辛いことや苦しいことがあっても私たちは生き続ける。人生に目的はあるのか。あるとしたらそれは何か――。20年の時を経て名著『人生の目的』が新書版に再編集され復刊。いまの時代に再び響く予言的メッセージ。
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はっきりした人生の目的をもつ人
こう考えてくると、運命を変えることは人間にできないことの最大のもののように思われてくる。しかし、これを変えることができる、と古代インドの人たちは考えた。いまもそう信じている人びとが少なくないらしい。それは生きているあいだに善(よ)い行いを多くしさえすれば、つぎに生まれ変わるときにはいまより良く生まれ、逆に悪行(あくぎょう)を重ねる者は来世(らいせ)で悲惨な目にあう、という考えかただ。これを「善因恵果(ぜんいんえか) 悪因悪果(あくいんあっか)」などという。
この考えかただと、いま現在、苦しい生きかたをしている人間は、前の世の悪い行いの結果であるから、当然の報(むく)いだということになってしまう。もともとは人に善行(ぜんこう)をすすめるための発想だろうが、私はそういう考えかたにはどうしてもなじめない。いま苦しんで生き悩んでいる人たちを、あいつらは前の世でよほど悪いやつだったのだ、だからいまはこんな目にあっているのだ、という目で見ることは、苦しむ人への二重の侮辱(ぶじょく)ではないのか。
このような考えかたに立つ限り、インド的な人生の目的は、はっきりしている。人がなすべきことは来世により良く生まれること、あるいは輪廻(りんね)の鎖(くさり)から永遠に解き放たれて自由になること、である。そのために信仰を深め、善行をつむ。ガンジス河で沐浴(もくよく)をし、行者(ぎょうじゃ)に布施(ふせ)をする。現在もそれを信じて疑わずに生きている人たちを、私たちはどう見るか。あこがれの目で見る者もいるだろう。そして、うらやましい、と思うときもあるだろう。また逆に、無知だと思ったり、抵抗感をおぼえる場合もあるだろう。それは人によってさまざまである。しかし、そのように人生の目的をはっきりと定めて疑わない多くの民衆の目に宿(やど)る、なにか説明のできないつよい光に、ふと心が揺れる瞬間があることもたしかである。
人生の目的
人生に目的はあるのか。あるとしたらそれは何か――。お金も家族も健康も、支えにもなるが苦悩にもなる。人生はそもそもままならぬもの。ならば私たちは何のために生きるのか。
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