辛いことや苦しいことがあっても私たちは生き続ける。人生に目的はあるのか。あるとしたらそれは何か――。20年の時を経て名著『人生の目的』が新書版に再編集され復刊。いまの時代に再び響く予言的メッセージ。
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「心の貧しい人」と「貧しい人」
たしかに夢や生きかたは、各人各様だろう。しかし、「金が欲しい」とか、「金持ちになりたい」とか思わない人はまずいない。そういった願望をまったくもたない人は、たぶん限られた少数者だろうと思う。
ふつうの人は、この世に貨幣が流通するようになってからこのかた、何千年も変わらずに〈富〉を欲しいと思いつづけてきたはずだ。古代インドの宗教の世界でも、〈富〉と〈出世〉と〈性のパワー〉とは、重要な現世利益(げんぜりやく)として求められている。
しかし、実際には、すべての人が豊かな富を手にすることはありえない。富の本質は、特権と格差である。もし、地上のすべての人が同額の収入を得(う)るようになったら、どうなるか。そのなかで私のような浪費家は、たぶんはいってきた金をたちまち使いつくして、誰かに借金をするのではないかと思う。一方で、堅実で合理的なタイプの人間は、バランスよく収入と支出を調整して暮らしていくだろう。そして人並みすぐれた野心と欲望に恵まれた特別な人びとは、私のような浪費家を相手に高利で金を貸し、やがて金が金を生むノウハウをマスターして、たちまち大金持ちになるはずだ。
借金に追われる家に育った子供たちのなかの、ほんのひと握りのがんばり屋さんは人の十倍努力して世間の階段を這(は)いのぼり、金持ちの仲間入りをする。しかし大半は経済的なハンディキャップを背負ったまま、浪費と貧困の世界に沈澱(ちんでん)する。こうして世の中はまた、二つに分かれてゆく。
こんな空想は、たぶん悲観的すぎると笑われるかもしれない。
また、まったく異(こと)なった価値観もある。
「心の貧しい人々は、幸いである」と聖書(マタイによる福音書)のなかでは語られるが、これは法然(ほうねん)、親鸞(しんらん)が語った「悪人正機(あくにんしょうき)」の考えかたとほとんど重なっている。ここでいう「心の貧しき者」「悪人」とは、この世でより多くの汗と涙を流しながら生きる人間たちのことだ。さまざまな重荷を背負いつつ、よろめきながら歩く人びとのこと、と素直に考えたい。
「私は病める者のためにきた」
と、いうイエスの言葉は、千万の教義論考よりも、はるかに力強く重い。
「心の貧しき者」という表現を、「心」のほうに重点をおいて解釈する人たちもいる。
そうなれば経済的な貧富は関係がなくなる。生の不安と絶望に心を悩まされながら、自己の信仰の貧しさを嘆なげく大金持ちや大地主も、また大手をふって「貧しき者」の仲間入りができる。人はすべて神の愛を平等に受けとる権利を保証されることになる。しかし私は「貧しき者」のほうにより多く視線を向けたい。
人生の目的
人生に目的はあるのか。あるとしたらそれは何か――。お金も家族も健康も、支えにもなるが苦悩にもなる。人生はそもそもままならぬもの。ならば私たちは何のために生きるのか。
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