盛り上がり続ける最終回は、メジャーになったヒップホップの動きから、アメリカの黒人社会の細かな変化が見えるという話へ。黒人の意識、白人の意識がどう変わっていったのか。そして今——。ヒップホップが力を持ったからこそ続いている動きとは。
(写真:岡本大輔 構成:幻冬舎plus編集部)
黒人を支えたい「プロブラック」VS 斜に構える「ギャングスタ」
横川 1983年から93年くらいまでのあいだに、ヒップホップ人気がすごく広まっていったということはわかったけど、そういう流れができてきている中で、パブリック・エナミーがあんな政治的な「Fight the Power」(1989)みたいなことをやってますよね。その後、何か続いたり、逆に止められたりといった動きは細かくあったんですかね?
Kダブ パブリック・エナミーとかブギ・ダウン・プロダクションズっていうグループが、わりと二大巨頭みたいなところがあって。
他にも、プロブラックと言って、黒人を支えたいという動きのラッパーも何組かいたけど。それはけっこう、パブリック・エナミーとブギ・ダウン・プロダクションズに続けって感じで出てきていて。1992年ぐらいまではその動きがありましたよ。
93年ぐらいからギャングスタ・ラップ(※)がもり上がってくると、プロブラックに関して斜に構える若者たちの時代になっちゃった、というのはあるけど。
(※Gangsta Rap : 暴力や麻薬、犯罪をテーマにしたハードなもの)
横川 すべてに対して、ギャングスタ(過激、反社会的)になると。
Kダブ ポジティブとか言ってるのカッコ悪いよ、みたいなやつらがギャングスタにはいて。より生活レベルも苦しくなっていたり親がいなかったりとかの現実で、世界観が、どうしても前向きに考えられないんだよね。
周りにもワルが多いし、そういうやつらの中でのカッコいいやつに憧れてるし。ヒップホップでポジティブなんて言ってて社会の何が変わるんだよ、みたいなとこもあったりで、わりと斜に構えていた。
でも心の底ではヒップホップを信じていて、自分たちが世の中の役立たずとか迷惑者のまま、撃ち殺されたり刑務所に行って死ぬんではないことを望んではいるんだけどね。
でもそのうちラップというもので、ラップゲームって当時は言われてたんだけど、ラップのビジネスの勝負の中でどこまでいけるかというのが、第一義になっちゃったんだよね。黒人社会の底上げはその時点で前よりはよくなっていたから。
横川 ある程度はされていた――。
Kダブ 88年から93年の間に、ヒップホップがアメリカで生まれた黒人の持つべきアイデンティティみたいなのをじっくり教えたんですよ。たとえば、映画『マルコムX』(1992)もあったし、『ドゥ・ザ・ライト・シング』(1989)もあったでしょ。
それで93年ぐらいになると、「別に黒人でいることを恥じたり、劣等感を覚える必要はないよな」っていうやつらが当たり前になったの。そういうやつらは逆に、「白人って俺たちに憧れてるじゃん」みたいになっちゃって。
その時代に出てきたのがNas(ナズ)、 Biggie(ビギー)、2Pac(トゥーパック)、Jay Z(ジェイ ズィ)なんですよね。そこからモードが変わっていくけど、それ以前の、ギャングスタ・ラップが人気になる以前は、黄金時代(Golden era)と言われてましたね。
88年に「YO!MTVラップ」がスタートして、パブリック・エナミーがかかって、「Black Steal In The Hour of Chaos」っていうパブリック・エナミーのビデオが盛り上がったりして。
パブリック・エナミー「Black Steal In The Hour of Chaos」(1988)
Kダブ 白人が、黒人たちがどういうメンタリティでいつも生きてて、どういう現実の中で生活して、どういうことを訴えてるのかというのを、ラップを通して理解するようになった。黒人を尊重しようっていう白人も増えたし、俺たちはもう奴隷じゃないんだ、って思う黒人も増えたから、黒人の地位を向上させようっていうやつらが、若い世代にちょっといなくなっちゃったんですよね。それが93年頃からの話。
横川 それは世の中が豊かになったから?
