辛いことや苦しいことがあっても私たちは生き続ける。人生に目的はあるのか。あるとしたらそれは何か――。20年の時を経て名著『人生の目的』が新書版に再編集され復刊。いまの時代に再び響く予言的メッセージ。
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雨にも負け、風にも負け、それでも生きつづける
地震を避けることはできない。核兵器や原子力の施設を世界じゅうから一挙(いっきょ)になくしてしまうこともむずかしい。そのためには粘りづよい努力を、ながい時間をかけてつづけなければなるまい。また病気や、事故にあう可能性は、誰にでもある。老いや死も、百パーセント確実な私たちの明日(あす)であり、失業や破産、そして犯罪など、目に見えない地雷のようなものが私たちの行く手のあちこちに埋まっている。
二十数年前に高島平(たかしまだいら)団地の階上から飛びおりた父親を、私たちは他人として考えることができるだろうか。私は子供を抱(かか)えるようにして死んだ父親を、自分のように感じる気持ちがある。「おかあさんのことをうらむ」と手帳に書いた小学生を、これも自分の一部だと思ってしまう。
世間を騒がせるような凶行(きょうこう)に走る殺人者も自分の一部であり、高校生の息子に睡眠薬を飲ませて殺させようとした母親もまた私と同じ人間の仲間なのだ。
中村元(はじめ)さんは、飛びおりた親子の事件に触れて、「運命の共同感」ということを書かれていた。同時代に、同じ人間として生まれてきたということをひとつの運命として考えれば、世の中にただ一人として縁(えん)なき他人というものはいない、といわれるのだ。
私もまた灯火なき暗夜に生き悩む人間の一人である。私たちがこの暗さに耐えて生きるためには、あたりを照らす灯火を探さなければならない。どんなに小さな灯(ひ)でも、それが力になるだろう。それを「希望」と呼ぶか、「人生の目的」と呼ぶか、または「信念」と呼ぶか、それは各人の自由である。
しかし、それは年金や保険のように、かたちのあるものではない。地震や、戦争や、病気や、人間関係や、もろもろの出来事に絶対に負けない方法(ノウハウ)でもない。むしろ、雨にも負け、風にも負け、それでもなおかつ生きつづけるための心のなかの何かである。
それを仮(かり)に「人生の目的」と名づけてみただけだ。あまりにも正面切った古風な文句で、いまの時代には野暮(やぼ)の骨頂(こっちょう)と笑われかねない題名だと自分でも苦笑する気持ちがある。しかし、野暮でもいい。月並みでもかまわない。人生をギャグで茶化(ちゃか)すのもひとつの知恵だが、ここでは最近もっとも流行(はや)らない正面切ったやりかたで大事なことを考えてみようと思う。
ともあれ、人生にはたして目的はあるのか。
まず、そこからはじめるしかなさそうだ。
人生の目的
人生に目的はあるのか。あるとしたらそれは何か――。お金も家族も健康も、支えにもなるが苦悩にもなる。人生はそもそもままならぬもの。ならば私たちは何のために生きるのか。
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