2019年に発売された傑作ノンフィクション『森瑤子の帽子』が文庫になりました。80年代、都会的でスタイリッシュな小説と、家族をテーマにした赤裸々なエッセイで女性たちの憧れと圧倒的な共感を集めた森瑤子。母娘関係の難しさ、働く女が直面する家事育児の問題、夫との確執、そしてセックスの悩みといった今に通じる「女のテーマ」を日本で誰よりも早く、そして生涯書き続けた作家です。
書き手は島﨑今日子さん。「AERA」の「現代の肖像」や著書『安井かずみがいた時代』などで名インタビュアーとして知られる著者が、80年代と森瑤子に迫った渾身の1冊です(文庫版には酒井順子さんによる解説も収録)。一部抜粋してお届けです。
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意表を突くプレゼント攻撃
もう一人、「夫未公認の友だち」で、森が「男同士のような親友」と書いたのが、弁護士の木村晋介である。木村は椎名誠の仲間で、この頃マスコミで脚光を浴び始めていた。大宅が女性誌「クロワッサン」で理想の男性として木村に公開ラブレターを書いたのが縁で、ある夜、六本木の割烹でデートの約束が整い、そこに森が乱入したのである。二軒目の赤坂のピアノバー「リトル・マヌエラ」では安井も加わって、愉快な時間を過ごした。その日から森は木村との距離を急速に縮めていくのだ。
「森さんは人に参集をかけるのが好きな人だから、ちょくちょく会うようになったんです。ディスコのトゥーリアにもご一緒しましたよ。僕はただ固まっていましたけど。あの人は強烈な美意識があり、それは友人関係にもしっかりあって、周りには建築家やカメラマンとかカッコいい人ばかりがいた。無骨な僕は希有な存在で、僕のファッションセンスをけなすわけです」
出会って間もないのに、森は「私をデパートのネクタイ売場に走らせた男は後にも先にもあなただけよ」と言いながらエルメスのネクタイ十二本を持って木村の事務所に現れた。またある日は、「真っ白いブリーフしかはかない」という木村のもとに、真っ黒いビキニのブリーフを一ダース送って寄こした。
「やることなすこと、オーバーで派手なんです。もらったネクタイは持っているスーツに合わなかったし、ブリーフが届いた時は、嫌な顔をするカミさんに思わず、『シャレだよ』と言い訳しなきゃならなかった。そのうちカミさんも一緒に誘われるようになり、『素敵な人ね』って洗脳されていきました。あの人は諧謔精神があり、人を傷つけない勝手さというのか、攻撃してくるけれど温かいというか面白い。そういう術を心得ていた」
天性の企画力で人脈を広げていく
「ウィ・アー・ザ・ワールド」が街に流れ、毎日のようにパーティーが開かれていた時代。誰もが社交を楽しんでいたし、また森にはそれが必要だった、と大宅は述懐する。
「私は『マネージャーやってあげようか』と言われたことがありましたけど、彼女にはプロデューサー的な才能があって、自分から仕掛けていくことができたんですね。これぞという人とはすぐ友だちになり、どんどんネットワークを広げていくんです。意図的にやっていたと思う。それは書くことにもつながったろうし、息抜きにもなったんでしょう」
艶やかになった森の周りには、アーティストから実業家まで著名人が集まった。バブルに突入した日本で、売れっ子となった作家のセルフ・プロデュースに拍車がかかっていく。八七年、森はカナダの島を買い、運転免許をとったばかりの腕でイギリス車、モーガンの助手席に大宅を乗せて走った。
「あの時は、『これ、難しいわ。でも、欲しかったから』なんてブツブツ言いながらノロノロヨロヨロしか走らないから、怖くって、死ぬかと思いましたよ。このあたりから、森さんはとても忙しくなり、違う世界に入ったなという感じがしました。彼女は世の中の人がやりたいと思うことを全部やってのけ、欲しいものを手に入れて、楽しかったんじゃないかな。でも、やればやっただけ哀しいし、まだ満ち足りていないからこそ人生は楽しいのにという思いが私にはありました」
学生時代からパーティーの企画に腕をふるっていた森は、書くのに煮詰まると、思いついては「あの新しい店に食べに行かない?」「京都で芸者をあげて、着物着て遊ぼう」「医者のネットワークをつくろう」と太字のモンブランで書いたファクスを友人たちに送りつけた。
「美味しいものを食べた後は哀しくなるのよ」
木村は、八八年には森が「爆笑的贅沢三昧香港旅行」と銘打った旅へ夫婦で参加した。一行は、インテリアデザイナーの内田繁夫妻に、コーディネーターの加藤タキと建築家・黒川雅之夫妻、建築家の堀池秀人、森の秘書であった赤間雅子といった面々。ビジネスクラスで飛び、リージェント・ホテルに泊まって、映画「慕情」に出てくる名所を訪ね、二階建てバスを借り切ってシャンパンを開け、夜はご馳走三昧の二泊三日であった。木村が覚えているのは、ブランドショップの中を回遊して次々買っていく森の姿だ。
「買うこと自体が楽しかったんじゃないですかね。お金は自分を楽しませる道具と割り切っていました。『美味しいものを食べた後は哀しくなるのよ』と言っていたのが忘れられません」
日頃から作家は「美学に合ったものは何でも買っちゃう。買わなくて後悔するのが嫌なの」と公言していた。木村は一度だけ、顧問先の毛皮屋の展示会に森を伴った。「まけてもらって」と言って彼女は正価の七掛けで三着の毛皮を手に入れたのに、帰りのタクシーの中で「三割なんて誰でもまけられるわ。せめて半額にしなさいよ」と怒った。あとで木村は、赤間からも「森をそんなところに連れて行っちゃダメ。こちらでカードを預かってるくらいなのに」と叱られた。
「ゴルフがまた森さんらしいゴルフで、普通のゴルフ場なのに、デカい帽子を被ってロングスカートで、派手な手袋つけてやるから、参るよね。『あなたは難しい顔しすぎる、ゴルフは笑ってやるものよ』と言われました。迷惑を及ぼしながら人をまとめて、楽しませていた。颯爽としていて丸いというか、柔らかいところのある人でした」
五つ年下の木村に対して、森は弟分のように我が儘三昧に振る舞っていた。そして八八年には、もう一人、今度は心許せる妹分が作家の前に現れる。
森瑤子の帽子
よき妻、よき母、よき主婦像に縛られながらもスノッブな女として生きた作家・森瑤子。彼女は果たして何のために書き続けたのか。
『安井かずみがいた時代』の著者が、五木寛之、大宅映子、北方謙三、近藤正臣、山田詠美ほか数多の証言から、成功を手にした女の煌めきと孤独、そして彼女が駆け抜けた日本のバブル時代を照射する渾身のノンフィクション。