Kダブ アメリカが黒人に理解を示し始めたから。
横川 国全体が豊かになったからってことはあるの?たとえば、ほらレーガノミクスで、とか。
Kダブ 全体は豊かになってないですよ、97年ぐらいまでは。それこそ85年に俺がアメリカ行った時は、日本の勢いがすごかった。日本の皺寄せを食って潰れた会社とか、アメリカにいっぱいあったから。テレビだ、車だ、って全然アメリカのものが売れなくなったでしょ。それ俺たちのせいだからね。
横川 (笑)。俺たちのせいっていうか、日本のせいですよね。
Kダブ 街も荒廃してたし、見捨てられてるところは見捨てられたままだった。でもそこで自分たちで向上心を取り戻したのがヒップホップなんですよ。ブロンクスとかクィーンズを、これ以上放っておいておけないね、という状況にまで向上させたのは、その地域に住んでいる黒人たちだった。ヒップホップに興味を持って、そこに移り住んできた白人も増えたし、地域のモラルが上がったんですよね。
「Fight the Power」の意味をあらためて考える
横川 じゃあ自分たちの音楽で、特にパブリック・エナミーが「Fight The Power」の冒頭で言ってるじゃないですか。1989年の今年はこんなふうにしていくぜ、とか……
パブリック・エナミー「Fight The Power」(1989)フルバージョン。
Kダブ 63年の行進はナンセンスだ、とかね。
横川 で、あそこで彼らがさらに、黒人と社会の考え方を新しくしたというか、上積みしちゃったおかげで、逆に生活もよくなったし地位もよくなっちゃったから、そういう闘いが必要なくなっちゃったみたいな部分もあったの?パラドックスというか。
Kダブ 93年以降になると?
横川 そう。
Kダブ 精神的にはね。ただ、まだ環境はそこまで回復してない、というかよくはなってない。改善されてない、その頃は。
横川 戦い続けるのって、そういう熱ってすごく沸点が高いから、それを超えたらすごい勢いで下がるのかと思って。
Kダブ とはいっても、ユースカルチャーとかティーンカルチャーにしても、今だにヒップホップが主役だから。「俺たちが一番イケてる」ってみんな思ってるからね、ヒップホップにいるやつは。だけど、同時に恵まれてない黒人は酷い目に遭って、どんな酷い目にあっても報われないことがあるということもだんだん分かるようになってきたのが、90年代後半から2000年以降じゃないかな。ブラックライフマターズとかもあるし。
横川 93年以前の黄金時代(Golden Era)に出たヒップホップは、今でも聴かれているんですか?
Kダブ その時代を好きな人は、今でもその時代が一番好きだって言うね。
横川 今いるラッパーとかは、そこを通り過ぎているんだ?
Kダブ そこを通り過ぎて、その時代があったから今があるって言うやつもいるし、その時代のラッパーに憧れてラッパー始めたってやつも多い。最近、アメリカで売れてて実力あるっていうラッパーは、みんなそういう気がするね。
ケンドリック・ラマ―とか、J・コール、ミーク・ミルあたりは、そういうオールドスクールを子どもの頃に通ってきてるんだろうなという感じはするし。後追いだけど、この時代の人たちこんなことやってたんだよな、俺たちどうなの?みたいなところで始めているのもあるし。
横川 日本はどうなんですか? Kダブさん周りの環境というのは。Kダブさん個人は、日本の中ではスタートがちょっと早いじゃないですか。
Kダブ 僕ね、それ話すともう一日かかって話さないといけなくなっちゃうんですよ。
横川 (笑)。面白いじゃん。じゃあ日本は今度あらためて。
Kダブ 俺のヒップホップに対する……何て言うかな、モットーみたいなものは、話すとほんとうに終わらなくなっちゃうんですよ。
横川 今度、宿泊込みでやりましょう(笑)。
Kダブ うち近いから、泊まらなくても大丈夫(笑)。
それで続きですけど、「Fight the Power」は、映画『ドゥ・ザ・ライト・シング』の主題歌じゃないですか。だから『ドゥ・ザ・ライト・シング』のストーリーありきで見るほうがよくわかる。
要は、「63年のワシントンDCの行進があって、そこから25年たった。もう1988年なのに、まだそういう警察の暴力で死ぬ黒人は一向に減らないだろう? だからああいう行進はもうナンセンスだ」と曲の冒頭で言うんだよね。
