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森瑤子の帽子

2020.08.14 公開 ポスト

80年代、女たちが性を語り始めた【再掲】島﨑今日子

2019年に発売された傑作ノンフィクション『森瑤子の帽子』が文庫になりました。80年代、都会的でスタイリッシュな小説と、家族をテーマにした赤裸々なエッセイで女性たちの憧れと圧倒的な共感を集めた森瑤子。母娘関係の難しさ、働く女が直面する家事育児の問題、夫との確執、そしてセックスの悩みといった今に通じる「女のテーマ」を日本で誰よりも早く、そして生涯書き続けた作家です。
書き手は島﨑今日子さん。「AERA」の「現代の肖像」や著書『安井かずみがいた時代』などで名インタビュアーとして知られる著者が、80年代と森瑤子に迫った渾身の1冊です(文庫版には酒井順子さんによる解説も収録)。一部抜粋してお届けです。

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凄まじい反響を生んだ「モア・リポート」誕生

小形は、「MORE」八〇年十二月号から「あなた自身の性を発見するために 女の生と性」と銘打ち「モア・リポート」の連載をスタートさせていた。それは、オーガズム、マスタベーション、性交、パートナーなどの四十五項目を立ち入って具体的に問うた読者アンケート結果の発表で、十三歳から六十歳まで五千七百七十人の女性たちが回答を寄せていた。連載一回目のグラビアを飾った女性の裸体のイラストは、佐野の手によるものであった。

「扉は見開きいっぱいに女が裸で横たわる絵でした。次のページのイラストは全裸で立つ女性の姿で、陰毛がバサバサ描いてあった。女性誌で陰毛があんなに大々的に描いてあるなんて、はじめてだったと思います。だいたいマスタベーションという言葉が女性誌に載るのも、はじめてでした。アンケートは付録みたいにして雑誌に挟み込む方法をとったので、ものすごくお金がかかったため、まず男性編集長を説得しなければならなかった。彼は好きにやらせてくれました。アンケートの反応は凄まじく、幼児期に性的被害に遭ったことなど、読者が自発的に、実に正直に語ってくれました。賛否両論ありましたが、その率直な言葉は、男性によって作られたそれまでの女性の性の概念を根底から揺るがすものでした」

「モア・リポート」は商品化された性への手厳しい批判となって、多くの女性たちの共感を誘い、男性には大きな衝撃を与えた。アンケートをまとめた『モア・リポート』の出版にあたり、プロモーションのために本について語ってもらおうと下北沢の家を訪ねたのが小形と森との出会いであった。森が『情事』で文壇デビューして四年がたっていた。主婦作家と肩書がついた作家の、その時のコメントがある。

──女同士ではなかなか性の問題を話し合うことはありませんでしょう。だから本を読んで、ああ自分だけが違うんじゃないんだ、みんなそうしたことで悩んでいるんだ、とわかって安心するんじゃないかしら。それに男の人たちも、女のホンネの部分にふれることができて、今より理解のある態度で臨むようになる、という期待もあります。(「週刊文春」文藝春秋/八三年二月十七日号)

「華やかな森さんのイメージが出来上がるのは八〇年代後半で、私が会った時はまだ人物がクローズアップされる前。はじめて会った森さんは、どちらかと言うと地味で、垢抜けた印象はなかった。下北沢の洋館も改装する前で、古い応接間に紛れてしまうような、洒落っ気もなくて、どちらかというと物を書く人というより、普通の主婦というイメージでした。でも、これが『情事』を書いた人なんだって」

オーガズムを得られるかどうか

その時、森は、『モア・リポート』に強い関心を寄せ、本に載せられなかった部分まで教えてほしいと言った。彼女は、とくにオーガズムについて知りたがった。アンケートでは、性交で必ずオーガズムを得ることができる人は少なくて、十人に七人がイッたふりをした経験を持つという結果が出ていた。

