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世にも美しき数学者たちの日常

2019.04.12 公開 ポスト

解けたら懸賞金1億円!世紀の難問「リーマン予想」。でも数学の世界には、そんな魅惑の難問がいっぱい!?二宮敦人(小説家・ノンフィクション作家)

凡人には手の届かない頭脳を持った、美しき天才たちの日常を知りたい――! 

その思いで、小説家・二宮敦人氏が、担当編集者とともに数学者のもとへ訪れ、謎多き彼らのヴェールを一枚ずつ剥がしていくノンフィクション『世にも美しき数学者たちの日常』

日本を代表する数学者の黒川信重先生は、「未解決問題」という謎の言葉を私たちに教えてくれました。

*   *   *

(写真:iStock.com/fergregory)

答え合わせに五年以上

黒板と机と椅子だけがある数学科の教室で、黒川先生は自著を一冊、僕にくれた。題は『リーマンと数論』。

「こんな風にして『リーマン予想』が解けると思う、そういうことを書いた本です」

「えっ、リーマン予想というのは……」

「ええと、有名な未解決問題の一つですね」

要するに、まだ世界で誰も解いたことのない数学の問題である。この「リーマン予想」はその中でもかなりの難問だそう。どれくらい難しいかというと、アメリカのとある研究所が、これを解いた者に百万ドル(約一億円)を授けると発表しているほど。賞金のかかった大物ということである。

「そのリーマン予想が解けたということなんですか?」

目の前に座っている黒川先生が、世界中の数学者が狙っている大物を仕留めた。と思ったのだが、それは早計だったらしい。

「あ、いえいえ。おそらくこんな風にしたら解けるだろうと。『リーマン予想』という問題を作った張本人であるリーマン、彼は三十九歳で死んでしまったんですが、もう少し長生きしていたらこんな風に解いただろうと、そういうことを最後の方に書いたんです。はい」

僕は首を傾げた。

「それは解けた、とは違うんでしょうか。こんな風に解いただろう、というのがわかったということは、解けたようなものじゃないですか」

「それが数学の場合は違うんですよ。実際には論文という形にして、専門の雑誌に出して、レフリー……審査を受ける必要があるんです」

「本当に解けているかどうか、第三者が確かめるということですか」

「そうです。これに結構時間がかかるんですね。たとえば少し前、京大の望月新一先生がABC予想というものを解いたと騒ぎになったんですが、これもずっと審査が続いてますね」

「どれくらいの期間になるんですか」

「もう五年になりますね」

五年! 僕は目を剥いた。

「問題を解くだけでも大変なんでしょうけれど。その答えが正しいかどうかを確かめるのに、そんなにかかるんですか」

「望月さんの論文の場合は、数学の言語から新しく作ってしまっているんですね。皆さんが勉強されてきた数学とは、言葉からして全く違うんです。そのあたりが時間がかかっている理由でしょうね。論文の内容を理解するのがそもそも難しいわけです」

難しい、その難しさの次元がとてつもない。

巻末を見れば解答例が載っている参考書の問題を解くのとは、かなり隔たりがあるようだ。

「ところでその『リーマン予想』が解けると、どんないいことがあるんでしょうか」

「ざっくりと言えば、素数がどのように分布しているのか、がわかるようになります」

出た。素数。

実は僕は、黒川先生に会う前に少し予習をしてきていた。数学者の書いた自伝を読むとか、数学者を扱った小説や映画に目を通す程度のことだが、そこで気になったことがある。

数学者、素数を愛しすぎではなかろうか。

素数とは1とそれ自身でしか割り切れない数である。2とか、3とか、5とかがそれにあたる。確かに特徴的な数ではある。だが、道路標識に素数があったからと言って飛び跳ねるとか、わざわざくじでは素数の番号を選ぶとかいう話を聞くと、ちょっと首をひねりたくなる。創作なのか、はたまた大げさに語られているのだろうか? 