特に、この時代はマルコムXがすごく流行ってて。いままでマーティン・ルーサー・キングJr.だけが取沙汰されて、マルコムXがわりと軽んじられていたことを、マルコムXファンがみんな怒ってたんだよね。
マルコムXの言い分というのは、マーティン・ルーサー・キングJr.は、クリスチャンのように、「右の頬を叩かれたら左の頬を出せ」と言うけど、それやってたら、いつまでたっても変わんないよっていうことを、このMVで、チャックDが最初に言ってるんですよね。「ナンセンス」って言うのはそういうことなんです。
横川 戦う時があってもいいだろうってことだよね。
Kダブ そうそう。1963年はあれでよかったけど、88年はそうじゃないだろうと。「Fight the Power」でいこうと。ただただ歩いて「We shall over come(勝利を我らに)」じゃ、何も変わんないよ、と。
それで、バルチモアだとかフィラデルフィアだとかブルックリンとか、黒人が多い都市のみんながプラカード上げて、キッズがそこで、今の不満とかストレスをみんなで共有していて、この「Fight The Power」で世に知らしめるんだ!っていう想いが、あのMVに込められているのが、オレはほんとうに素晴らしいと思う。
だって曲の中でも、チャックDが「You can slap me right here」って言ってるパートがあって、あそこは前のパートが、エルビス・プレスリーもジョン・ウェインも俺たちにとってはヒーローじゃないと。アメリカの白人がヒーローだと思っているスターを俺たちに押し付けるなっていうことをあの中で言っていて。
それも要は、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの行進に対するアンチテーゼの部分もあるの。特に当時のパブリック・エナミーは、ソフトランディングじゃ何もうまくいかないよっていうポリシーだったから。自分たちは“パブリック・エナミー(民衆の敵)”って呼ばれても正論を貫くんだ、というのがパブリック・エナミーの存在意義なんですよね。
横川 それをあのMVで表出してしている。
Kダブ うん。いわゆる黒人たち、ヒップホップを聴いている若者たちが今やらなきゃいけないことは、ザ・パワー、そこにある権力と戦うべきだよね、ていうことをあの映画と共にパブリック・エナミーが表現している。
ちなみに最後にブランフォード・マルサリスのサックスフォンが入ってくるんだけど、スパイク・リーの次作の映画『モ’ ベター・ブルース』(1990)のサントラは、全部ブランフォード・マルサリスがやってるんですよね。
横川 さすがだね(笑)
Kダブ こういう話にもつながるという(笑)。
横川 おしゃれですねー。
Kダブ氏おすすめの重要なこの2曲
Kダブ で、パブリック・エナミーもそのまま89年、90年と、そういう活動により力を入れてる。たとえば「Fear of a Black Planet」(1990)っていう曲は、黒人と白人が交わればどんどん黒人が増えていくから、地球は混血が増えてって白人が減っていくよ、というもの。
その後に出したアルバムから、「Can’t Truss It」っていう曲が出てるんだけど、そのビデオは、奴隷制度の時代と、今の労働者の境遇がずっとパラレルで変ってないよね、ということを見せてる。
パブリック・エナミー「Can’t Truss it」(1990)。
Kダブ このビデオはMTVで、夕方の5時から7時の間に毎日かかってた時期があったんですよ。それはさすがに当時ちょっと震えましたね。
街を車で走ってる黒人たちも、みんなでかい音で「Can’t Truss It」をかけてて。アメリカのシステムを、俺たち黒人は全く信用してないからねってていう、それできないのも歴史を振り返れば当然でしょ、という曲なんですよ。
ビデオ見てもらえば分かるけど、パブリック・エナミーのビデオとしては、「Fight the Power」も面白いしすごく熱くなれる映像ではあるけど、さっきも言った「Black Steel In The Hour of Chaos」(1988)っていう曲と、「Can’t Truss It」のビデオが、ミュージックビデオとしては秀逸だっていうことを、ここでみんなに知っといてもらいたいなと思います。
横川 ミュージックビデオとして秀逸だっていうのは、テーマがちゃんとあるということ?
