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儲けない勇気

2019.04.12 公開 ポスト

資産運用はお金持ちだけのものではなくなる澤上龍

(写真:iStock.com/Sean_Kuma)

大手投資ファンドの現社長が激務の合間を縫って、自ら書き下ろしたノンフィクション小説『儲けない勇気』が今、ビジネスマンの間で話題です。

小説の主人公は、著者の父であり、長期投資のカリスマ・澤上篤人。
日本では無理だと言われていた「独立系直販投信」の設立に奮闘する革命児・澤上のキャラクターは、やはり魅力的なまでに破天荒。息子にしか書けないであろうエピソードも満載です。たった一人の男の熱い信念が周囲を巻き込み、不可能だと思われた「理想」を「現実」に変えていくそのプロセスは、投資というジャンルを超えて、仕事をする全ての人の心をうつ作品です。

金融庁の規制や常識という壁、ITバブル崩壊や9.11テロなど、、、時代の荒波を乗り越える彼らの姿を追いながら、平成経済史としても楽しめる本作より、一部を無料公開いたします。

*   *   *

設立

一九九六年のある夜、澤上の招集で家族会議が開かれた。

いつ来客があっても問題ないようにと、澤上家のリビングの中央には十人掛けの大きなテーブルが鎮座している。濃茶色をした重厚感のある木製テーブルに、その晩は家族五人だけが集まった。突然の招集は毎度のことだ。誰も文句を言うことなく、それぞれがいつもの定位置に座った。

澤上家の家族会議は一般のそれとは違う。いや、平成時代のものではないと言い換えるべきだろうか。かつて、こんな家族会議もあった。

 

「この写真を見てみろ。この目は本気だ。お前らもこういう目つきになれ」

ラケットを構えるテニス選手の横顔の写真である。龍の二つ年下の晋がその新聞広告の切り抜きを手に、小学生さながらの純粋な問いをぶつける。

「この人、誰?」

「知らん。そんなことはどうでもいい。それよりもお前ら、この目から何も感じないのか?」

澤上の一撃に三人の息子たちが黙る。いかに生きていくかという訓戒が家族会議の骨子であり、志という直接的な単語が飛び出したらそれが閉会に向かう合図だった。

しかし一九九六年のその晩は、会議が始まる前から様子が違っていた。

 

「今日、ピクテを辞めてきたから」

スイスの名門プライベートバンクの日本法人の代表を辞めてきたという突然の通達に、高校生活最後の年を謳歌する一番年下の憲もりのたまごっちをポケットにしまった。

「ウチの家族はぜいたくになっている。これからは少し厳しくしていくぞ」

 

澤上は製材工場の御曹司として裕福な幼少期を過ごしたが、十七歳の時に父親を亡くし家業が倒産、澤上家には借金だけが残った。当主が生きていれば、澤上家はその後の日本の住宅ブームに乗って相当な資産家となっていただろう。しかし運命という標は残酷にも別の道を指したのだ。

澤上の自宅は家事を手伝う工員で溢れ、温かくも賑やかな家庭環境だった。母の美代子が工員を澤上や二人の妹と同じく家族のように扱い、また父の佳在もその光景が好きだった。それが突然の家業倒産、美代子は愛すべき工員たちに退職金代わりにと家財を支給した。困っている隣人がいれば美代子が何でも与えてしまっており、澤上家には余分な資産など一切ない。世のため人のためにと生きてきた澤上家は、佳在の死で借金以外のすべてを失ったのだ。

その日を境に澤上は、朝昼晩はパン一つずつ、喉が渇けば公園の水でしのぐという生活を送ることとなった。

澤上は複数のアルバイトからの収入で家計と学費を捻出し、大学を無事に卒業。その後は日本の電機メーカーである松下電器に就職するも、その給料では借金を返済できないと判断し単独スイスに渡ることを決意した。澤上には大学時代に片道切符を持って欧州まで旅をした経験がある。その旅で、欧米では日本の十倍程度の給料が貰えることを知った。それもあり、失業給付金を手に再びシベリア鉄道に乗ってスイスを目指したのだ。

ジュネーブでは大学院で国際問題を学びながら自らを新聞広告で売り出し、高い給料を見込める会社に入り込んだ。その会社との出会いが澤上のその後の人生をつくることになる。世界でも指折りの投資運用会社、キャピタル・インターナショナルだ。