「はじめて会った時だったか、その次だったか、時期は覚えていませんが、森さんは、『私はノーオーガズムなの』と、言ったんですね。私が『モア・リポート』をやった人間だったから打ち明けたんでしょうけれど、その率直さに驚いた記憶があります。私は、基本的に、森さんの小説に関しては、なんだか本当のことが隠されているという気がしていましたから、自分を解放できないこと、性的なことが森さんの深い闇だったのかと自分の疑問とつながる気がしました。『娘との関係がどうしてもうまくいかない』『自分の子どもでも、好き嫌いがあるのよね』ということも、おっしゃってました。でも、彼女にとって大きな問題だったのはそのことより、やっぱり、自分が性的な喜びが得られないことだったように思います。その根本にある問題が森さんの抱える問題のすべてにつながっていたし、男の人との関係においても大きかったんじゃないかと思いました」

小形と会うようになった頃の森は、三番目の娘に夜尿症の症状が現われるなど、家族関係が行き詰まっていた。「カウンセリングを受けてみたいの。誰か知らないか」と相談された小形は、アメリカ帰りで売り出し中の河野貴代美と、もう一人のフェミニストカウンセラーの名前を挙げた。最終的に森は別の編集者に紹介されて河野のもとを訪れて、そのカウンセリング体験は彼女のはじめての書き下ろし小説『夜ごとの揺り籠、舟、あるいは戦場』にそのまま書き込まれ、さらに『叫ぶ私』として作品化されることになる。それは、作家・森瑤子のターニング・ポイントでもあった。

母との確執に確信犯的に向き合う

『夜ごとの~』は性的な問題を抱える主人公がカウンセリングを受けるなかで母との確執に思い至るという構成だが、『飛ぶのが怖い』にも、性とカウンセリングと母が書かれており、欧米でブームになった精神分析やカウンセリングが日本にも上陸していた。森の無意識はこの波に敏感に反応したのだろう。

文芸部の編集者から「森さんが『MORE』に書きたがっている」と言われ、連載小説のために定期的に森と会うようになっていた小形は、森から母親の話を聞くことになる。

「森さんは当初から『強い母が好きじゃない、母に愛されなかった』とは言っていたけれど、そのことをしっかり言うようになったのは河野さんのカウンセリングを受けるようになってからです。母に愛されなかったことが娘との関係に影響しているのだと、自分で分析していた。作家ですから何でも題材にするところがあって、カウンセリングを受けたのも、嗅覚が鋭かったから関心があったのでしょう。結局、『夜ごとの~』を書かないと、彼女はもう自分が囚われている世界から抜け出せなかったんじゃないかと思う。たくさんの恋愛小説を生み出しても、結局『情事』の焼き直しみたいで、さらさら流れるようなものばかりになってしまっていたような気がします。だからあそこで思い切った転換を図ったんじゃないでしょうか。そして手袋を裏返すように自分を裸にして見せることで、読者の共感を呼んだ。親や子どもとの関係、夫との性的な関係を一緒に抱え込みながら『夜ごとの~』や『叫ぶ私』を読んだ人がいっぱいいましたから」

しかし、エッセイではためらいなく自己開示をする一方で、森の書く小説は、エスプリの効いた男と女の話に収斂されていく。
森は、河野とのカウンセリングを八カ月で中断した。小形は、なぜ中断したのだろうかと考えずにはいられなかった。

「その後、『叫ぶ私』を出したでしょ。もちろんそのためだけにカウンセリングを受けたとは思わないけれど、書く素材としては、ここまででいいと思ったんじゃないでしょうか。これ以上分析を続けていると作家としての自分が壊れてしまう、自分のなかに沈み込んだら書けなくなるという思いがあったように感じました。素材として書けたとしても、自分で自分を解放できないとわかったんだろうし、解放することの怖さも予想がついたんじゃないかしら。やっぱり、本当の自分をさらけ出すことはできない。やはり私は、彼女がオーガズムを得られないと告白したことをどうしても思い出してしまいました」

小形には、森が国際結婚を選んだのもそうした性向が影響しているように思える。文化と言語の違いは、根っこのところで分かり合うことを阻む。最初から絶望があるという関係を、森は望んだように見えたのだった。

