家族のため仕事に邁進して来た俊介だが、気づくと家庭は崩壊していた。冷えきった夫婦関係、フリーターの息子にイマドキのムスメ……そして、厳格だった父は惚け始めてしまった。家族を、そして父を取り戻すため、俊介はワゴン車にみんなを乗せ、父の故郷・福井へ向けて旅に出る……。ミュージシャン、さだまさしさんの『サクラサク』は、涙なしには読めない家族小説。部数は75万部を突破、2014年には映画化もされました。そんな本書の冒頭を、少しだけご紹介しましょう。
* * *
昭子はそのことで壊れた。責任は自分にある。
俊介は以来、反発するように淀んでゆく昭子自身を見るたびに、傷が痛んだ。
まず、口数が減った。次に女友達との外出が増えた。
昭子の方で、そちらがそちらならこちらもこちら、と開き直ったのなら、俊介にも少しは「お互い様だ」という心の逃げ場が出来たのかもしれないが、決してそうではない。
他人から見れば完璧な主婦を演じはじめる。
やがて昭子は庭と呼ぶのが照れくさいほどのささやかな庭を、花で飾るようになった。
ガーデニング、と今ではブームのようになっているが、当時、昭子は思い立ったように、異常なほどの勢いで、たとえば玄関の前の狭いスペースを色とりどりの鉢植えで飾り立てるようになったのである。花や色に脈絡はなかった。
何しろ足の踏み場もないほど鉢植えが置かれ、常に季節の花が咲き誇った。
だが、飾り立てるのは他人に見える場所だけだった。家の中は昔のように几帳面には整頓がなされなくなった。
この時以来、はっきりと昭子には他人に対して裏表が生じた。
初めは俊介への当てつけだったろう。
しかし人の心は一度バランスを崩せば、どんどん倒れ込んでゆく。
家族への接し方も子供が幼かった頃の、あたかも親鳥のようなかいがいしさは姿を潜め、今ではそこいらにいくらもいる、目的も夢も見失った主婦たちのように、暇さえあればチャンネルをひねっては、テレビの中の仮想現実に逃げ込むようになった。
そのテレビも実は俊介が作ったものだ。
外見上、大手電機メーカーに勤める夫を支える幸せな妻を演じる分、家庭の内側の温度は失われた。
家庭の中の女が壊れれば家族が壊れる。家族が壊れれば子供が壊れる。当たり前のことだ。
しかし、それもこれも何しろ自分の不祥事が生み出したものだ、と俊介は言いようのない責任を感じて懊悩した。
昭子を壊したのは自分だ、と思えばどうにも胸が塞ぐ。だから面と向かって不満を昭子に言えない。
情けない話だ、と自分を嗤うしかなかった。
仙台の事件は昭子だけではなく、俊介にもある種の精神的外傷をつくったのだ。
長男の大介が「登校拒否」のようになったのは高校二年の冬で、学校の進路相談の際、希望大学への受験を、無理、と否定されてからのことだ。すっかりやる気をなくし、そのまま卒業もせずに二年を学校へもゆかずぶらぶらと過ごし、ついには放校のような形で学校をやめ、以来、今でもだらだらとアルバイトのようなことをしているようだ。
俊介は、今では顔を合わせることもほとんどないこの二十歳になる息子と、数カ月も口をきいていない。
娘の咲子は新学期には高校三年生で、もうすぐ十八になる。口を開けたまま音を立てて食べ物を噛み、顎を突き出して鼻にかかった声でぴちゃぴちゃとしゃべる。幼稚園児がそのまま歳だけ取ってしまったような、今時よくある娘の一人になった。
よその娘でも腹が立つのに自分の娘だとなおさらだ。顔を見るたびにそのことで小言を言うが、娘の方は一向に意に介さず、へへえ、と笑って「まあまあ、堅いこと言わず」などと甘えてきては小遣いをせびる。
それでも不思議なことに父親の俊介には懐いており、時折いじらしいような優しさを見せることがある。
たとえば、深夜に帰宅したときなど、娘が「身体、大丈夫?」などと女房でも口にしないようなことを言いながら夜食を作ってくれたりする。夜食、といっても野菜をちょっと炒めたのや、誤魔化したような卵料理くらいだが、それでも男親というものは娘のそんな心遣いにぐらりとする。
一方、女房の昭子の心はすでに籠城の域で、どうにも家庭内離婚のような塩梅だが、俊介はこれら全ての種を自分が蒔いた、とひと頃は何もかもひたすら忍ぶように我慢していた。
だが近頃では、一時の針の筵に座るような心狭さから抜け出し、ええい、なるようになれ、と力が抜けた。それで楽になった。
女房の昭子から見ればそういう姿が何か、ふてくされて開き直ったように見えるらしく、なかなかにうまくいかない。
父の事件は、そんな状況の中で起きたのだった。
「敦賀のな、寺の離れで暮らしたんだ」
失踪事件以来、父はときどきふさぎ込むように一日中言葉を発しない日がある。そうかと思うと饒舌に昔のことを語る日もあった。
「僕は五つの時に父親が死んで、母一人子一人で育ったからね、両親と揃って一つ家で暮らしたという記憶はね、その白い家だけなんだ」
「白い家? 白い? 日本でかい?」
