悪党どもに、女神の鉄槌を! 危険すぎる美人刑事、八神瑛子が帰ってきた。その美貌からは想像もつかない手法で数々の難事件を解決してきた瑛子が、外国人技能実習生の犯罪に直面。そんな彼女に監察の手が伸びる。刑事生命が絶たれる危機……それでも瑛子は事件の闇を暴くことができるのか? 累計40万部を突破した、深町秋生の人気警察小説シリーズ。その最新刊が、本作『インジョーカー』だ。読んだ瞬間、引き込まれる物語の冒頭を、特別に公開します。
* * *
外見こそ長年放ったらかしにされている建物だが、室内も玄関同様にリフォームされている。もともとは六畳間や八畳間だったらしい和室をベニヤ板で仕切り、簡素な扉を設けて小さな個室に作り替えていた。
扉を次々に開けた。部屋は独居房のように狭い。布団が敷かれ、そのうえに男たちがいた。大半が何事かと目を丸くした。なかには耳が遠いのか、騒動に気づかないまま、テレビに見入っている老人もいれば、イビキを搔いて眠っている中年男もいる。年齢差はあるものの、共通するのは頭髪もヒゲも伸びきっている点で、室内は古雑誌や古着で足の踏み場もないほど散らかっている。
「うっ」
井沢が鼻に手をやった。
部屋と同じく、入所者は清潔とは言いかねた。腐敗した生ゴミにシナモンをまぶしたような甘酸っぱい臭気が漂う。住人をまともに風呂にも入れてないのだろう。ヤクザ運営の“囲い屋”だけに、予想を上回る荒みっぷりだ。
囲い屋とは、生活困窮者から生活保護費を奪いとる悪徳業者だ。自立支援を大義名分として掲げ、ホームレスや野宿者を搔き集めて住居を斡旋。生活保護を申請させて、家賃や食費、光熱費などの名目で巧みに吸い上げる。
不潔で狭い部屋に入所者を閉じこめ、彼らからさらにカネを巻き上げるため、変造されたB-CASカードを売りつける。生活保護受給者の医療費が全額公費負担なのに目をつけると、息のかかったクリニックに通院させては、高額で転売できる向精神薬を大量に詐取し続けてもいる。自立支援とは名ばかりで、むしろ入所者の自立心を徹底して狩り取るシステムを構築していた。
「うちのブタ箱よりひでえ」
井沢は鼻をつまんだ。
個室の扉には掛金と南京錠があったが、すべて外側についている。入所者が勝手に出られなくするためだろう。なかには鍵が閉まった南京錠もある。
その扉のなかから激しくノックする音がした。井沢に目で命じる。
「うす」
彼は南京錠を両手で摑むと、ドアに足をつけて掛金を引っこ抜こうとした。合板でできた扉がみしみしと音を立てる。
「コラぁ、てめえら、勝手になにやってやがんだ!」
廊下の奥から怒鳴り声がした。
ジャージ姿の若い男が現れた。今どきのチンピラらしく、頭髪をツーブロックにして口ヒゲを生やしていた。右手にはゴルフのアイアンがある。
瑛子はベルトホルスターから特殊警棒を抜いた。ひと振りして伸ばす。左手で手錠をブラスナックルのように握って、チンピラと対峙した。
井沢が掛金を壊した。扉を無理やり開く。部屋のなかから男が廊下に転がり出た。ひどく痩せ細っている。
瑛子らは息を呑んだ。男の顔面は腫れとコブで歪んでおり、何本かの歯が欠損している。
ジャージの男に目をやった。一瞬だけバツの悪そうな顔を見せる。ジャージの男は入所者を見張る看守役なのだろう。
この『ふたたびの家』周辺で訊きこみを行い、夜中に男の怒鳴り声やすすり泣きを何度も耳にしたという情報を得ていた。
ジャージの男がアイアンを振り上げた。だいぶ使いこんでいるらしく、シャフトは曲がっており、ヘッドの溝は赤黒く汚れている。
「ど、土足で踏みこみやがって。何様だ、てめえら!」
チンピラの声を無視して、瑛子は特殊警棒を正眼に構えた。
手錠を持った左手を顔のあたりまで上げ、怒気を放ちながら相手を睨みつける。今度はお前が叩きのめされる番だと。
ジャージの男は鋭い視線こそ向けていたが、瑛子が前に進むたびにじりじりと後退した。
一気に距離をつめ、特殊警棒を振り上げると、アイアンを放り出し、背を向けて奥へ逃げ出す。
「花園」
若手の組対課員に命じた。
「はい」
長髪の井沢と違い、花園は頭を軍人風のクルーカットにしていた。曲者だらけの組対課のなかでは、堅物の部類に入る刑事だ。快活な返事をすると、狩猟犬のようにジャージの男を追いかけ、両足にタックルを決めた。男ふたりが床に倒れ、建物全体が揺れる。
中央の階段に目をやった。建物内に踏みこんだときから、建築現場にも似た、なにかを叩く硬い音が二階からはしていた。
二階こそが落とすべき本丸なのだろう。邪魔者が他にいないのを確かめると、瑛子は階段を静かに上った。商人宿時代から使用されていたらしく、飴色の踏み板に足を乗せるたび、ギシギシと音を立てる。
一階とは異なり、二階は開放的な板張りの部屋があった。十二畳ほどの広間で、複数の事務机やキャビネット、コピー機が置かれ、オフィスらしい造りとなっている。『ふたたびの家』の事務所のようだ。
ただし、空き巣にでも入られたかのように、散らかり放題だった。
