忘れられない恋を誰かに語りたくなることがありませんか? その相手にバー店主は時々選ばれるようです。バー店主がカウンターで語られた恋を書き留めた小説『恋はいつもなにげなく始まってなにげなく終わる。』より、今週のお話。
* * *
今夜はバート・バカラックの『アイル・ネヴァー・フォーリン・ラブ・アゲイン』をかけることにした。
タイトル通り、失恋した女性の気持ちを歌う曲で、曲調はとても明るくて可愛いのに、どこか切なさがひっかかる。たぶん泣きながら一緒に歌った女の子が世界には何十万人もいて、その彼女たちの気持ちがこの歌に染み込んでいるのかもしれない。もう二度と恋なんてしない。いいタイトルだ。
九月、昼の間はまだまだ暑いが、夜になると少しだけ涼しい風が渋谷の街を通り抜ける。私が表に看板を出してライトを灯すと、近くの出版社で働いている桃子さんがこちらに向かって大きく手を振るのが見えた。
桃子さんは年齢は二十五歳くらい、身長は百五十を少しこえたくらいだろうか。個性的なメガネに帽子をかぶり、前髪は眉毛の上でそろえている。いつも笑顔が素敵で、私がその笑顔をほめると、顔を真っ赤にしてうつむいてしまう。
桃子さんはカウンターの真ん中に座るなり「モヒートをください」と注文した。
「まだまだ暑いからモヒート飲みたくなりますよね」と桃子さんに言った。
「私、お酒わからないんで、何でもいいんですけど、モヒートってさっぱりしてるじゃないですか。なんかついつい頼んじゃうんです。けどモヒートってどういうお酒なんですか?」
「モヒートはキューバのカクテルです。ミントとライムとお砂糖とホワイトラムをクラブソーダで割ったものです。ヘミングウェイが好んだというので有名ですね」
「出た、ヘミングウェイ。私、出版社に勤めているのに『老人と海』しか読んでないんです」
「私は職業柄、ヘミングウェイの作品の中のお酒の使い方を楽しむために読んでいます。この登場人物にはこういうお酒を飲ませる、こういうシチュエーションではこういうワインを開けるといった参考になることがたくさんあります」
「登場人物が飲むお酒を知るのって楽しいんですか?」
「すごく楽しいですよ。毎日、私はお客様にお酒を出しているわけですが、この方はこういう服装でこういう髪型で、こういう話し方で、こういうお酒を注文するんだと、日々、考えるきっかけになります」
「人間観察が好きなんですね」
「お客様の服装や話し方で、先回りしてお客様の好みを判断しておこうという感覚でしょうか」
「私も観察するんです」
私はタンブラーに生のミントとキビ砂糖を入れ、ライムを搾り込み、バースプーンでミントを潰した。ハバナクラブを注ぎクラッシュアイスを入れ、ウイルキンソンのソーダでみたした。軽くステアし、桃子さんの前に置くと、桃子さんはモヒートに口をつけ、「おいしい!」と言ってこんなことを話し始めた。
「この間、ある女優さんにロングインタビューをしたんです。彼女、すごく綺麗なんですけど、私、すごくブスじゃないですか。なんか心を許してくれたのか、高校生の頃の失恋のこととかいろんなこと話してくれて」
「桃子さん、ブスでしょうか?」
「マスター、無理に優しくしてくれなくていいんです。私、小さい頃、お母さんが『この子はピンクやスカートが似合わないから』って言ってるのを聞いてて、なんとなくわかってはいたんです。でもそれって女の子っぽくないってことなのかな、ちょっとボーイッシュって意味なのかなとか自分で考え直したりもしてたんです。
けど、小学生になって男子にブスって言われたんです」
「まあ小学生の男の子ってそういうこと言いたがりますから」
「いえ。一人や二人じゃなかったんです。決定的だったのはクラス委員の女の子が朝の会で『顔のことを言うのはやめましょう』って男子たちを注意したんです。それって、私をブスだって彼女も認めてたってことですよね。それでやっと私は本物のブスなんだって自覚できるようになったんです。
世の中には美人について語られたネット記事や雑誌の特集はたくさんありますよね。和風美人とかセクシー系美人とか美人ってホントみんなに語られるんです。
でもブスについて語られることってまずありません。ブスにもたくさん種類があるはずなのに、『ブスはブス、以上』、なんです。
私、ブスについてとことん詳しくなろうと思ったんです。
いろんなブスを観察しました。マスターは興味ないと思いますが、世の中には本当にたくさんの種類のブスが存在します。アイドルおっかけのブス、勉強だけのブス。自意識過剰なブス、女を捨てたブス、ハーフなのにブス、胸の谷間を強調したりするエロいブス、とにかくいろんな種類のブスがいるんです。でも誰もそんなブスの違いのことなんて気にしていないんです。『ブスはブス、以上』、なんです。
私は『明るいブスになる』って決めました。笑われてもいいんです。あの子ブスだけど一緒にいると楽しいなあって思われるブスというのを自分で模索しました。カラオケで変に踊って笑われる役、飲み会で『ブスが言うな! だよね!』って自分で突っ込んで笑われる役です。