小形が伴走した森の小説『カナの結婚』は、性的な快感を得られない孤独な二十七歳の既婚女性の物語で、「MORE」に八四年八月から翌十二月まで連載された。森のたっての希望で、池田満寿夫がイラストを担当したが、小形にはこの小説についての記憶が稀薄だ。

「『カナの結婚』の時は、軽井沢の別荘にも原稿をいただきに行きました。ただ、原稿を楽しみに待つという気持ちにはなれなかったから、きっと思い入れが持てなかったんです。森さんは時代の流れを掬いとって、そのさらさらとした流れのように男女の愛を描く描写は本当に上手でしたが、表現というよりすごい表象的で、小説の世界よりはコマーシャルの世界のように感じられました。辛辣になりますが、佐野さんと『よく飽きもせず、同じような恋愛パターンばかり書くね』と話したことを覚えてます」

小形はまだ秘書のいない、人気作家としてのピークを迎える前の森しか知らないが、森の人柄のよさ、人間性は十分に認めている。

「素直で率直ないい人だったし、まったく計算高くなかった。人がいいから頼まれると、仕事を断れないところがありました。主婦としてやるべきことはちゃんとやっていて、ボーイフレンドと会ってるなんて聞いていたけれど、外で会っていても、夕飯の時間になると必ず家に帰っていきました。一緒にご飯を食べていても、ある時間になると帰りたがった。子どもがいたからでしょう。だから、私には森さんが本当にああ楽しそうにしているなとか、ああ気持ちよさそうにしているなと感じたことがありませんでした。いつも弾けきれない感じがあって、結局、最後は帰るところに帰っていくというイメージが強い。私がよく会っていたのは、まだそういう時期だったということかもしれません」

出会ってからまもなく、森は瞬く間に華やかになり、派手なメイクに衣裳で、どんどんきれいになっていった。

「森さんは、雑誌中心の出版社だった集英社と実にイメージが合っていて、だからこそああいう風に華やかな作家として展開していった。『情事』を書いて脚光を浴び、印税が入ってくることによって生活は一変したんでしょう。もともと森さんが持っていたものが、そのお金によって触発されたんだと思います。近藤正臣なんかと浮名を流したりするようになって、外で待ち合わせすると洋服が迫ってくるようでした。まさにゴージャスという感じで、初対面のイメージとは重なりにくかった。でも、私に違和感があっても、やっぱり、とても上手に変身したわけで、自分の演出方法はよく知っていました」

──(略)おしゃれですね、と人が言う場合、私は戦闘服に身をかためているのにすぎないと思っている。ほんとうは怖くてしかたがないのだ。逃げ帰りたい一心なのだ。怖ければ怖いほど、私はファナティックな服装になっていく。(角川文庫『恋愛関係』/八八年)

武装していく瑤子、そぎ落とされていく洋子

二人のヨーコは、森が『情事』を出しておよそ一年後、「セゾン・ド・ノンノ」で連載中の小説「招かれなかった女」の挿絵を佐野に依頼するという形で再会を果たしており、それから、佐野と森と小形の三人で数回会っている。四十二歳で離婚した佐野が、五十二歳で谷川俊太郎と再婚するまでのその間の出来事だ。

「『情事』が出た時、佐野さんから昔の遊び仲間だと聞いていたんです。それで『カナの結婚』の連載中に、一緒に会おうよということになり、ホテルのロビーで待ち合わせたら、一人遅れて森さんが真っ白いミンクの大きな帽子をかぶり、肩パッドの入ったノーマ・カマリのコートをなびかせて現れた。佐野さんが『これだよ、参るね』と笑っていました。森さんの周りだけ違う世界だった。森さんと佐野さんは二人とも素直な人ですが、同じ素直でも全然違うんです。佐野さんは存在そのものが素直で、森さんは性格のよさの素直さ。二人のヨーコは全然似ていません」

佐野はこの時のことを描写して、こう書いている。

──ミンク、ダイヤモンド、ローレックスの時計、香水、などが彼女程似合う人は居ない。
そのきらびやかなものに埋れて、悲鳴をあげ続ける魂を、彼女は後生大事にしている。ミンクと悲鳴を上げる魂は小説を書くという行為によって見事なバランスをとっている。(『招かれなかった女たち』解説)