欧米で黄色人種が胸を張れなかった当時、彼らを振り向かせるには実力をつけるしかない。悔しさに近い感情をバネに澤上は他人の倍の時間働き、気がつけばそれなりの地位を獲得していた。しかしその頃には借金も完済していたため、大学院卒業を機に母の美代子や妹たちの待つ日本に戻ったのだった。

キャピタルで投資運用の面白さを知り、心豊かなカッコイイ大人たちに触れた澤上はその後の人生を資産運用ビジネスに捧げることとなる。しかし借金返済という大義名分もなくなり、ボスの名であるケンを自身の三男に貰うほどに彼らに憧れていても、そしてそのキャピタルからロサンゼルス本社への斡旋オファーをされても、目的を果たした澤上が欧米に残る理由はもうなかった。

そのような人生の転落、そして再起という苦しい経験をした澤上は、借金返済以後も清貧を是とする生き様を貫いていた。

 

「ウチの家族は贅沢になっている」

澤上の言葉に龍が意見する。

「贅沢なことと会社を辞めることとは違うと思うけど。そもそも何がどう贅沢なのか分からないよ。普段からうるさいほどに節約しろと言ってるじゃない。プラグはコンセントから抜けだとか、物はくたびれるまで使えだとか、皆が父さんのルールをちゃんと守ってるよ。それに周りの友だちと比べても……」

「いいか。ウチは海外旅行を何度もした。お前らも問題なくメシを食えているじゃないか」

「海外旅行って、それは父さんの都合じゃないか。旅行先でも父さんは仕事ばかりで家族を置き去りにする。それはそうと今後の皆の学費はどうするの?」

「そんなことは俺が何とかする。それよりも考えてみろ。何でも当たり前だと思うのはおかしくないか。食べられることも家があることもだ。お前らにはおかげさまって気持ちが足りない。そんな心の贅沢は今すぐ捨てろ。いや、心の贅肉だ」

論点が食い違ったまま議論だけが走っていく。

澤上は家族内では絶対権限を持っており、それまでもすべて独断だった。したがって今回の突然の宣言もまったく違和感がない。澤上が一度決めたことには何を言っても無駄なのだ。

そして最も大事な内容であるはずの今後については語られず、家族もそのことを口にはしなかった。それが澤上家の当然のあり方だったからだ。

佐代子は終始目を伏せていた。これから家計が厳しくなることへの不安ではない。相談なく何でも勝手に決めてしまう夫への寂しさだろう。

 

それから間もない一九九六年七月四日、澤上は『さわかみ投資顧問株式会社』を設立した。龍がワープロの檄文を盗み見した三年後のことだ。

ピクテ銀行では叶わなかった夢、一般家庭のための資産運用ビジネスをゼロから一人で立ち上げる。龍から見た澤上はいたって変わらず、普段と同じ表情である。夢に向かって踏み出したその一歩に気負うこともなく、やるべきことを淡々とこなしているといった感じだ。

新会社は資本金三千万円で自宅を本社に設立された。本や書類で天板が見えなかった執務室の机が片付けられており、そこで何かを書いては外出するのが会社設立後の澤上の日課だった。

 

一九九六年当時、資産運用という概念はまだ日本に浸透していなかった。投資は富裕層の専売特許で、一般家庭には遠い世界の話だ。当然ながら仲介業者である証券会社も金持ちを相手に自社の儲けを優先する姿勢を貫いていた。

バブル景気という言葉は、膨張した泡が限界を超えて弾けるさまを的確に捉えた皮肉だ。行き場のなくなったマネーが株式投資や不動産購入に流れ込み、実体経済以上に資産価値を押し上げる。保有資産の高騰が心理面に余裕を生ませ、それが消費を刺激することで乗数的に景気が膨れ上がっていく。一九八〇年代後半の日本は、まさにバブル景気に踊らされてしまったのだ。

一般家庭はその膨張と崩壊の中にいながらも、投資が浸透していなかったこともあり直接的な損害を被ったわけではなかった。しかしその後の景気凋落ちょうらくを肌で感じることで、百年に及ぶ預貯金神話も手伝って投資をギャンブルだと認定した。

 