髪の毛は短くして色気は出さない。目なんて悪くないけどちょっと変わったメガネをかけてブスをごまかす。帽子も時々可愛いのをかぶる。いつも清潔で元気そうな雰囲気を出す、って感じで、とにかく明るいブスを自分で作り上げました。
男の友達や美人の友達もたくさんできました。私、すごく頑張ったんです。『顔のことを言うのはやめましょう』なんて言ったクラス委員の女よりずっとずっと楽しく人生を過ごそうって思ったんです」
「そうですか」
「私、それで終わりにしておけば良かったのですが、調子に乗ってずっと小さい頃から憧れていた『普通の恋愛』っていうのをしたくなったんです。
私だってヴァレンタインやクリスマスがあるのは知ってます。私がそんなイベントに参加したり、興味があるような素振りをちょっとでも見せたらやっぱり痛いんです。
ブスが本気そうな高級チョコをあげたり、男とライトアップされたクリスマス・ツリーを見に行ったりするのって、ありえないんです。
でも私も女の子だから、やっぱり恋をしてみたかったんです。
それが間違いの始まりでした。男性は私を面白いとは思ってくれるのですが、恋愛対象とは見てくれないんです」
「誰かに恋をしたんですか?」
「田中さんという同僚を好きになりました。マンガや音楽の趣味がすごくあうんです。職場でも『おまえら兄妹か』って言われるくらい気があうんです。よくお昼に会社の近所の牛丼屋にご飯を一緒に食べに行ったりするし、メールもたまにやり取りするし、私にしてみればこんなに一人の男性と親しくするなんて初めてのことでした。
私、とにかく田中さんに『好きです』って言おうって決めました。今、言わないと、たぶん一生、男の人に告白なんてできないって思ったんです。とにかく『好きです』と言ってみよう、それでダメだったらもう一生恋なんてしないって決めました。
今までちゃんとした恋愛やデートなんてしたことないので、どうやって誘っていいのかわからないから、田中さんに『お疲れ。飲み行きますか!』ってお昼にメールを送ったら『OKっす!』って戻ってきました。
田中さん、絶対にお洒落なお店なんか知らないタイプだから、私が以前女友達の誕生会に使った小さいイタリアンを勝手に予約しておきました。いわゆる普通のOLさんがしているようなデートを一度でいいからしてみたかったんです。
会社を出たところで待ってたら、田中さんが来るなり『お疲れです! 俺が知ってる渋谷の二度漬け禁止の立ち飲み屋でいい?』って言うので『いいっすねえ』って言っちゃいました。
二人でハイボールで乾杯している時に、田中さんの携帯に電話がかかってきました。田中さん、『うん、前に話していた桃子ちゃんといるからおいでよ』って言うんです。
十分後、田中さんの友達の樋口くんがやってきてみんなで『はじめまして。かんぱーい!』ってなっちゃいました。
私、いつものようにブスで面白い女で二人を笑わせてたんですけど、今日は田中さんに告白しなきゃ告白しなきゃってずっと思ってて、二人の前で、いつもの明るいブスのキャラを意識してこう言ってみたんです。
『私、ここで告白します! 田中さんのことが大好きです!』
そしたら田中さんと樋口くんが大爆笑したんです。こんなブスがまさか本気で告白しているなんて思わないんです。
ここで妙にマジな奴になったら二人とも引いちゃうじゃないですか。こう言いました。
『告白終わり! 田中さんのリアクションなし! 私、失恋しちゃいました。今日は飲むぞ!』
もう一度、乾杯しようとしたんですけど、田中さんなんて全然笑ってないし、樋口くんも固まっています。樋口くんがこう言いました。
『桃子ちゃん、田中のことを好きって本気なんでしょ。なんか飲んだ勢いで冗談っぽく言ったのかと思って、さっきは笑ってごめん。田中、今、彼女いないし、好きな人もいないよ。田中、よく桃子ちゃんのことを話しているから、結構、桃子ちゃんのこと気になってるはずだよ。俺、今から帰るから、もう一回田中に告白してみれば』
田中さんと二人きりになりました。
『田中さん、こんなブスが調子に乗って酔った勢いでごめんね。さっきのこと忘れて飲みなおそうか』
『桃子さん、さっきの言葉、酔った勢いだったの? 俺、すごく嬉しかったんだけど』
私、田中さんと付き合うことになりました。はい、以上ブスの私の恋の話でした。めでたしめでたし」
私は桃子さんにお代わりのモヒートを出しながら、こう言った。
「なんだ。告白、成功したんじゃないですか。今度その田中さんとぜひ一緒に来てくださいよ」
「うーん、私の彼氏、バーって緊張するタイプなんですよねえ」
「え? 今、彼氏って言いましたよね。幸せそうですね」
桃子さんは少し涙目になって、モヒートに口をつけた。
バーではバート・バカラックの『アイル・ネヴァー・フォーリン・ラブ・アゲイン』がかかっていた。
* * *
続きは、『恋はいつもなにげなく始まってなにげなく終わる。』をご覧ください。
恋はいつもなにげなく始まってなにげなく終わる
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