『小説幻冬』6月号のマヒトゥ・ザ・ピーポーさんインタビューの取材現場で、『銀河で一番静かな革命』の感想を熱を込めてマヒトさんに伝えていた小田部仁さん。その中身をもっと詳しく知りたくて、あらためてエッセイをお願いしました。
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優しさこそが希望を生む唯一の手段だ
夜通し働いて、ようやく空が白んでくるころに、ちょっとした生きるための手がかりみたいなものを見つける。そんな繰り返しの毎日を必死に生きている。せめてもの抵抗だと思いながら。
その一方で、すべてがリセットされるようなカタストロフィを望んでいる自分がいる。大震災とか恐慌とか政変とか、あるいは自らの死とか。大きな物語に身を委ねられるような、自分が矮小でもいいわけが許されるような、そんな甘美な悪夢に無責任にも浸ることがある。孤独すぎて、頭がおかしくなっているのだ、きっと。
生きていくことに疑問を感じている。何が生きていることなのか、情けないことに全くわからない。この生なんかすべて虚構なんじゃないかと思っている。でも、どれだけ絶望していても角砂糖ぐらいの希望を日々の生活に見出してしまう。それでなんとか毎日を生きている。死ぬ勇気もないって言ったら、それだけのことなのかもしれないけれど。
5月23日に自身初となる小説『銀河で一番静かな革命』を上梓した音楽家、マヒトゥ・ザ・ピーポー。
2009年にロック・バンド「GEZAN」を結成し、バンドのフロントマンとして、そしてソロ・アーティストとして、路傍に打ち捨てられた野良犬が顎を震わせるような、あるいは暴雨風の中で気丈に咲き誇る一輪の花の立ち姿のような、切実で美しい歌を紡いできたマヒトが、今回、小説というこれまでに挑戦したことのない表現方法にチャレンジした。
『銀河で一番静かな革命』は、乱暴な言葉で言えば「世界の終わり」を描いた物語だ。社会との軋轢に辛酸を舐めながらも、日々を慎ましく生きる登場人物たちの元に突如訪れる「通達」——〈どうか、動揺なさらぬよう、地球での残りの人間活動を健やかに過ごされることをお祈り、お願い申しあげます。〉——それは、この世界が10日後に終わるというあまりにも唐突な宣言だった。
『銀河で一番静かな革命』の登場人物たちの声にならない叫びを、筆者は自分のものとして読んだ。落伍者と形容してもいい。愛すべきという言葉すら甘っちょろいダメな人々。バンドマンの追っかけをやっていた英会話講師の「ゆうき」、うだつの上がらない女好きのミュージシャンの「光太」、父親のわからない娘・いろはを女手一つで育てるシングルマザーの「ましろ」ーー優しいかれらは終末を前に、自分なりの「答え」を導き出そうとする。
構造や体制の側に入っていくこともできず、毎日を必死に生きる人々の元に終わりが突如として訪れた時、何が起きるのか。マヒトゥは混乱や無秩序など絶望的な要素は具体的には描いていない。それは作中では伝聞調でしか伝わってこない。平等にすべてが終わることになった時、人々の心には新たな「優しさ」が生まれる。それがすなわち革命であるとマヒトゥは書く。
本文中に登場するホームレスの老人が「思いやりを持たんうちはまだ人とは言えんよ」と、バンドマンの光太に対して語りかける場面があるが、これはすなわち「優しさ」こそが人を人たらしめ、希望となりうる唯一の手段なのだ、と、物語はそう静かに宣言しているように思える。
本当はわかっているのだ。自分自身が生きていることになんか意味なんてない。般若心経は「色即是空」ともうずっと前から唱えている。しかしそれでも、雨雲が一瞬だけ晴れて束の間差し込む日の光のような希望が苦しみの中にさす瞬間。意味のないものが、どうしようもなく心を動かしてしまうことがある。その真実から目を背けることができようか。
絶望を感じないで済むような社会を作っていくために、ラディカルに構造や体制を変えていく、それはとても難しいことで。日々の生活に疲弊しているとなかなか立ち上がることができない。でも、明日、世界の終わりがくるとしたら、僕らは黙って座っているだろうか。明日、世界の終わりがくるとしたら、人は絶望するのではなく、投げやりになるのではなく、きっと希望を求めて、優しさに生きるのではないだろうか。そう信じるぐらいしか、今の世の中には救いがない。
また、夜明けがやってくる。今日の分の角砂糖が与えられる。やっぱり、生きることには絶望している。明日になったら少しは、人に優しくできるだろうか。銀河で一番静かな革命を生きたいと、僕は常々思っているのだけれど。
小田部仁(文筆・編集)
Twitter: @jnotb1120
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