辛いことや苦しいことがあっても私たちは生き続ける。人生に目的はあるのか。あるとしたらそれは何か――。20年の時を経て名著『人生の目的』が新書版に再編集され復刊。いまの時代に再び響く予言的メッセージ。
* * *
五十一円から八十円への人生
「金とか、名誉とか、そんなものは結局むなしいものさ。人間、死んでしまえば何ひとつもってはいけないんだから」
などと言う人がいる。有名な小説や芝居(しばい)のなかでも、しばしば出てくるセリフだ。
たしかにそのとおりだとは思う。しかし私たちは死んだあとのことよりも、いま、この世間に生きているうちのほうが気になる。金や名誉なんて、と、軽く言ってのけられるのは、たぶん恵まれた人にちがいない。そうでなくても、一般人とは相当にちがう特別なプライドの持主ではあるまいか。
私は敗戦後、劇的に貧しい生活をしいられるようになった。それまでは植民地で、教師の子としてそこそこの暮らしがつづいていたのだ。もちろん、戦争の時代だったからモノは豊かではなかった。しかし植民地を支配している側の国民だったから、ふつうの朝鮮人よりもはるかに楽な生活ができたと思う。
父親の履歴書を見ると、大正十五年(一九二六)に九州の小学校教師としてスタートしている。いまでいうノンキャリアの人生の出発点だ。当時の月給が、〈八級上俸〉とあって、五十一円である。平壌(ピョンヤン)で敗戦を迎えた昭和二十年(一九四五)のころには〈三級俸〉までたどりついているが、それでもしれたものだろう。
私の小学生時代の記憶に、母親が、
「お父さんの月給が八十円になったのよ」
と、うれしそうに言ったときのことが残っている。
敗戦と同時に父は失業者になった。そしてその日から私たち一家は、「金が敵(かたき)の世の中」を生きてゆくことになる。
母が死に、父は呆然自失(ぼうぜんじっしつ)、なすすべもなく酒におぼれる日がつづいた。売り食いができる連中がうらやましかった。こちらはソ連軍の進駐(しんちゅう)と同時に、官舎も、家財道具いっさいも、すべて見事に接収(せっしゅう)されて、着の身着のまま放(ほう)りだされたのだ。
十二歳だったその敗戦の夏から、およそ二十年にわたる金欠生活がつづいたために、私のなかの金銭観は相当に歪(ゆが)んだものになってしまった。それは現在でもそうである。いったん背負いこんでしまった貧乏神のいやな匂いは、たぶん背中にしっかりしみついてしまって、死ぬまで消えないのではないかと思う。
「人間万事(ばんじ)金の世の中」
とまでは割り切れない。しかし、金に困ったときの人間というものは、じつにみじめなものだ。
人生の目的
人生に目的はあるのか。あるとしたらそれは何か――。お金も家族も健康も、支えにもなるが苦悩にもなる。人生はそもそもままならぬもの。ならば私たちは何のために生きるのか。
- バックナンバー
-
- 信心深い大金持ちというのが、私はどうも理...
- 「善人でさえも救われるのだから、悪人が救...
- 貧富の差はなくならない。そこに“心”とい...
- 専門家や識者の金銭観はバラバラすぎて困る
- 月給袋を「この野郎、この野郎」と靴で踏み...
- 「金が主人の世の中」は「金が敵(かたき)...
- 貧乏は遠い昔の物語ではない
- 「人間万事 カネの世の中」とまで割り切れ...
- 金銭とは人生の“目標”ではあるが“目的”...
- 人は運命に流されるだけ、とは思いたくない...
- 来世により良く生まれることを信じて生きる...
- 星まわりを気にするのは、宿命への隠された...
- 何のために生き、死ぬかは今は各人の自由。...
- 私たちは運命にすべてをゆだね、受け身に徹...
- 努力が苦手な気質の人間もいる。自然ではな...
- 人間には、納得いかずとも「生まれつき」と...
- 誕生の瞬間から、人は不自由なものを背負っ...
- “万人共通の”人生の目的などない
- 生きるためには、あたりを照らす灯火を探さ...
- 長寿大国のこの国は、世界有数の自殺大国で...
- もっと見る