スピリチュアルな世界についてわかりやすくつづったブログや書籍が大人気の桜井識子さん。豊臣秀吉さんが実行していた「運玉」の育て方や、運命や幸運についてのホントのところを紹介した最新刊『運玉 誰もが持つ幸運の素』(桜井識子氏著・幻冬舎文庫)が発売即重版となる大反響です!
今回は本書の内容から、「神社での願掛けを不安に思う方へ」についてご紹介します。スピリチュアルの迷路に迷い込まないように心掛けるべきこととはどんなことでしょうか。
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スピリチュアルの世界で道に迷わないために
ブログによくいただく質問で、
「神社では願掛けをしてはいけないと聞きました」
「神社では感謝しかしてはいけないそうです。お願いをしてもいいのですか?」
というものがあります。
神社の神様と、人間との関係は“見えない世界”でのことです。見えないだけにいろいろな意見や考え方があります。
どの宗教にも解釈の仕方が違う宗派がありますが、それと同じで、神社の神様に対しても考え方の違い、感じ方の違いによって接し方も変わってくると思います。
見えない世界に関しては、
「どれが正しいの?」
「だれが言っていることが本当なの?」
とあれこれ放浪し始めると、迷路に入り込むように思います。
仏教にもいろいろな宗派がありますが、どれかひとつが正しくて、残りはすべて間違いということはありません。キリスト教にしても考え方や解釈の違いで、いろいろな宗派があります。
要は「自分が」どの宗派と合っているか、ということなのです。基本は「自分の感覚」です。
ですから、自分が神社で感謝しかしてはいけないと思うのであれば、感謝だけの参拝をし、お願いをしてもいいと思うのであれば、願掛けをしてもいいのです。
あの人はこう言っていた、それなのにこの人は違うことを言っている、さらにこっちの人はまた違うことを言っている、一体どれが本当なの? というふうに、スピリチュアルの世界は道に迷いやすい分野と言えます。
「Aさんというスピリチュアルな人のブログには○と書いてあったのに、同じくスピリチュアルなBさんのブログには×と書かれていました。どっちを信じたらいいのでしょうか?」というような内容のメッセージもよくもらいます。
読んでいて、この方は純粋な人なんだろうなぁ、と思います。すべてを信じようとするとどうしても無理があり、このように悩みが生じるのではないでしょうか。
純粋な心根は大切です。だれもが持っているものではないからです。
でも、ひと言だけアドバイスをさせていただくと、それは“神様や仏様を信じる”という方向にのみ、向けたほうがよろしいかと思います。
人間はいろいろです。疑うのではなく、人間だから間違った内容を書いている人がいるかもしれないという、距離を置いた目で見ることも時には必要かもしれません。
そして、私がずっと言い続けてきたように、最終的にはご自分の直感で判断されるのが一番です。
霊能者や占い師、スピリチュアルな肩書を持つ人に頼って決断をしてもらっていると、大切な自分の直感能力が衰えてしまいます。もっと自分を信じることも大切かなと思います。
神様は願掛けされることを喜んでいる
願掛けに関して言えば、山岳系の神様も、神社にいる神様も、人間のことが大好きです。人間の面倒を見ることも仕事のひとつ、とお考えです。
眷属がたくさんいる神社や、修行をしている神様見習いが多い神社などは、多くの人に参拝してもらって願はたくさん掛けてもらいたい、というのが実情です。
神様を心から信じて願を掛け、叶ったらお礼に行く、叶ったことによってますます信仰心が深まり、そしてまた願を掛けに行く……という繰り返しによる、なんというか人々の信仰心の強まりが神格を上げる、という場合もあります。
もしも、神社で願掛けをしてはいけないのであれば、「祈禱(きとう)」の制度はおかしい、ということになってしまいます。
神社では、家内安全、交通安全、合格祈願、安産、病気平癒など、社務所で申し込んで神職の方に祈禱をしてもらいます。お願い事を書く絵馬の販売もしています。
お願いをしてはいけないのであれば、神社は純粋無垢(むく)な、ピュアに神様を信じている人から、“お金を取って”してはいけないことをしていることになります。
それは神様を利用した商売になってしまいますから、その状況を神様が黙って見ているはずがありません。してはいけないのでしたら、絶対に怒ります。
全国の神社が普通に祈禱をしているということは、神様がそれをオーケーだと言っているということです。つまり、願掛けは普通にしていいのです。
というか、人間の面倒を見たいという神様もいらっしゃるくらいです。ですから、願掛けはしても一向に構いません。
逆に言えば、願掛けはしなければいけない、というものでもありません。「感謝だけにする」という参拝もいいと思います。「お話だけをしに行く」という参拝も喜ばれます。
私は特別にお願いすることがないときや、願掛けを叶えてもらったあとでお礼にここまで来られないというときは、「こんにちは、初めまして」のご挨拶と自己紹介だけをしています(つまり、感謝もしていない参拝です)。
神様への、心の中での接し方に特別なルールや決まりはありません。ブログやほかの本にも書いているのですが、信仰とは“神様と自分”“仏様と自分”だけの世界を言います。
願掛けはしてもいいですよ、と識子さんは言うけれど、私はダメだと思う、のであれば自分の直感が優先ですから、感謝だけの参拝にしたほうがいいです。
自分にとってこれが正解、と思う方法が一番なのです。
心の中での接し方は自由です。願掛けをしようが、感謝だけにしておこうが、挨拶だけですませようが、しゃべくり倒して帰ろうが、そこに決まりはありません。
神様と自分、という信仰の中ではだれもが自由でいいのです。
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