Kダブ 明確で、ストーリーがしっかりできてるってことかな。
横川 それはヒップホップのPVの、いわばミュージックビデオの初期の条件としては重要だと。
Kダブ まあお金がないとそういうビデオ作れないから。どうしても口パクでまとめるのもあったけど、やっぱりパブリック・エナミーは売れ始めていたし、アメリカでも重要な音楽グループって言われるようになったから、その辺はちゃんとしてる。
あと、パブリック・エナミーのチャックDがやっぱり賢い。デフ・ジャム(※)っていうレーベルは、当時、コロンビアの傘下だったのね。だけど直接コロンビアのマーケティングとかと交渉するようにして、デフ・ジャムだけじゃできないことをいろいろやるようにチャックDは動いてたんですよね。
(※ デフ・ジャム・レコーディングズ:ヒップホップ、R&B専門のレコードレーベル)
他の所属グループより、ああいうビデオを作ったり、プロモーションビデオのクオリティ上げるためにお金を使えたのは、そこじゃないかなと俺は思ってるんだけど。本人にいつか会ったら、聞いてみたいですね。
横川 でもラッパーの中にもいますよね。ビジネスでただ儲けるだけでやっているんじゃなくて、ちゃんと、何というのかな……
Kダブ 彼は雇われるんじゃなくて、コントロールしようっていう考えだった。
横川 クレバーじゃないとダメだよ、みたいな。
Kダブ うん。あとクリエイティブでね。
横川 クリエイティブでクレバーじゃないとダメ、みたいなのってありますよね。
Kダブ そうです。でも要は、クリエイティブでクレバーなものに、アメリカの一般の音楽リスナーとか大衆が反応した。あ、これ面白いねと。
もしかしたら我々アメリカ人の88年~90年ぐらいの時代のアメリカ人の進歩の足を引っ張っているのは――当時は景気も悪いし、いろいろ工業製品もダメになってきてたから――実は「人種差別」ってもんなんじゃないかなということに、みんな気づき出したのね、特に若者が。それが90年ぐらいなんだけど、それはやっぱり、ヒップホップの力なんですよ。
横川 今そのあたりは、どのぐらい解消しているんですか?いまだにあるじゃないですか、何もしていない黒人の少年が白人警官に殺されるとか。
Kダブ あるけど、やっぱりそれを白人も一緒になっておかしいって言うようになっているし、トランプの政策に対しても、民主党好きな白人たちはみんなおかしいって言ってるし。やっぱりアメリカが世界に尊敬される国になるには、差別はなくさないと始まらないよね、っていうところは、良識あるアメリカ人はみんな分かってますよ。
だから俺はそんなに心配してないっていうか、今変にかたよっている振り子は、またこっちに戻ると、オレは考えてるんですけどね。
横川 じゃあ、そうすると日本は……って聞いちゃいけないわけですね(笑)
Kダブ うん(笑)。で、アメリカは今は逆に、ヒップホップによって、リベラルに振り子が行き過ぎたから、いまちょっと逆に行ってる状態で。またいずれ、バランスを、まともに取り戻すとはオレは思いますけどね。
横川 ああ……。そういう力があったし、今もあるということなんですね。ヒップホップには。
(対談の続きは、日をあらためて掲載! グラミー賞をとったチャイルディッシュ・ガンビーノ「This is America」の話へと続きます。お楽しみに)
MTVが教えてくれたこと
1981年8月1日午前0時に「観る音楽」の文化を作り出し、熱狂を巻き起こした音楽番組MTVは始まった。CM→MV(ミュージック・ビデオ)→映画監督という流れができ、あらゆる映像技術がMVで試されて行ったあの時代を振り返る。
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