悪党どもに、女神の鉄槌を! 危険すぎる美人刑事、八神瑛子が帰ってきた。その美貌からは想像もつかない手法で数々の難事件を解決してきた瑛子が、外国人技能実習生の犯罪に直面。そんな彼女に監察の手が伸びる。刑事生命が絶たれる危機……それでも瑛子は事件の闇を暴くことができるのか? 累計40万部を突破した、深町秋生の人気警察小説シリーズ。その最新刊が、本作『インジョーカー』だ。読んだ瞬間、引き込まれる物語の冒頭を、特別に公開します。
* * *
富永は歯科医院を出た。つくばエクスプレス浅草駅付近の商業施設に入っており、夜九時まで診療を受けつけている。医者の腕も悪くはない。
それでも、ドリルの音を耳にするたびに全身の筋肉が強張る。虫歯が進行しているため、洗浄用のエアが神経に触れて、顔をしかめたくなるほどの痛みが走ったこともある。
夜の浅草は観光客や会社帰りのサラリーマンでごった返していた。
街の風景は毎日のように変化している。二十四時間営業の大型量販店があり、道路を挟んだ向かい側には、全国各地の地産セレクトグルメを扱う巨大店舗ができていた。南側の道路には、ビニールカーテンで覆われた居酒屋が並び、呼びこみらしき店員が通行人に声をかけている。店の様子を横目に見ながら、通り過ぎた。
雷門通りを西へ、早足に歩いた。昼間は歩道も観光客でごった返し、渋滞が起きるほどだが、夜八時過ぎともなると、人の数は多少減る。
チェーン居酒屋とコンビニが入った古ぼけたビジネスホテルがあった。玄関脇には、英語や韓国語の貼り紙が貼られたコインロッカーがある。
それとなく周囲を見渡しながら、富永は肩に提げていたビジネスバッグに手を入れ、布製のペンケースをコインロッカーのなかにしまった。
ペンケースに入っているのは、筆記用具などではない。花園に渡したい紙切れがあるのみだ。八神と組対課に異変がないか、注意深く監視してほしい。彼女を狙う者がいる、とメッセージを綴った。
花園は若くして刑事になっただけあって、勘の鋭い男だ。このメモのみで、ことの重大さに気づくだろう。
かつては元部下、探偵を雇って八神を監視したが、どちらも見破られては手玉に取られた。浮き足立つことなく、これまでどおりに慎重を期した手法で、八神の動向をチェックする必要がある。
小銭を投入して、ロックをかけたときだった。覆面パトカーのサイレンが聞こえた。五十メートルほど離れた位置にある浅草雷門交番から、三人の警官が飛び出してくる。
心臓がひときわ大きく鳴った。薬物の売人にでも間違われたのか。思わず怯むが、警官たちは富永に目もくれず、雷門通りを渡って南へと走っていく。
覆面パトカーは上野署に駐屯している機動捜査隊のもので、ドライバーと助手席には、見覚えのあるスーツ姿の隊員が乗っていた。彼らも富永には目もくれず、雷門の交差点を右折していく。
警官たちの緊張した様子を見るかぎり、ただ事ではなさそうだった。コインロッカーを離れ、雷門通りを渡った。賑やかな繁華街から、静かな住宅街に入る。
覆面パトカーは杵屋通りを進んでいた。低層階のビルや一軒家が集まる一方通行の狭い道だ。夜ともなれば人通りが少なくなる。
今は近くの住民と思しきやじ馬や警官らでごった返している。覆面パトカーの赤色灯が、異変を強調するかのように夜空を赤く染め上げる。
「あれは……」
四階建てのマンションの前だ。ジャージ姿の禿頭の中年男がタオルで頭を押さえている。
一見して筋者とわかる風貌だ。頭に損傷を受けたらしく、タオルは赤黒く染まっている。
中年男の周りには、似たような雰囲気の若者ふたりがいた。派手に髪を染め、銀のアクセサリーとごついバックルのベルトを締めていた。ともに眉を糸のように剃っているため、コワモテな顔つきをしていたが、片方は頬をリンゴのように腫らしている。中年男と若者らは仲間らしい。
「救急車はどうした、おめえらに用はねえんだよ!」
もうひとりの若者が警官に吠えた。スーツ姿の機捜隊員らが、落ち着くよう若者に呼びかける。
「見せもんじゃねえぞ。どっかに消えろ!」
黒いパーカー姿の若者がやじ馬にも当たり散らした。
一見するとひとりだけケガがないように映ったが、身体をふらつかせている。傷が見えないだけで、やはりダメージを負っているようだ。
彼らからはアルコールの気配は感じられない。場所を考えると、ただの喧嘩沙汰とは思えなかった。