その後、帽子とドレスという戦闘服に身を包み、真っ赤なルージュで防御した森は、年間十冊以上の本を書き、ゴージャスな生活と社交で憧れを振りまきながらバブルの日本を走っていく。二人のヨーコの交流は、ミンクのコートにもロレックスにも絹のパンティーにもお洒落して行くパーティーにもまるで関心のない佐野に、森が「ねぇ、あなた何が楽しみで生きているの」と訊ねた六本木のキャンティの夜に途絶えた。足し算のような森と引き算のような佐野。それぞれ美学に徹していながら、その嗜好も志向も対極にある二人だった。
佐野が母との葛藤をテーマにした『シズコさん』を上梓するのは、森がって十五年後の二〇〇八年である。谷川との結婚生活に六年で終止符を打った佐野は、人間性そのままのような気どりのないエッセイでもファンが多かった。

四歳の頃、つなごうとした手をふりはらわれた時から母とのきつい関係が始まったと、佐野は『シズコさん』に書いた。森が、母の背中を追いかけて取り残される不安に怯えた歳も四歳であった。二人のヨーコにとって、母は娘たる自分の抑圧者だった。そして母と娘の問題は、今も女たちを悩ます大きなテーマである。

しかし小形は、首をかしげる。

「森さんが『夜ごとの~』を書いたあたりから母と娘の関係がやたら語られる風潮が出てきた。問題の原因は全部そこにあるのか、なんでも母と娘の関係に落とし込んでいくのはいかがなものかと思っていました。書き手も、気安くそこに寄せて書けばいいみたいな流れになってしまっているでしょ。でも、人の抱えている問題って、それほど単純じゃないと思います」

九三年七月、五十二歳で森瑤子、永眠。森が最期の時間を過ごした多摩市の聖ヶ丘病院は、かつて佐野が鬱病で入院していた病院でもあった。森が逝って十七年後の二〇一〇年の十一月、七十二歳の佐野も荻窪の病院で亡くなった。娘たちの帽子まで手配し、自分の葬式の準備を完全にプロデュースしていた森と、乳ガン発病後にジャガーとプラダのフラットシューズを買って、『死ぬ気まんまん』を書いた佐野。全然違うけれど、どこかで重なり合っていた二人のヨーコは、見事にこの世からグッバイしたのである。

最後に、佐野に森を紹介してもらおう。

──年を重ねるごとにモリ・ヨーコは色濃い肉厚な花弁を重ねた南国の大きな花のように開いていった。小説を書くという辛気くさいどっちかと言えば貧乏くさい日本の伝統をモリ・ヨーコは、始めから拒否し見事にうちくだき続けた。華やかな荒野を果敢に一人で戦った。猛々しいまでの孤独を秘めて。(「華やかな荒野を」)

関連書籍

島崎今日子『森瑤子の帽子』

もう若くない女の焦燥と性を描いて38歳でデビュー。時代の寵児となった作家・森瑤子。しかし華やかな活躍の裏で、保守的な夫との確執、働く母の葛藤、セクシュアリティの問題を抱えていた――。自らの人生をモデルに「女のテーマ」をいち早く小説にした作家の成功と孤独、そして日本のバブル期を数多の証言を基に描いた傑作ノンフィクション

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森瑤子の帽子

よき妻、よき母、よき主婦像に縛られながらもスノッブな女として生きた作家・森瑤子。彼女は果たして何のために書き続けたのか。
『安井かずみがいた時代』の著者が、五木寛之、大宅映子、北方謙三、近藤正臣、山田詠美ほか数多の証言から、成功を手にした女の煌めきと孤独、そして彼女が駆け抜けた日本のバブル時代を照射する渾身のノンフィクション。

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島﨑今日子

1954年11月、京都市生まれ。ジャーナリスト。
ジェンダーをテーマに幅広い分野で執筆活動を行っている。
著書に『安井かずみがいた時代』『この国で女であるということ』『<わたし>を生きるー女たちの肖像』などがある。

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