辛いことや苦しいことがあっても私たちは生き続ける。人生に目的はあるのか。あるとしたらそれは何か――。20年の時を経て名著『人生の目的』が新書版に再編集され復刊。いまの時代に再び響く予言的メッセージ。
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宗教にのぞむもの
いずれにせよ私は、「貧しき者」を、素直に、この世で恵まれていない人びと、と受けとりたい。そして「悪人正機」の「悪人」は、つらい思いをして生きている人だと単純に、思いたい。イエスが惜しみなく愛をそそぐのは、病(やまい)に悩む人、貧しさに苦しむ人、しいたげられ世間から蔑視(べっし)されている無名の人たちである。阿弥陀仏がその慈悲によってあたたかく抱くのも、まず、そのような人びとであるのは当然だ。虚名と、高い収入を得ているベストセラーの作者などでは、決してない。
たとえ人に見えないところで、どのように血の涙を流し、心の奥で仏の名を呼んでいたとしても、私などは〈傍機(ぼうき)の傍機(ぼうき)のそのまた傍機(ぼうき)〉だろう。もし阿弥陀仏が、通りすがりにちらとでも横目で一瞥(いちべつ)を投げてくれたとしたら、それこそ天にものぼる心地ではないかと思う。
仮にもこの世で富と、名声と、権力の座につらなった者は、すべて私と同じように、本来は救われない存在である。私はそう思う。
そうでなければ不公平ではないか。この世でも楽に生き、あの世でも楽に生きるなどということは許されない。法然や親鸞などが生きた時代は、地獄という世界が本気で信じられていた時代だった。もちろん極楽を信ずる者もいたが、庶民には関係のない世界である。修行(しゅぎょう)や、寺の建立(こんりゅう)や、莫大(ばくだい)な寄付や、名僧による祈願(きがん)や、そういうことを日ごろつづけることのできる貴族、豪族、富豪だけが、極楽ゆきのパスポートを交付されると信じられていた。
そういう善行(ぜんこう)を積むことができず、日々生きることに精いっぱいといった人びとにとっては、極楽への希望よりも地獄の不安のほうが、はるかに大きかったのは当然だろう。まして商人、工人、職人、芸人、遊女、漁師、猟人(かりうど)、その他、馬子(まご)、車夫、船頭、水夫(すいふ)、物乞(ものご)い、などといった無数の人びとは、世間から賤(いや)しい立場の者たちとして扱われ、みずからもそう意識していたわけだから、業(ごう)の深い自分たちは極楽なんぞに縁はないと、はなから決めこんでいたはずである。
そういう人びとこそ、まず最初に救わなければならない、と考えるのが宗教というものの力だろう。
もしも大権力者や大富豪が、おのれの罪を心から懺悔(ざんげ)し、ひたすら仏に帰依(きえ)してスムーズに往生を願うとしたら、それは心得ちがいというものだ。むずかしい理屈はともあれ、私は信心ぶかい大金持ちというものが、どうしても理解できないのである。この世で金と、権力と、名声を得た者が、死後の平安まで願うとは欲が深すぎるというものだ。まだしもどこかの国の男のように、
「天国にて下僕(げぼく)となるより、地獄にて首魁(しゅかい)として君臨(くんりん)せん」
と、不敵に言い切るほうがむしろ好感がもてる。
この世で幸せに恵まれた者は、あの世で苦しみ、この世で幸せ薄かった者こそあの世で幸せに、という思いが、じつは宗教というものの核心にひそむ原始の力ではあるまいか。
しかし、それではあまりにも身(み)もフタもない気がしないでもない。第一、それでは美しくない。では、では、こう言いかえてみたらどうか。この世で幸せ薄く、愛することと愛されることに飢(う)え、あまりにも多くの汗と涙と血を流した者、そのような人びとにさすあたたかい光、それが宗教の本質であってほしいのだ。
しかし、あらためて「悪人」という法然、親鸞の言葉を考えてみると、これはなかなか私が勝手に割り切ったように簡単ではないのである。
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