交番の制服警官がやじ馬の整理に乗り出した。一方通行の道路は渋滞ができている。
制服警官のひとりに訊いた。
「一体、どうしたんだ」
「下がってください、下がってください。ここ車が通りますんで」
質問を受け流された。うっかり、ここが自分の管轄と思い違いをしていた。制服警官は浅草署の所属だ。
自分の縄張りではないとはいえ、隣の署を取り仕切る者としては見過ごすことはできない。場合によっては、方面本部と連携して緊急配備を敷く必要もある。
「ああ、私は」
スーツの内ポケットに手を伸ばした。そのとき機捜隊員のひとりが、目を飛び出さんばかりに見開いて駆けてきた。
「富永署長」
そっけなかった制服警官が、顔を強張らせて敬礼をする。
制服警官にはやじ馬の整理を続けるようにうなずいてみせ、機捜隊員に尋ねた。
「ただの喧嘩には見えないが」
「住民から喧嘩との通報を受けて現場に急行したのですが……」
機捜隊員は筋者風の男らをチラリと見やった。
「おそらく、強盗ではないかと」
「なに?」
携帯端末をポケットから取り出しながら、機捜隊員が向けた視線の意味を考える。中年男たちの背後にあるマンションを見上げた。
「喧嘩にしておきたいということか」
「あそこには、浅草署が以前から目をつけていた闇金の事務所があります。連中は曳舟連合系の企業舎弟ですよ」
黒いパーカーの若者が、尋問をする機捜隊員に吠える。
「だから、ただのゴロ(喧嘩)だっつってんだろ! ぐだぐだ言ってねえで、医者に連れてけや!」
若者が多数の制服警官によって取り囲まれた。
まるで富永らの会話を聞いていたかのようなタイミングだ。“ゴロ”などと口走るあたり、いかにもヤクザな臭いがする。
現場には、刑事や制服警官らが続々と集まりつつあった。それぞれがマグライトを手にしている。制服警官が誘導棒を持って交通整理をした。車道にはみ出さないようにやじ馬を路肩に押しやりながら、目撃者がいないか呼びかけている。
富永が知る浅草署のベテランもいた。なぜ隣の管轄の署長が現場にいるのか、驚いたような顔を見せる。
コインロッカーに極秘メモを預けたのを考えると、決して目立つべきではない。浅草署にも、八神に多額の借金をこしらえ、彼女に借りのある警官が複数いると、花園から報告を受けていた。それでも、目の前で事件が起きていて、素通りなどできはしない。
「闇金で稼いだカネを狙われたわけか」
「通報者からは、顔や頭をマスクやキャップで覆った作業着姿の男らが、マンションから逃走するのを見たという証言を得ています。ただし……」
機捜隊員が再び中年男らに目をやった。
現場に着いた救急隊員に、救急車へ連れられていくところだった。被害者である中年男らが闇金を営んでいるなら、捜査に協力的な姿勢を見せるとは思えない。暴力団絡みとなれば、なおさらだ。
治療を終えれば、浅草署に引っ張られ、徹底的な取り調べを受けるはずだが、強盗に遭ったとは口が裂けても言えないだろう。闇金商売がめくれるのはもちろんだが、ヤクザのメンツに関わる問題だ。
曳舟連合は墨田区に本部を置く暴力団だ。関東の広域暴力団である白凜会系の二次団体である。強盗が本当なら、襲撃犯はヤクザ金融なのを承知で押し入ったのだろう。
曳舟連合はシノギを荒らされ、代紋に泥を塗られた。自らの手で汚名返上をしなければ、強盗犯の暴力に屈した弱小組織とのレッテルを貼られる。シノギに影響が出るのはもちろんだが、今後も強盗に狙われる可能性が高い。襲撃犯にケジメをつけさせようと、躍起になって動くはずだ。
「ありがとう。浅草署と連絡を取り合ったうえで、しかるべき対策を取る」
富永が告げると機捜隊員は一礼し、やじ馬のほうへと駆けていった。
富永としてもグズグズしてはいられなかった。さっそく浅草署や第六方面本部と協議したうえで、上野署の幹部たちに指示を出さなければならない。
暴力団の捜査能力は、ときに警察をも上回る。曳舟連合は同じ白凜会系の組織に声をかけ、すでに襲撃犯の追跡を始めているはずだ。
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インジョーカー
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