辛いことや苦しいことがあっても私たちは生き続ける。人生に目的はあるのか。あるとしたらそれは何か――。20年の時を経て名著『人生の目的』が新書版に再編集され復刊。いまの時代に再び響く予言的メッセージ。
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才能が開花するのも運命ではないか
人間には「生まれつき」ということがある。野球のイチローや、ゴルフのタイガー・ウッズや、画家のピカソのような、生まれながらに普通でない能力をあたえられて誕生してくる人間がごくまれにいる。そんなふうにいえば、たぶん反論する人もいるだろう。
「玉磨(みが)かざれば光なし」
と、昔から言うではないか。どんな宝石の原石であっても、削って、かたちをととのえ、丹念(たんねん)に磨かなければ粲然(さんぜん)と輝くことはない。才能だけで成功することはできない。努力、精進(しょうじん)、忍耐、経験、それらこそが天与(てんよ)の才能を世に出すのだ。天才は努力によってつくられる、昔からそう言うではないかと。
たしかにそのとおりだと思う。ずばぬけた反射神経や運動能力をもって生まれてきただけでは、必ずしも超一流のスポーツマンにはなれない。天才的な素質をもちながら、世に出ず無名のままに埋もれた人は、いくらでもいる。ひょっとしたら、そういう人のほうが多いのかもしれない。画家における造形感覚や色彩感覚もそうである。それをどう育て、開花させるかは大問題である。厳しいトレーニングも必要だ。
しかしそのためには、まず環境に恵まれているか、いないかが大事な条件である。しかし、環境とは何か。それは本人以外の周囲の問題ではないのか。まず、どんな家庭に生まれたかによって、本人の将来は大きく左右される。子供のときからその子の才能を注意ぶかく見抜いて、そのすぐれた能力の方向へ自然に導(みちび)いてくれる親がいるか、いないか。家庭にそれだけの経済的な余裕があるか。もし、その日の食事に困るような貧しい家であっても、なんとかその子の才能を育ててやりたいと家族や肉親が愛情を注(そそ)ぐような家庭に恵まれているかどうか。
イチロー選手の背後には、彼の才能を信じて共に努力した親がいた。すぐれたコーチや先輩にも出会ったはずだ。励ましてくれたファンもいただろう。多くの人びととの出会いと縁があって、はじめて彼の努力はみのり、才能は花ひらいたと私は思う。
ピカソの父親はマラガの美術工業学校の教師だった。彼は息子に幼いころから絵の教育を受けさせ、画家としての基礎のトレーニングのためにいくつもの美術学校に学ばせた。
私は若いころ、バルセロナのピカソ美術館をおとずれて、ピカソがまだ幼かったころに描(か)いた作品を見たことがある。古典的ともいえる端正な構図の作品だったが、その描写(びょうしゃ)技術の水準は大家の筆といってもなんの不思議(ふしぎ)もない完成度を示していた。美術工業学校で教師をつとめながら、それでもひそかに芸術家として世に出ることを考えていたピカソの父親は、幼いピカソの描いた絵をひと目見て、自分の画家への夢を即座に断念したという。この子は生まれつきの芸術家だ、しかし自分はそうではない、と。
彼は残酷な事実を率直に受け入れたのである。そして彼はその後、ひとりの教師として黙々(もくもく)と働(はたら)きつづけた。天与(てんよ)の資質(ししつ)というものの圧倒的なすごさの前に、彼は若いころからの自分の夢が音をたてて崩れていくのを感じたにちがいない。
しかし、この父ありせば、という気がするのは私だけだろうか。そこにもまた運命というものの存在を、感じるのは、まちがっているだろうか。
人生とは思うようにはならないものである。人はどんなに不愉快でも、そのことを認めないわけにはいかない。人はひとりひとり、すべて異(こと)なったものとして誕生する。身体的な条件はいうまでもない。百八十センチを超える身長に恵まれる者もあれば、青年期に達しても百五十センチ前後の者もいる。万能スポーツマンもいれば、さまざまな場所にハンディキャップをもつ人たちもいる。体型、容貌(ようぼう)、体力、すべてそれぞれにちがう。難病の遺伝子を受けついだ者もいれば、あらかじめ短命が予測される不幸な子供もいる。
それらのことは、すべて本人の責任ではない。努力や忍耐にも関係がない。前世(ぜんせ)で悪いことをしたから、などと言う連中もいるが、とんでもない話だ。先祖の霊のたたりを信じたりするのも、やめたほうがいい。人がそういう話につい耳をかしたくなるのは、人間がなぜこれほど不公平に、不自由に生まれてくるのか、その理由がどうしても納得(なっとく)いかないからだろう。
人生の目的
人生に目的はあるのか。あるとしたらそれは何か――。お金も家族も健康も、支えにもなるが苦悩にもなる。人生はそもそもままならぬもの。ならば私たちは何のために生きるのか。
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