるのがあまり好きではないので、やっぱり意識してしまうんですよね。安全と引換に、何か失っていないか?ということを。
そして、城戸というキャラクターを思いっきり楽しんでください。こんな強いやつがいたら、自分でも雇いたいくらいですけどね。でも普段は、カメラを愛でている普通のおっちゃん。こういうおっちゃんが、いざスイッチ入ったら怖いよ(笑)、というところも楽しんでいただけたら。