書類やバインダーが床に散乱し、隅に置かれた金庫の扉は開けっ放しだ。窓の金属製の格子が外され、人間ひとりが出入りできるくらいの穴ができている。
「その程度の穴じゃ、出るに出られないでしょう」
窓の前にいる肥った男に語りかけた。
瑛子の倍以上のウェイトがありそうな五十男だ。窓からは冷気が吹きこんでいるが、禿げあがった男の頭からは湯気が立ち上っている。
『ふたたびの家』の理事長である曽我保雄だ。就寝中だったのか、ペイズリー柄のガウン姿で、へこみのある金属バットを握り、汗を大量に搔きながら肩で息をしていた。ガウンの帯が外れ、彫り物で青く染まった胸が丸見えだ。足元には、パンパンに膨らんだビジネスバッグがある。
「理事長、あなたには入所者の生活保護費を騙し取ったとして詐欺と業務上横領の容疑がかけられてる。それに向精神薬の横流し、入所者への脅迫、監禁致傷も。今度は長い旅になりそうね」
曽我の眉間にシワが寄った。
「上野のメス刑事が……。人の城をめちゃめちゃにしやがって」
「文句たれてる場合じゃないでしょう。あなたが取れる選択肢は三つだけ。そのバットで私らをなぎ払うか、おとなしく縛につくか、その穴から下へダイブするか」
「でかい口叩きやがって。だったら、なぎ払ってやろうじゃねえか」
曽我は掌に唾を吐くと、両手で金属バットを握りしめた。
大柄な曽我が持つと、一般サイズのバットでも子供用に見える。
彼は城東エリアを縄張りとしている指定暴力団の曳舟連合系の組員だった。とうの昔に組織から除籍となったものの、二年前には、建設現場に労働者を無許可で派遣したとして労働者派遣法違反で逮捕されている。
曽我の除籍はあくまで偽装で、未だに組織の幹部と目されていた。曳舟連合系の親分たちとの交流は続いている。先週も麻雀卓を囲んで親睦を深めていたという。
生活困窮者をダシにして荒稼ぎしたカネの一部は、曳舟連合への上納金として流れている可能性が高い。ビジネスバッグには、違法な手段で稼いだ現金や裏帳簿、向精神薬の横流しに使った携帯端末など、警察に見られては困る証拠類がつまっているのだろう。
曽我の巨体がゆっくりと動いた。彼の足元には、横倒しのオフィスチェアがある。金属バットを振るって払う。金属同士がぶつかる耳障りな音が部屋中に響き渡り、オフィスチェアが床を転がる。
瑛子は表情を消したまま、向きあった。特殊警棒をまっすぐ構えながら、歩み寄る。
曽我が眉をひそめた。でかい音を立てれば怯むと勘違いしたらしい。
「ちくしょうが!」
右腕を振った。金属バットが放たれる。回転しながら飛んできたが、瑛子は半身になってかわした。
曽我が背中を向けた。半壊した窓の格子にツッパリを喰らわせる。金属棒の尖った部分で掌や前腕を傷つけたようだが、巨体の曽我が通り抜けられそうな穴ができる。
彼はビジネスバッグを拾うと窓枠に片足を乗せた。下を覗きこんで、地面と睨みあう。
瑛子は大股で踏みこんだ。曽我との距離をつめ、腰を蹴飛ばした。足裏に肉の感触が伝わる。
「うおお!」
曽我が身体のバランスを崩し、頭から外へと落ちて行った。ドスンと重たい音がする。
瑛子は窓から下を覗いてみた。曽我はなんとか受身を取ったらしい。公道で仰向けに倒れたまま悶絶している。近隣の住人が何事かと集まりだす。
曽我と視線が合った。彼は手を震わせながら瑛子を指さした。
「あ、あの……女、蹴落としやがった」
近寄ってきた住人たちに曽我がうなった。
「てめえら、今の見ただろうが、あのメス刑事、おれを殺そうとしやがったぞ。市民の人権をなんだと……」
瑛子は窓から離れた。あれだけ悪態をつけるのなら、そのまま署に引っ張っても問題なさそうだ。
ビジネスバッグが窓辺に落ちていた。
ジッパーを開けてなかを確かめる。ゴムでまとめられた使い古しの札束と数台の携帯端末、数本のUSBメモリが入っていた。
それに大きく膨らんだビニール袋だ。駄菓子のラムネに似た白い錠剤がぎっしり詰まっている。錠剤にはアルファベットと数字が刻まれてあるため、メチルフェニデートだとすぐにわかった。
中枢神経を刺激し、強い覚せい感と精神の高揚をもたらす精神刺激薬だ。かつて患者の乱用が社会問題となった。
裏社会では高額で取引されているが、現在は第一種向精神薬に指定され、厳しい規制がかけられている。横流しは麻薬取締法違反にあたる。
瑛子はひっそり笑った。叩けば埃が出るものと睨んではいたが、想像以上の収穫だ。
階下にいる井沢に声をかけ、押収品を運ぶためのダンボール箱を用意するように伝えた。
インジョーカー
悪党どもに、女神の鉄槌を! 危険すぎる美人刑事、八神瑛子が帰ってきた。その美貌からは想像もつかない手法で数々の難事件を解決してきた瑛子が、外国人技能実習生の犯罪に直面。そんな彼女に監察の手が伸びる。刑事生命が絶たれる危機……それでも瑛子は事件の闇を暴くことができるのか? 累計40万部を突破した、深町秋生の人気警察小説シリーズ。その最新刊が、本作『インジョーカー』だ。読んだ瞬間、引き込まれる物語の冒頭を、特別に公開します。