「うん。確かな記憶じゃないが、その家はね、白い家だったような記憶がある。街道を入って右側がずっと海でね。細い路地を突き当たって左へ曲がったすぐのところに祭りに使う山車の大きな倉庫があってね。その前を行くと突き当たりに寺があった。家はその古い山門の隣に建っていたんだよ」
父は俊介の遅い夕食につきあいながら、ある日、その「白い家」のことを具体的に語った。
「寺の名は忘れたが禅宗の寺でね、その、山門の外にある離れの庭先でお袋が洗い張りの仕事をしていた」
「洗い張り?」
「和服……着物の洗濯だよ。あれはね、ほどいてバラバラにして洗うんだ。でな、綺麗にしてからまた縫い戻す」
「へえ」
「僕はまだ三歳ぐらいだったんだろうなあ、そばに海があったから、うろうろして落ちでもしたら大変だと思ったんだろう。うろうろできないように、いつも桜の樹に荒縄で繋がれていたんだよ」
「へ? 縛りつけられていたの?」
「バカ、そうじゃないよ、ほら、狭い庭の犬っころみたいに二、三メートルの長さの縄で腰のあたりを結ばれてたんだ」
「へえ……桜の幹に?」
「ああ、大きな桜が庭にあった。その根元に繋がれてたわけだな。お袋も忙しかったんだろうよ。僕は、いつもその樹の下でお袋の握った、にぎりめしを食べた」
幼い父が桜の樹の幹に縄で繋がれて、母の握ったおむすびを食べている。
想像するだけでいじらしい光景だ。
父の記憶の中で、桜は満開だったろうか。
「へえ。白い家だったんだ」
「うん。白い家だった」
父は、回線が繋がったようなときには実に饒舌になった。
「僕がシベリアで生まれたのは一九二〇年だ」
「シベリア生まれ? 樺太じゃなかったの?」
「敦賀で暮らした後、樺太へ越したんだ。生まれはシベリアだよ」
親子でありながら、実際には父のことをほとんど知らない自分にも驚く。
もっとも、父の方も息子の俊介がどういう風に生きてきたかなど詳しくは知るまい。
親子というのは近くにいるという、その存在感だけで納得したり我慢したりするようなところがあるから、あとになって案外他人の方がよく知っていたといった「肉親の知らないこと」はあるものだ。
「シベリアか……随分寒そうだな」
照れ隠しに俊介はそう言った。
「寒いさ。ウラジオストクのな、ペキンスカヤという町で生まれたのだ」
久しぶりに目に芯のある父の顔を見る。
「引き揚げて敦賀に上陸したのだ」
「なんで引き揚げたの」
「シベリア出兵だよ。知らんか?」
「分かるよ」
一九一七年のロシア革命以後、混沌とする欧州情勢に紛れ、覇権を大陸に拡げようとする日本はチェコ軍捕虜救出を名目に三個師団をシベリアに出兵させた。これが一九一八年のことだ。
最終的な目的は外地での傀儡政権の樹立にあったようだが、この時は思うようにいかず一九二二年にこれを断念して引き揚げた。
父の言う引き揚げはこの時のことで、出兵への反発からロシア在住日本人への迫害を懸念して国は邦人へ引き揚げを命じた。
だから父はおそらく二、三歳で引き揚げたことになる。多分それから一、二年ほどその「白い家」で暮らしたのだろうか。
「父は元政治家でな、後に転じて軍事探偵になった」
「軍事探偵?」
この話は前に幾度か聞いたが、俊介はいつでも初めて聞くような顔で相づちを打った。
「国の秘密任務を帯びた非外交官だよ」
「ああ、スパイか」
「そういう、漫画に出てくるような単純な話ではないのだ。当時は日本も後進国から先進諸国への仲間入りを目指して闇雲に発言権を得ようとあがいていた時期だ」
父のこの話は毎回違った方へ発展する。ある時は、父の父、つまり俊介の祖父と祖母とのなれそめだったり、自分の戦争体験に話が及ぶこともある。
この日はまた違った。
「発言権?」
「軍事力さ。あのね、俊介。お前たちのように戦後教育を受けた者はね、すぐに戦争の話になると日本が悪いことをしました、と決めてかかるように教わっているが、事はそう単純でも綺麗事でもないんだ。過去を今のモラルで切って捨てるだけでは卑劣だ。当時には当時の世論や事情があったのだ。いいか、たとえば軍事力というものはね、その国家の発言力や影響力と無関係ではないんだ」
「うん、まあ、そりゃ、今でもそうだ」
「国家というのは理屈や理想だけでは運営できないのだ」
とても惚けた老人の台詞ではない、と俊介はこういうときの人間の脳の働きに驚く。
そうしてまた翌日にはふさぎ込んで沈黙する父の切なさを思う。
サクラサク
家族のため仕事に邁進して来た俊介だが、気づくと家庭は崩壊していた。冷えきった夫婦関係、フリーターの息子にイマドキのムスメ……そして、厳格だった父は惚け始めてしまった。家族を、そして父を取り戻すため、俊介はワゴン車にみんなを乗せ、父の故郷・福井へ向けて旅に出る……。ミュージシャン、さだまさしさんの『サクラサク』は、涙なしには読めない家族小説。部数は75万部を突破、2014年には映画化もされました。そんな本書の冒頭を、少しだけご紹介しましょう。