しかし実際に手間暇かけて、二千四百万桁もある素数を見つけ出して喜んでいる人がいる。3と5のように差が2である素数の組を、双子素数などと呼んで愛でたりもする。同様に、差が4である素数の組をいとこ素数、差が6である素数の組をセクシー素数だなどと呼んでしまう、はっちゃけっぷりなのである。

ただしセクシー素数は6を表すラテン語に由来する呼び名なので、はっちゃけていたのは僕一人だったわけだが。

一体なぜそんなにも素数を大切にするのか。僕は疑問をぶつけてみた。

「万物は数である、とピタゴラスという学者が言ったんですが」

黒川先生はにこやかに頷きながら答えてくれた。

「彼は音楽の旋律から、惑星の運行まで、自然界の諸法則は数式で表せることに気が付いたんですね。世界を表現する一つの形が、数なんですよ。その数を分解していくと必ず素数に行き着きます。これはモノを分解していくと必ず原子に行き着く、そういうようなことなんです」

全ての数は、素数の組み合わせによって表現することができる。つまり素数とは数学世界の原料。水素だとか、アルミニウムのようなものらしい。

なるほど。これは大切である。

そんな素数の分布がわかれば、原料がどのようにどれだけあるのかがわかる。数学者たちの理解が、一気に深まるのだ。

「ただ、原子もエネルギーを上げていけばいつかは分解しちゃいます。素粒子とか、そういったものに変わってしまう。同じように数学でも、たとえば5は素数ですが、根号、√という概念を使えばある意味で分解できちゃう。だから素数が『分解できない材料』でいられるのは整数の世界だけです。√を使った、また別の数学の世界もあるわけです。素数を大切にするというのは、そういういろいろある中の、一つのものの見方なんですね」

頷きながら、何だか僕は不思議な感じがした。急に数学が実体を持ったもののように思えてきたのである。

数学者は数式の中から素数を導き出す時、ガラス瓶の内側を這(は)う水銀を眺めるような気分になるのだろうか。銅と錫を合わせて青銅を作るように、素数を掛け合わせて何かを生み出しているのだろうか。

(続く)

*   *   *

絶賛発売中! 17万部のベストセラー『最後の秘境 東京藝大:天才たちのカオスな日常』の著者・二宮敦人氏による、“知の迷宮を巡るノンフィクション”。

関連書籍

二宮敦人『世にも美しき数学者たちの日常』

百年以上解かれていない難問に人生を捧げる。「写経」のかわりに「写数式」。エレガントな解答が好き。――それはあまりに甘美な世界! 類まれなる頭脳を持った“知の探究者”たちは、数学に対して、芸術家のごとく「美」を求め、時に哲学的、時にヘンテコな名言を繰り出す。深遠かつ未知なる領域に踏み入った、知的ロマン溢れるノンフィクション。

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世にも美しき数学者たちの日常

「リーマン予想」「P≠NP予想」……。前世紀から長年解かれていない問題を解くことに、人生を賭ける人たちがいる。そして、何年も解けない問題を”作る”ことに夢中になる人たちがいる。数学者だ。
「紙とペンさえあれば、何時間でも数式を書いて過ごせる」
「楽しみは、“写経”のかわりに『写数式』」
「数学を知ることは人生を知ること」
「数学は芸術に近いかもしれない」
「数学には情緒がある」
など、類まれなる優秀な頭脳を持ちながら、時にへんてこ、時に哲学的、時に甘美な名言を次々に繰り出す数学の探究者たち――。
黒川信重先生、加藤文元先生、千葉逸人先生、津田一郎先生、渕野昌先生、阿原一志先生、高瀬正仁先生など日本を代表する数学者のほか、数学教室の先生、お笑い芸人、天才中学生まで。7人の数学者と、4人の数学マニアを通して、その未知なる世界を、愛に溢れた目線で、描き尽くす!

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二宮敦人 小説家・ノンフィクション作家

1985年東京都生まれ。一橋大学経済学部卒業。2009年に『!』(アルファポリス)でデビュー。『正三角形は存在しない 霊能数学者・鳴神佐久のノート』『一番線に謎が到着します』(幻冬舎文庫)、『文藝モンスター』(河出文庫)、『裏世界旅行』(小学館)など著書多数。『最後の医者は桜を見上げて君を想う』ほか「最後の医者」シリーズが大ヒット。初めてのノンフィクション作品『最後の秘境 東京藝大―天才たちのカオスな日常―』がベストセラーになってから、『世にも美しき数学者たちの日常』『紳士と淑女のコロシアム 「競技ダンス」へようこそ』など、ノンフィクションでも話題作を続出。

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