『人生の目的』とは、なんという野暮なタイトルだろう。いまの言葉でいうなら、あまりにもベタ過ぎる表現である。
しかし、それがわかっていても、この本を上梓(じょうし)したときの気持ちは、これしかない、というのが実感だった。
この『人生の目的』は、かなり以前に私がまとめた本である。先日、本棚の隅すみにホコリをかぶっていたその一冊を、なにげなく手に取って読み返す機会があった。そして最初の一ページの記事の引用を読んでいるうちに急に胸が苦しくなった。
そもそも、この本を書くきっかけとなったのは、当時の新聞の片隅にのっていたその小さな記事である。それを目にしたとき、私は胸が締めつけられるような肉体的な痛みをおぼえた。こんなことがあっていいのだろうか、とも感じた。
最近、親に虐待(ぎゃくたい)されて亡くなった子供たちの手記や日記をしばしば目にすることがある。「ゆるしてください」という文字に心が痛む。
しかし、「ぼくはおかあさんのことをうらむ」という男の子の書き置きを読んだときの衝撃は、異様なものだった。その言葉は、いつまでたっても私の記憶から去ることはなかった。
〈生きるということは、どういうことなのか〉
〈人はなぜこれほど辛つらい思いをしてまで生きなければならないのか〉
と、いうのが私の率直な疑問である。『人生の目的』とは、一体なんだろう、とはじめて真剣に考えたのだ。
その結果は? 私にはついにその問いに答えることができなかった。今でもそうである。人生を締めくくる時期に達しても、なお確かな答えはみつからないままである。
そんななかで書かれた本に、気のきいた題名など、どうしてつけることができるだろう。
無理をして結論めいた言葉をつらねてはみたが、正直なところ「わからない」というのが本音である。しかし、私の感じている胸の痛みは、フィクションではない。団地の高所から父親と共に飛びおりた子供の言葉は、いまも固いしこりとなってそのまま残っている。
今は本棚の片隅に立てかけられている色褪あせた本だが、野暮を承知で版を改めて再刊することにした。少くともここには、私の本音が刻まれていると感じたからだ。この本に答えはない。同じ痛みを共有できる読者の存在を願いつつ、この小冊子を世に送ろうと思う。なんという野暮な題名だと笑っていただければ幸いだ。
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人生の目的
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