本格ミステリ作家・倉知淳さんが本格的に“ふざけた”(!?)最新刊『作家の人たち』から「文学賞選考会」の試し読みです。
築地の老舗料亭“泥田坊”で行われている植木賞選考会。“大家”と“売れっ子”揃いの5人の選考委員による選考は白熱した。2作に絞られたのは、文學春秒社と赤潮社の本。栄冠はどちらに……。
* * *
「さて、お食事もお済みのようですので、そろそろ始めさせていただきます」
ちょうどいい頃合いを見計らって、久我山一太郎は云った。
会場は築地の老舗料亭“泥田坊”の一室“泥鰌の間”である。選考会は伝統的にここで行われる習わしだった。
選考委員の先生がたが最前までさんざ呑み喰いして散らかした卓の上は、仲居さん達が総出で手早く片付けてくれた。黒檀の大きな卓の上は、今はきれいになっている。
久我山はその一枚板の豪奢な大卓に五冊の本を並べると、改めて厳かに宣言する。
「それでは、これより第一七九回、植木賞の選考会を始めさせていただきます」
久我山は今年四十四歳、大手出版社文學春秒社の編集者である。この選考会の立会人を務めるのも五度目。それでも少し緊張していた。何しろ文学界で最も有名で権威ある賞なのだ。マスコミの注目度も高く、世の話題にもなる。受賞すれば本の売れ行きが一桁上がるといわれている大きな賞なのである。
ちなみに、同じ料亭内の別室“蓮の間”でも、茶川賞の選考会がこちらと同じように始まっているはずだ。茶川賞は主に純文学系の作品に、植木賞はエンタメ系の小説に贈られるのが慣例となっている。いわば、今年出版されたあらゆる書籍の中で最も優れた作品を讃える賞であり、この両賞は文學春秒社の主宰するイベントのうち一番手応えのある仕事だった。
久我山は立会人らしく、入り口の襖の前で座敷に正座して慎ましく控えている。そこから選考委員の先生がたの顔ぶれを見渡した。
四人の選考委員が大卓についていた。
左京区天蓋先生。
酢醍醐権現先生。
梅小鉢餡子先生。
間鶴目幾分人先生。
左京区天蓋先生は関西在住の重鎮で、七十過ぎの大御所である。痩せた体躯に白髭を生やした風貌は、仙人のような風格がある。
酢醍醐権現先生は左京区より少し年下だが、それでも当代きっての売れっ子の大物である。恰幅のいい立派な体格で威厳に満ちていた。
紅一点の梅小鉢餡子先生は若作りの厚化粧であるけれど、六十をとっくに過ぎているはずだ。ボリュームのある髪を紫色に染めている。
間鶴目幾分人先生がこの中で最年少だが、それでも五十代。メガネをかけた学者風の理知的な容姿である。
久我山の位置から見て、卓の右側に酢醍醐権現、正面の床の間を背にした上座に左京区天蓋。そして、左手前が間鶴目幾分人、奥に紅一点の梅小鉢餡子、という配置である。
いずれも大きな文学賞をいくつも受賞している経歴で、著書はすべてベストセラーになる大家と売れっ子ばかりであった。
四人の先生がたに向かって、久我山は報告する。
「袖之下諭吉先生は残念ながら本日はご多忙のため欠席となります。その代わり──」
と、久我山は一通の白い封筒を大卓の隅に置き、
「こちらは袖之下先生のご意向をしたためたものです。議論が行き詰まった時にでも開封してほしい、とのご伝言です」
選考委員達はそれを見て、一斉に喋りだした。
「まあ、袖之下くんも忙しいから」
酢醍醐が云うと、左京区老人は苦言を呈して、
「そやかてスケジュールは空けとくもんやろ、わしかてそうしてるで。袖之下くんはちょっと不見識やないかな」
梅小鉢餡子が取り成すように、
「まあまあ、売れっ子同士、ここは大目に見てあげましょうよ。そりゃ左京区先生ほどじゃないにしても、お互いいつお休みできるか判らないほど忙しいんですもの。フォローし合いましょう」
「しゃあないなあ、袖之下くんには今度、何か別の形で埋め合わせしてもらわんとな」
と、まだ不満げに左京区は、
「それはともかく、わしはちょっと横にならしてもらお。腹がくちくなったら眠とうなってきよった。話が煮詰まった頃にでも起こしてや」
そう云うと、本当にその場で横たわってしまった。座布団を枕にして、すぐに高鼾をかき始める。先ほどの食事の際、ビールをしこたま呑んでいたせいかもしれない。従ってこの後の話し合いは、終始この老大家の鼾をBGMに行われることとなる。
それを見ながら酢醍醐が呆れた顔で、
「仕方ないなあ。あんなにハイペースで呑んでるから、大丈夫かなと思ってたら案の定これだよ。酔っぱらいには困ったもんだな」
梅小鉢が取り成して、
「まあまあ、左京区先生もハードスケジュール続きみたいだし、疲れてるんでしょ。そっとしておいてあげましょうよ」
「まったくもう、誰が不見識なんだか」
不満げな酢醍醐とは対照的に、若い間鶴目は冷静な口調で、
「袖之下先生が欠席、左京区先生はこのありさまです。僕ら三人で進めるしかなさそうですね」
「仕方ないな、三人でもいいだろう、始めるとしようか」
と、酢醍醐は、卓に並んだ五冊の本を順繰りに手に取った。先ほど久我山が並べた本だ。梅小鉢も間鶴目もそれに倣って、何となく本のページをパラパラとめくり始めた。
候補作は五冊だった。
『夜の金メダリスト』 又割直墨
『急斜面』 大太刀現実
『笑いの神様』 蛸薬師ビリケン
『ボクとヨメと猫二匹』 寿司屋魚嗣
『さよならランブルフィッシュ』 破天荒文学
この五作品によって賞が争われることになる。
久我山は息を詰めて、成り行きを見守る。
(続きは単行本で)