さわかみ投資顧問設立後、澤上が真っ先に訪れたのが関東財務局だった。投資助言業の登録申請のためである。しかし関東財務局の担当官は澤上の申請に首を縦に振らない。

「澤上さん、あなたのビジネスは事業の安定性に欠けますね」

申請内容は、さわかみ投資顧問が助言する投資家顧客の資産のうち、一年間で増えた分に対し十パーセントの報酬をいただくというものだった。

「完全成功報酬型のビジネスモデルでは当局としても申請を受理することができません。何らかの固定収入を確保できるようプランを変更してください」

「投資家顧客に喜んでもらってこそ資産運用ビジネスは成り立つもの。成績も出さずに最初から報酬をいただくのはおかしいのではないですか」

しかしそれでも担当官の首は縦には動かなかった。仕方なく澤上は本社である自宅に戻り、ビジネスプランの再構築に臨んだ。

澤上には成功報酬型の料金体系で十分にやっていける自信があった。完全成功報酬を投資家顧客にアピールすることで、澤上の投資運用への自信を世に打ち出すことができる。投資家顧客の立場からも、損失が出た時には無報酬という料金体系は極めて納得感が高いはずだ。何より澤上一人で始めた会社である。三千万円の資本金を食いつないでいる間にビジネスは軌道に乗るだろう。そう考えた。

しかし申請が受理されなければ事は起こせない。車の運転が得意だと言い張っても、免許証がなければ公道に出られないのだ。

そこで澤上は、「助言口座開設時に一律十万円をいただく。後は以前のプランのとおり成功報酬型でやらせてもらいたい」という再申請をもって、七月三十一日に投資顧問業の登録にこぎつけたのだった。

もともと資産運用ビジネスは営業で資金を集めるものではない。実績を見て投資家顧客の方から集まってくるものだ。しっかりとした成績の積み上げと顧客重視の姿勢を貫いていれば、いずれ口コミで評判は広がっていくだろう。

そのような確固たる考えがあったため、助言業務を開始したものの、澤上は何をするでもなく本を読む日々を送っていた。

 

(続く)

澤上 龍『儲けない勇気 さわかみ投信の軌跡』

大手投資ファンドの現社長が激務の合間を縫って、自ら書き下ろした話題のノンフィクション小説! ! 小説の主人公は、著者の父であり、長期投資のカリスマ・澤上篤人。 当時の常識ではありえなかった、一般家庭のための「独立系直販投信」の設立に奮闘する革命児・澤上のキャラクターは、魅力的なまでに破天荒。息子にしか書けないであろうエピソードも満載です。 たった一人の男の熱い信念が周囲を巻き込み、不可能だと思われた「理想」を「現実」に変えていくそのプロセスは、投資というジャンルを超えて、仕事をする全ての人の心をうつ作品です。 金融庁の規制や常識という壁、ITバブル崩壊や9.11テロなど、、、時代の荒波を乗り越える彼らの姿を追いながら、ユニークな平成経済史としても楽しめる力作。

 

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儲けない勇気

大手投資ファンドの現社長が激務の合間を縫って、自ら書き下ろしたノンフィクション小説『儲けない勇気』が今、ビジネスマンの間で話題です。

小説の主人公は、著者の父であり、長期投資のカリスマ・澤上篤人。

当時の常識ではありえなかった、一般家庭のための「独立系直販投信」の設立に奮闘する革命児・澤上のキャラクターは、やはり魅力的なまでに破天荒。息子にしか書けないであろうエピソードも満載です。たった一人の男の熱い信念が周囲を巻き込み、不可能だと思われた「理想」を「現実」に変えていくそのプロセスは、投資というジャンルを超えて、仕事をする全ての人の心をうつ作品です。

金融庁の規制や常識という壁、ITバブル崩壊や9.11テロなど、、、時代の荒波を乗り越える彼らの姿を追いながら、平成経済史としても楽しめる本作より、一部を無料公開いたします。

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澤上龍

1975年千葉県生まれ。2000年5月にさわかみ投信株式会社に入社後、ファンドマネージャー、取締役などを経て2012年に離職。その間2010年に株式会社ソーシャルキャピタル・プロダクションの創業、2012年にウルソンシステム株式会社の経営再建を実行し、2013年にさわかみ投信株式会社に復帰、1月に代表取締役社長に就任。

現在は、「長期投資とは未来づくりに参加すること」を信念に、その概念を世の中に根付かせるべく全国を奔走中。コラム執筆や講演活動の傍ら起業や経営の支援も行う。株式会社ソーシャルキャピタル・プロダクション代表取締役社長、株式会社Yamatoさわかみ事業承継機構取締役なども兼務。

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